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~我が家は中学受験をしないことを決めました 続編~
1年前、中学受験をしないことを決めた我が家。
江戸川区で4人の男児を女房と共に育てている。通塾はむしろ子どもの好奇心の芽を摘む可能性があるし、小学生にとっては勉強よりも友達と遊ぶことが一番だ。
我が家の4人の息子たちは、全員が区立保育園、区立小学校に進んだ。そして、
全員が中学受験をしないこと、塾に通わないことを決めて、区立中学校という選択をした。
2年前のコラムで強調したのは、子どもは親だけではなく地域社会によっても育まれることだった。区立中学が属する地域社会。地域は玉石混合、多種多様。
そこで強い心、創造性、感受性等を育む試みだ。
区立のよさは、健常者と障害者とが一緒に学び、一緒に育つこと。
いじめや不登校をクラス全体で解決していくことであった。(2年前の主張)
http://www.okuchika.net/?eid=4789
■公立中学校から難関大学という選択
長男は、先日、高校の後輩に受験のアドバイスをする機会があったという。
長男のアドバイスは単純で「学校のテストで満点をとれ」。
学校の授業の進度は速い。
だから予習は絶対に必要だ。
授業の後、内容は身についたのか。確認のために復習する。
特に、理系科目は一度躓くと立ち直れない。
物理や数学はわかるまで復習する。
本当に理解できたのだろうか。
それを確かめるためには友達に勉強した内容を教える。
満点をとるのが目的ではなく、真に理解することが目的だから、
テストは、もはや重要ではない。
長男のクラスメートたちは東大や国立医学部に進学する。
彼らは、学校の試験で揃ってよい順位をとる。
難関大学受験の結果は、まさに学校の試験の順位だそうだ。
両者は綺麗に比例するという。
期末テストで上位なら難関大学に受かる。下位では受からない。
先生は授業の準備を入念にしている。
授業は先生にとって、大切な発表会だ。
だから生徒には一言も漏らさぬように聞き、参加し、
積極的に質問する責務がある。
長男が医者になると決めたのは中学校の3年だった。
後に、センター試験で90%以上得点しなければ国立医学科には行けないことを知る。
本人の覚悟は相当だった。変わった。
高2までスマホでラインしてばかりだった。
高3になって、スマホを家において行くようになった。
朝が早くなった。午前6時に家を出る。
そして、午後10時に帰宅。
本人はSSHやら部活やら忙しい毎日の中、さらに、
フェルマーの定理を高校数学の範囲内で証明しようと無茶をやった。
証明は何十枚になった。
その証明の「どこが間違っているか?」で高校数学の先生は日曜日にも付き合った。
ここで大切なことは、
答えのない問いには時間がかかり、人生をかけても解けない問題がある、
という事実だ。
フェルマーの定理を高校生が証明できるはずはない。
だが、諦めず1年間証明を考え続ける。
深く考える者にのみ、本質が見える。
さて、二男だが、現在、都立高校の一年生。
勉強、SSH、部活、そして学校行事と充実した学校生活を送っている。
この高校は都立ながら教養主義だ。
学校は生徒に部活と学校行事に全力で取り組むことを求める。
学校は頼むから塾に行かせないでくれと親に訴えている。
塾へ行く暇はないと。
なぜならば、文系の生徒も数IIIまで数学を修める。
理科も全教科やる。
理系の生徒は日本史も世界史も地理もやる。
漢文も古文もやる。
文理でクラスを分けない。
学力別にクラスを分けない。
いや、2年から3年はクラス替えすらない。
強いクラスメートとの絆が出来上がる。
本来、学問には、理系も文系も偏差値の差もない。
受験対策には不利でも、学問に向かう態度をこの高校は示している。
教養のない理系とか数理のわからない文系なんてありえないと考えるからだ。
行事も全力。
秋の学園祭では全クラスが演劇を披露する。
他の学校が受験一色に染まる3年生の夏休みはクラス全員で毎日猛練習。
ミュージカル「ウエストサイド物語」を演じたある高3のクラスは実に7か月前から準備した。
7か月前、つまり、3年生になる前、2年生の春休みときから準備したということだ。
クラス替えがないからできることだ。
親も子もクラス全体の成長を喜び合う。
ミュージカルの歌詞は生徒たちが訳す。
振り付けもクラスで考える。
歌声は力強く響き渡る。
高校生がここまでできるのかという感動を与える舞台になる。
学園祭には7000人以上が訪れる。
さらに、年間20人以上に公費を使ってスタンフォード、ハーバード、MIT等の海外一流大学の研究室を訪問する。
■リーダーとなり公共の福祉に生涯を捧げよ
世の中は、すべてがつながっている。
だから、自分に役に立つことはやるが、直接利益のないことはやらない、
というわけにはいかない。
教育とは公的なものだ。
公費で勉強させてもらっているのだから、
必死に勉強し公共の福祉に貢献しなければならない。
今年から東大の推薦入試が始まった。
アカデミックな分野で世界のライバルと死闘を繰り広げている東大にとって、
タフな公立中学出身の生徒は魅力的だろう。
大学では、誰にも分からない正解のない問題に、取り組まなければならない。
生涯をかけて取り組んでも解決できない大問題が山積している。
世界中の国家が財政難に苦しむ。
少子化。高齢化。温暖化。環境破壊。
そして格差社会。貧困。
公立中学、公立高校、国立大学は、公費で運営されている。
公費で学んだ者は、公共の福祉のために学ぶのだ。
これは公立出身者の使命といってもよい。
公費で学び、世界のために、日本のために努力する。
(続く)
日本株ファンドマネージャ
山本 潤
(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)
1年前、中学受験をしないことを決めた我が家。
江戸川区で4人の男児を女房と共に育てている。通塾はむしろ子どもの好奇心の芽を摘む可能性があるし、小学生にとっては勉強よりも友達と遊ぶことが一番だ。
我が家の4人の息子たちは、全員が区立保育園、区立小学校に進んだ。そして、
全員が中学受験をしないこと、塾に通わないことを決めて、区立中学校という選択をした。
2年前のコラムで強調したのは、子どもは親だけではなく地域社会によっても育まれることだった。区立中学が属する地域社会。地域は玉石混合、多種多様。
そこで強い心、創造性、感受性等を育む試みだ。
区立のよさは、健常者と障害者とが一緒に学び、一緒に育つこと。
いじめや不登校をクラス全体で解決していくことであった。(2年前の主張)
http://www.okuchika.net/?eid=4789
■公立中学校から難関大学という選択
長男は、先日、高校の後輩に受験のアドバイスをする機会があったという。
長男のアドバイスは単純で「学校のテストで満点をとれ」。
学校の授業の進度は速い。
だから予習は絶対に必要だ。
授業の後、内容は身についたのか。確認のために復習する。
特に、理系科目は一度躓くと立ち直れない。
物理や数学はわかるまで復習する。
本当に理解できたのだろうか。
それを確かめるためには友達に勉強した内容を教える。
満点をとるのが目的ではなく、真に理解することが目的だから、
テストは、もはや重要ではない。
長男のクラスメートたちは東大や国立医学部に進学する。
彼らは、学校の試験で揃ってよい順位をとる。
難関大学受験の結果は、まさに学校の試験の順位だそうだ。
両者は綺麗に比例するという。
期末テストで上位なら難関大学に受かる。下位では受からない。
先生は授業の準備を入念にしている。
授業は先生にとって、大切な発表会だ。
だから生徒には一言も漏らさぬように聞き、参加し、
積極的に質問する責務がある。
長男が医者になると決めたのは中学校の3年だった。
後に、センター試験で90%以上得点しなければ国立医学科には行けないことを知る。
本人の覚悟は相当だった。変わった。
高2までスマホでラインしてばかりだった。
高3になって、スマホを家において行くようになった。
朝が早くなった。午前6時に家を出る。
そして、午後10時に帰宅。
本人はSSHやら部活やら忙しい毎日の中、さらに、
フェルマーの定理を高校数学の範囲内で証明しようと無茶をやった。
証明は何十枚になった。
その証明の「どこが間違っているか?」で高校数学の先生は日曜日にも付き合った。
ここで大切なことは、
答えのない問いには時間がかかり、人生をかけても解けない問題がある、
という事実だ。
フェルマーの定理を高校生が証明できるはずはない。
だが、諦めず1年間証明を考え続ける。
深く考える者にのみ、本質が見える。
さて、二男だが、現在、都立高校の一年生。
勉強、SSH、部活、そして学校行事と充実した学校生活を送っている。
この高校は都立ながら教養主義だ。
学校は生徒に部活と学校行事に全力で取り組むことを求める。
学校は頼むから塾に行かせないでくれと親に訴えている。
塾へ行く暇はないと。
なぜならば、文系の生徒も数IIIまで数学を修める。
理科も全教科やる。
理系の生徒は日本史も世界史も地理もやる。
漢文も古文もやる。
文理でクラスを分けない。
学力別にクラスを分けない。
いや、2年から3年はクラス替えすらない。
強いクラスメートとの絆が出来上がる。
本来、学問には、理系も文系も偏差値の差もない。
受験対策には不利でも、学問に向かう態度をこの高校は示している。
教養のない理系とか数理のわからない文系なんてありえないと考えるからだ。
行事も全力。
秋の学園祭では全クラスが演劇を披露する。
他の学校が受験一色に染まる3年生の夏休みはクラス全員で毎日猛練習。
ミュージカル「ウエストサイド物語」を演じたある高3のクラスは実に7か月前から準備した。
7か月前、つまり、3年生になる前、2年生の春休みときから準備したということだ。
クラス替えがないからできることだ。
親も子もクラス全体の成長を喜び合う。
ミュージカルの歌詞は生徒たちが訳す。
振り付けもクラスで考える。
歌声は力強く響き渡る。
高校生がここまでできるのかという感動を与える舞台になる。
学園祭には7000人以上が訪れる。
さらに、年間20人以上に公費を使ってスタンフォード、ハーバード、MIT等の海外一流大学の研究室を訪問する。
■リーダーとなり公共の福祉に生涯を捧げよ
世の中は、すべてがつながっている。
だから、自分に役に立つことはやるが、直接利益のないことはやらない、
というわけにはいかない。
教育とは公的なものだ。
公費で勉強させてもらっているのだから、
必死に勉強し公共の福祉に貢献しなければならない。
今年から東大の推薦入試が始まった。
アカデミックな分野で世界のライバルと死闘を繰り広げている東大にとって、
タフな公立中学出身の生徒は魅力的だろう。
大学では、誰にも分からない正解のない問題に、取り組まなければならない。
生涯をかけて取り組んでも解決できない大問題が山積している。
世界中の国家が財政難に苦しむ。
少子化。高齢化。温暖化。環境破壊。
そして格差社会。貧困。
公立中学、公立高校、国立大学は、公費で運営されている。
公費で学んだ者は、公共の福祉のために学ぶのだ。
これは公立出身者の使命といってもよい。
公費で学び、世界のために、日本のために努力する。
(続く)
日本株ファンドマネージャ
山本 潤
(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)