岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/06/29

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2018/06/03配信「一人で楽しむ大人のためのディズニーランド、過去から世界から裏から徹底解明!」の内容をご紹介します。
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2018/06/03の内容一覧

ウォルト・ディズニーを大激怒させた奈良ドリームランド

 この「1961年」という年号だけでわかった人もいるかと思うんですけども。
 当時、関西の奈良に「奈良ドリームランド」という遊園地があったんですね。

(パネルを見せる)
 もう、この写真を見てもらったらわかる通り、ディズニーランドのメチャクチャパクリなんですよ。ものすごくそっくりに作っちゃったんですね。
 この写真は、閉園して、廃墟になってしまった奈良ドリームランドなんですけど。廃墟になっても、まだそっくりなんですよ。
 奥にお城が見えて、真ん中にメインストリートがあって、という、本当に本国のディズニーランドにそっくりに作ってるんですけども。

 時は1950年代の後半。カリフォルニアのディズニーランドの開演が1956年だから、開園して2、3年後くらいに、松尾國三さんという元・歌舞伎役者の実業家が、アメリカのアナハイムにあるディズニーランドに行って、ウォルト・ディズニーに直接面会しました。
 その時に、「ディズニーランドを日本にも作らせてください」と交渉したんです。
 当時のアメリカは、敗戦国だった日本のことをまったく信用してなかったんですよ。なので、「そんなこと言っても、お前の国では無理だよ」と言ったんですけども。でも、松尾さんは、それでも諦めずに頼み続けました。その結果、ウォルト・ディズニーも「じゃあ、その時が来たら、必ず力になるよ」というふうに約束してしまったんですね。
 ウォルト・ディズニーって、いい人だから、口ではこういうことをよく言うんですね。だけど、後でお兄ちゃんのロイ・ディズニーが来て「弟はあんなことを言ってましたが~」って言うんですけども(笑)。
 でも、ここら辺の忖度が、日本人の松尾さんには通用しなかったんですよ。
 松尾さんにしてみたら「社長の俺が来て、ウォルト・ディズニー社のウォルト・ディズニー本人と会って、トップ同士が意気投合したんだから、もうこれでいいだろ?」ということになってしまったんですね。

 この時点では、まだウォルト・ディズニーもディズニー社も、「奈良にディズニーランドを作りたい」と言う松尾さんに、悪い印象を持ってなかったらしいんですよ。
 しかし、松尾さんが、半年くらい後に技術者を連れて、もう一度、現れたんですよ。そして、ディズニーランドの園内のそこら中で、巻き尺を出して寸法を測り始めたんですね。
 そんなふうに、すごく熱心に研究したものだから、ウォルト・ディズニーは感動しちゃって、「奈良に遊園地を作る時には、ディズニーランド側から技術者を派遣してサポートしてあげたそうなんですよ。

 ところが、ここまでそっくりのものを作るとは思ってなかったし、正直言って日本人がここまで出来るとは思ってなかったんですね。
 ウォルト・ディズニー側としては、「いやいや、形だけを真似ることはできるかもしれないんけど、メインストリートを作って、その奥にお城を作るみたいな、ディズニーランド的な構造自体を作れるはずがない」と思ってたんだけども。しかし、奈良にかなり精密な偽物を作られてしまった。
 いや、「偽物」と言えるかどうかもわかんないんですよ。というのも、松尾さん側にしてみれば、ウォルト・ディズニー本人と会って、技術者まで派遣してもらってるわけですから。つまり、「俺達がディズニーランドと名乗れなかったのは、権利上でのパーセンテージの話がつかなかっただけだ」というのが松尾さん側の主張なんです。
 でも、ディズニー側としては「社長のウォルト・ディズニーが、仲良くリップサービスしたかもわかんないんだけども、肝心の契約に至ってないんだから、お前がやったのはあくまでもパクリ行為だ」ということになるんですよね。
 実際に、ウォルト・ディズニー自身も、奈良に出来たドリームランドの写真を見て激怒して、「もう二度と日本人なんかと仕事するか! あいつらは絶対に信用しない!」と怒鳴ったそうなんですけども。

 このおかげで、日本へのディズニーランドの誘致というのが、メチャクチャ難しくなっちゃったんですね。
 三井が行っても三菱が行っても、まずウォルト・ディズニーに断られたというのは、「だって、お前らの国は、放っといたら、奈良みたいなことをやるんだろ?」って思っていたからなんですね。

(続きはアーカイブサイトでご覧ください)

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