コンプレックス解決メディア「NICOLY(ニコリー)」
この記事を執筆している1か月半前、私は2度目の流産を経験しました。1度目の流産は、6か月前です。
頭では理解できていても、まだまだ気持ちの整理はついていません。妊婦さんを見ると、心臓をギュッと鷲掴みされたかのように、苦しくなります。涙が出そうになります。
そんな中、なぜ、『はじめて流産した時のこと』を記事にするのかとお感じになる方もいることでしょう。
それは、今、まさにこの時間に、同じような境遇で苦しんでいる人たちが、この記事にたどり着いて『私だけじゃないんだ』ということを、感じてもらいたかったからです。
妊娠すること、出産することは、一般的には『奇跡』だと言われています。
私には、3歳と1歳の2人の娘がいます。私たち夫婦は、1人目も、2人目も、ほしいと思ったタイミングで、避妊せずに性行為を行うことで、すぐに妊娠しました。
そのため、妊娠すること、出産することは、当時の私たちにとっては『奇跡』ではありませんでした。ごくごく『当たり前』のことでしかなかったのです。しかし、今では、私たちも、その意味を痛いほど実感しています。
次女が1歳になる前に、子作りを開始しました。そして、今回も、すぐに妊娠しました。3人目という事もあり、妊娠検査薬で陽性が出てもすぐには産婦人科に行かずに、心拍確認が取れるであろう7週目に、産婦人科を受診することにしました。
産婦人科のエコーで確認すると、確かに、赤ちゃんが入っている袋らしく物が見え、胎嚢が確認できました。しかし、心拍が確認できません。
先生は、『今は、まだ5週に入ったかそこらだと思うよ。2週間後にまた来てね』とだけ、言いました。
日常的に基礎体温を付けているので、排卵日から数えても、5週目ということはないはず、と私は不思議に思いました。けれども、妊娠すれば無事に出産できると思っている私は、特に深くは考えず、自宅に戻りました。
産婦人科から帰宅し、普段通りの生活をしていた、2日後のことです。
トイレで用を足し終えて、ふとショーツを見ると、赤褐色の血のようなものが付いています。『ん?』と思い、トイレットペーパーで股の部分をふき取ると、生理3日目くらいのやや赤黒い血が付きました。
この時期に出血するのは、おかしいと感じて、慌てて産婦人科に電話し、受診することにしました。
エコーで赤ちゃんを確認しましたが、2日前と比べて、赤ちゃんの入っている袋のサイズに変化がありません。それどころか、ぐにゃっと湾曲したかのような、いびつな形になっています。
『だめかもしれないね』と、先生が言いました。
先生の言っている意味が、まったく分かりませんでした。妊娠=出産だと思っている私は、妊娠しているのに、何がだめだと言っているのかが理解できなかったのです。頭の中がぐちゃぐちゃで、考えようとしても、何をどう整理していいのかがわかりません。
先生は続けて、淡々と話しました。
『2日前と比べて、袋のサイズも変わってないでしょ。それに、ほら。いびつな形になっちゃってる。こうなっちゃうと、流産する事が多いんだよね。出血も、流産の兆候かもしれないなぁ』
『流産』
自分には全く無縁の言葉でした。全く想定もしていなかった『流産』という単語が、頭の中で、延々と響きました。足の先から、スーッと血の気が引いていきます。体全体の中を、冷気が吹き抜けるかのような、変な感覚に襲われました。
それでも、『流産するわけがない』と信じきっている私は、先生に質問しました。『安静にしていれば、出血はおさまりますか。どのように、生活をおくればいいですか』と。
けれど、先生は、こちらも見ずに、少し面倒くさそうな感じで答えました。『安静にしていても、あんまり意味はないよ。だめなもんは、だめになる。』
『じゃあ、どうすればいいのでしょうか・・・』先生の返答に戸惑った私は、これだけ言うのが、精一杯でした。
『普段通りの生活をおくればいいよ。今できることは、ただ、それだけ。生理2日目以上の出血があったら、すぐに受診してね』そう言って、あっさりと、診察は終わりました。
まだまだ聞きたいことはありました。流産になってしまう確率はどれくらいなのか、どうして出血してしまったのか、流産を防ぐ方法はないのか・・・。
けれども、頭の中で整理できないのです。言葉になって、でてこないのです。結局何も聞けないまま帰宅することになりました。
その後、タクシーで帰宅しましたが、診察後のことや、自宅に戻るまでのことは、今もはっきりとは覚えていません。
出血があった時に主人に電話で伝えていましたので、仕事から帰宅した後に、産婦人科で先生に言われたことを伝えました。主人も『流産』は想定していなかったようで、言葉に詰まっていました。
産婦人科で先生に言われたことを頭で理解しているはずなのに、私たち夫婦は『私たちに限って、流産するということはないだろう』と、どこかで信じ切っていました。安静に過ごしていれば、出血は止まり、無事に元気な赤ちゃんが生まれてくると信じていたのです。
その日から、主人の提案で、料理以外の家事は控えるようにしました。主人は、仕事に行く前と仕事から帰ってきた後に、掃除・皿洗い、子供の世話など、料理以外の家事は全てこなしてくれました。毎日、朝・昼・夕と楽しみにしていた、2人の娘達との散歩もお休みしました。
その甲斐あってか、産婦人科を受診して3日後、出血はピタリと止まりました。
出血が止まったこともあり、安心した私は、久しぶりに2人の娘たちを連れて散歩に出かけることにしました。久しぶりの散歩は、風も気持ちよく、娘たちも楽しそうに走り回っていました。
しかし、散歩から帰ったその日の夕方、また出血してしまいました。『やっぱり、動くと出血しちゃうのかな。』程度にしか考えていませんでした。また、自宅で安静にしていれば、出血はすぐに止まるだろうと、安易に考えていたのです。
しかし、子供たちに夕食を食べさせた後、腹部が重たく感じました。生理前や、生理2日目の時のような、下腹部がググッと張るような感覚です。
今まで出血はあっても、このような体の変化を感じることはありませんでした。直感的に、『これは、おかしい。安静にしないと。』と感じました。
けれども、主人は今日に限って夜勤です。頼れる人はいません。食器を片づけて、子供たちの歯を磨き、寝かしつけの為に子供たちとベッドに入りました。
子供たちは、30分ほどでスヤスヤと眠りにつきました。しかし、私はというと、寝かしつけの為に一緒にベッドに横になってから、腹部をギューッと絞られるような痛みに襲われていました。
この時の痛みは、陣痛や、ひどくお腹を壊したときのような感じに近いものでした。ベッドの上で、おなかを抱えて、うずくまって『大丈夫、大丈夫。絶対に大丈夫。』と、自分に言い聞かせるように、何度も声に出して言いました。けれども、異常な痛みは止まりません。
この時、はじめて『もう、だめなのかな』という思いが、ふと、私の頭をよぎりました。
腹部を絞られるような痛みが30分くらい続いた頃でしようか。突然、強烈な尿意のようなものに襲われました。壁をつたいながら、ヨロヨロとトイレへ駆け込み、便座に座ると、何かが、一気に流れました。
おしっことは違う感覚。
でも、どこかで感じたことのある感覚。
そう、それは、出産のときに、『胎盤を出したとき』の感覚に似ていました。ドロッとした塊が、一気に出る、あの感覚でした。トイレの便器を覗き込まなくても、『流産した』ということを悟りました。便器の中は、血で真っ赤に染まっていました。
事前に、流産について何かを調べたわけでも、知識があったわけでもありません。けれども、『ああ、流産しちゃったんだ』と分かりました。
トイレから出てリビングに戻り、一人でフローリングの上に座りました。あまりに突然のこと過ぎて、整理が出来ず、悲しいという感情さえも起こりません。涙も出ません。
シンとした部屋の中で、冷蔵庫や、空気清浄器の、家電の音だけが、ただただ、うるさく耳に響いていたのを覚えています。そして、流産したことを主人と、妊娠を喜んでくれた主人の両親にも伝えなくてはいけないということ、また、どのように伝えたらいいかということが、頭の中をぐるぐる回っていました。
written by yukapanman1988