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■「ファンドマネージャ、株を語る」執筆のきっかけ

現役ファンドマネージャが株式投資について語る日々雑感です。
個別株の売り買いの推奨はありません。
それどころか、個別株についての言及はしません。

それでも、わたしは、株式投資が持つ本来の社会的意義については、
十分に伝えることができると思っています。

そして、投資のプロセスそのものが、投資家自身を幸福へ導く道標になると考えています。


わたし自身がそうでした。
投資を通して、世の中の仕組みがわかるようになりました。

投資により、経済的に恵まれるだけではなく、
投資というプロセスを通して、人としても成長できたように思うのです。


つまり、投資家とは、お金だけを企業に預けているのではありません。

投資とは、投資家自身の膨大な時間も高度な専門性も貴重な経験も
失敗から学んだ知恵もすべてを投資分析に費やすことです。

そして、その投資行為は、人を成長させます。


投資は以下の変化をもたらします。

単なる消費者から創造者に。
偏見やバイアスに支配される偏狭さを克服し、
普遍的で自由な思想を身につけることができます。
大多数の中に埋もれる受動的な存在から、
他者を導く能動的なリーダーへと変貌することができます。

ゼロサム的な思考や矛盾に悩む人は、矛盾を克服し、問題を解決し、
矛盾点を昇華する術を身につけることができます。


短期で利己的な人が、長期で意味のあることを成す人になることができます。
すぐに結果を出そうとする拙速な人も、
思慮深く、ステップ・バイ・ステップで成果を出すようになります。

たとえお金がなくても、株について考えることが、
豊かで幸せな人生を生きることに繋がっていくのです。

多少、大げさに響くかもしれませんが。



さて、わたしですが、外資系機関投資家(日本株アナリスト、日本株ファンドマネージャ)としての職歴はおよそ20年になります。

15年前に自らの運用手法を書籍「インベストメント」(北星堂書店2001年)にしましたが、多少、取材手法のみに偏った感がありました。

ファンドマネージャが株を語ることは、
すなわち、職業について語ることでもあります。

株式ファンドマネージャという仕事はこういう仕事である、
という内容でもあります。

また、アナリストやファンドマネージャを育成するのための
ガチのガイドブックともいえるでしょう。

株式投資のもつ、社会的な価値が、あまり意識されない状況となっていること
も執筆の動機のひとつです。

個別株の推奨はありませんし、具体的な運用戦略は紹介しません。

株式投資に関するノウハウは千差万別であり、どんな個別の戦略であっても、
メリットとデメリットがあるからです。

みなさんが「株式投資」についての考えを深めるための一助となるように、
株についての必要最低限の事柄を整理しました。


■ファンドマネージャ、株を語る  0001


☆☆よく見てますか? 過去を。よく見てますか? 今をしっかりと。

わたしは、外資系の投資顧問でヘッジファンドマネージャをしております。

顧客の資産を預かり、リスクのある投資商品で資産を増やすことが
ファンドマネージャの仕事です。
わたしの場合は、日本の上場株式で運用をしています。

業界に30年おります。
これまで、上がる株を継続的に選んできました。
下がる株を選んでいては、商売上がったりで、すぐに解雇です。

この世界。10人のヘッジファンドマネージャがいれば、
最終的には9人は脱落する、厳しい世界です。

1年も持たないで廃業するファンドも多い業界です。
成績が悪ければ即座に解約されてしまうからです。

わたしは運良く生き延びてきました。
気がつけば、業界の中ではベテラン。


よい株を選ぶ。
わたしなりの理屈があります。

わたしは論理的に正しくありたいと強く思うタイプの人間です。
それが高じて大学院では数学を専攻しました。

世の中にはない、自分だけの手作りの投資理論を作ってきました。
運用業界は習慣的におかしなところがたくさんある業界です。

株価から株価を予測するなど、わたしはできないと思うのですが、
その分野には専門家がいるのです。

わたしは、株式は、長期の業績から説明すべきだ、とする立場です。

業績は、経済全体の影響を受けます。
経済は社会の影響を受ける。
社会は地球環境の影響を受ける・・・
このように、複雑な事情をうまく説明したいと常々思ってきました。

わたしたちの投資理論は、一言で言えば、
社会の中に潜む「潜在的な需要」を多数のベクトル場で構成することから始めます。

そのベクトル場の変化とファンダメンタル調査を組み合わせます。

最初から株を当てようとするのではなく、
わたしたちが生きる世界、わたしたちの社会そのものを
理解することを理論の出発点にしたのです。


数学的には、ベクトル束の理論と言われているものです。
実社会を擬似的にベクトル空間として構成し、
ベース空間としての株式市場との諸関係を見るのです。
その都度、都合のよい有限の要素をアナリストは選んでくるので、
改良の余地は相当に大きい分野です。


まず、ベースである株式市場は、社会の単なる影にすぎないと割り切るのです。
影である株式市場を分析することは諦めます。

そうではなくて、「社会そのもの」を分析するのだ、といってよいでしょう。

いま、何を言っているのか、わからないと思いますが、
後々、エッセンスはわかるように伝えたいと考えています。

ただし、猿にもわかるようには説明できません。
読者の一定の教養を前提としています。


概略は、こうです。

株式市場をベースにはしますが、
その上の空間である壮大なわたしたちの大切な社会がありますね。

その社会の上にも、ある種の「普遍的な価値」を想定して、
「時代の風」が社会にどんな影響を与えるかについても関連を考えます。

地球環境や大天災などについても考えます。

食糧問題や命についても考えます。

何層にも空間を考え、時間軸もできるだけ長くとります。

高次元という、「多くの要素」を準備します。

永続という、とても「長い時間」を準備します。

このようにして、準備された「調査の器」は、
十分に広くて大きいので、
わたしは、安心して、株価を算定することができます。


わたしたちは、多くの他の投資家とは、明らかに違う方法で
ヘッジファンドを運営してきました。

何が明らかに違うのでしょうか。

まず、調査の器が広く深いこと。

そして、理論的に正しいとは到底思えない投資指標の代表、
PERやPBRは、全く参考にはしません。

とても、多くの事柄、ビックデータを含めて、多数の要素を参考にします。


為替やマクロ指標など、代表的な経済指標はモデルに組み込みます。
今流行りのビックデータはもちろん、最大限、参考にします。

タダでとれるデータ、アマゾンなどのデータはとても重宝していますが、
POSなどの小売データも参考にしています。

ですが、それだけでは、足りません。不十分です。

人工知能は、まだ、できることが限られていますが、最大限に活用します。

しかしながら、アートの部分であるアナリストの感受性を最大限に活用しています。

私たちの運用は機械と人間とのコラボが特徴です。

機械や数学モデルでは組み込めない部分は、
証券アナリストが調査で補います。

その調査についても、他の機関投資家は違うやり方です。


何が違うのでしょうか?

アクティブ運用のアナリストは、一般的に、
企業を取材して、業績を作りますが、
たったの2~3年の予想をするだけです。

2~3年の予想なんて、今の業績のせいぜい2倍の差しかないものです。

それは、例えば、
「現在の天気は1秒後にあまり変わらない」
といっているだけの意味のない仕事のようにわたしには思えるのです。


わたしたちは、アナリストは、それではダメだと思っています。

真剣に考えるのです。

特定の企業を頭に浮かべます。彼らは、あと何年続くのでしょうか。
その企業の製品は、人々にどんな意味があるのでしょうか。
その企業の組織運営は持続可能でしょうか。

ですが、企業を分析する前に、もっと大切なことを考えるのです。

そもそも、人間社会はどれだけ続くのでしょうか。

そもそも、いま、世の中は、どうなっているのでしょうか。

特定の市場では、どの製品が優れているのでしょうか。

一番、大切なことは、企業業績は一通りに予想するものではない、
という態度です。

企業業績は、アナリストではなく、(民主国家らしく)、
社会の構成員が決めるものです。

人口知能が職を奪うのが深刻な社会問題となるのであれば、
職を奪うと単純に予想するだけでは不十分です。

そのようなリスクに対して、人類は、どう振舞うのか、どう振舞うべきか、をしっかりと考察します。


そうなると、企業業績よりも、社会が向かう方向性を予想するのが先ですね。

この方向性なら業績はこうなるし、この方向性ならこうはなりませんね、
と展開していきます。


「目に見えないもの」を可視化します。

社会に横たわる問題点。改善点。社会的な弱者の痛みや心の叫びなど、
アナリストは、ありとあらゆることを考慮に入れるべきです。

目に見えないものを思考する。社会を相手に思考上の「格闘」するのです。

とにかく、真剣に考えるのです。世の中のことを。
そうあって、初めて、企業の本来の姿が浮かび上がってくるからです。


日本株ファンドマネージャ
山本 潤


(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)