岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2019/04/04

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2019/03/24配信「【コカ・コーラの歴史】日本人はいかにして、あの薬みたいな味のコカ・コーラを飲むようになったか」の内容をご紹介します。
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2019/03/24の内容一覧


コカ・コーラの黒歴史パート1:麻薬中毒者が作った黒い飲料、その名は「コカ・コーラ」

 アトランタは、そういった「新しく生まれ変わった拝金主義のアメリカ」の中心地でした。
 その当時のアトランタでは、「金を稼ぐこと」はもうすべてが正しかったんですね。何をやってもいい、と。そこで、インチキ薬の総本山になったんですね。
 当時、本当に毎週、何十種類という新薬が発売されました。
 それも「リウマチが一口飲めば治る!」とか、「子供が出来なくても、3日間この薬を飲んだら、あっという間に妊娠する!」とか、「目が見えなくても治る!」とか、「耳が聞こえなくても治る!」とか、ものすごい嘘の薬。本当に「頭が悪いなら薬を飲め!」、「力持ちになりたいなら薬を飲め!」、「痩せたいならこの薬!」、「太りたいんならこの薬!」っていうのの連続だったんです。
 そして、アメリカで発売される、こういうインチキ薬の発売元の大半は、その当時の新聞広告を見たら「アトランタ」となっていたんですね。
 そんな薬を売り出すために新聞広告が利用されたので、さっきも言ったように、アメリカの新聞広告の半分以上が薬品の広告になっていたんです。それも、街の医者が勝手に作った、薬効もろくに確かめてもいないような、噂話だけの新薬だったんですね。

 医者が少なく、国土も広いアメリカでは、売薬産業というのが、今で言うITブームのような国家産業になりました。
 「薬は何もかも解決する」そういう時代だったんですね。

 そんな1886年という時代に、コカ・コーラは、このインチキと金儲け主義の街アトランタで生まれました。
 ちなみに、コカ・コーラ社がジョージア州アトランタ市にあるので、コカ・コーラ社が出している日本のコーヒーのブランド名も「ジョージア」と言うんですね。
 ジョージアコーヒーというのは、別に「ジョージア州で豆がとれたから」でもなんでもなくて、コカ・コーラが発売しているからジョージアなんです。まあ、これは今回の話とは関係ないんですけど。

 よく知られているように、コカ・コーラというのは、最初は「薬」として売られました。
 それも「食欲不振や頭痛、体調不良や二日酔い、神経痛や男性機能回復などなど……」という、もう思いつく限り、ありとあらゆる素晴らしい効能があると、発明者であるジョン・ペンバートン博士は、広告の中で訴っています。

 ペンバートン博士がそこまで言い切った理由は2つあります。
 1つ目は、この人、真面目にコカ・コーラのことを信じていたんですよ。「コカ・コーラを他の偽薬と一緒にしてくれるな! コカ・コーラはすごいんだぞ! なんせ、南米から取り寄せた当時最新のアルカノイド「コカの葉」というのを使っている!」と。
 確かに、このコカの葉は他のインチキ薬とは比べ物にならないほど効き目があったんですね。元気のない男は働き出したし、毎日、頭痛を訴えていた御婦人も、たちまち朗らかになったんです。
 ……そりゃ、朗らかになりますよ、「コカイン」なんだから。もちろん、そういった効果は、コカの葉に含まれるコカインのおかげなんですけども。
 しかし、当時、コカインは非合法の麻薬ではなく、逆に「世界を救う究極の薬品」と言われていた。そういう時代だったんですね。これが、2つの理由の1つ目です。

 そして、このペンバートン博士が「コカ・コーラは素晴らしい薬だ! 万能薬だ!」と言い切った理由の2つ目なんですけど。実は、このペンバートン博士自身、未来がなかったんですね。
 博士は、南北戦争で受けた傷の痛みが深かったんですよ。そして、そんな痛みを和らげるために、モルヒネの注射を毎日打ち続けていて、本人が重度のモルヒネ中毒者になっていたんですよ。
 ペンバートン博士自身、もう残された寿命は数えるほどもなかった。実際に、この人は、コカ・コーラを発明して2年後に死んでしまいます。
 その寿命が尽きるまでに、なんとか自宅にある化学薬品工場をもっと整えて、「奇跡の薬品コカ・コーラ」という、コカインを使った究極の薬を世に出したいと思っていました。

 コカ・コーラ社が絶対に知られたくない黒歴史のその1というのは、「コカ・コーラを発明したのは、麻薬中毒で死にかけている漢方医だった」ということだったんです。

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