産業新潮
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1月号連載記事
■その19 インディ・ジョーンズと「人間経済科学」
●経済学(社会科学)は数式では表せない
天文学、数学、物理学のようないわゆる「自然科学」では、仮説を立て、それに基づいた実験を行ったり、論理的に完全に実証できる「証拠」を見つけ出して、仮説の正しさを証明する。
しかし、歴史に「もしもは無い」と』よく言われるように、設定条件を変えて「本能寺の変」をやり直すなどということは不可能だ。映画やドラマでは、歴史の「もしも」を扱った作品がよく見られるが、それは「あり得ないことを実現したい人間の願望」といえる。
また、人体実験はもちろんのこと、例えば貧富の差が人格形成に与える影響を調べるために、生まれたばかりの赤ん坊を両親から引き離して、貧困家庭と富裕家庭で育てさせるなどということも、倫理上当然許されない。「人間」や「人間に関わる学問」において「実験」や「証拠」に基づいた検証を行うことが難しいのは、これらの学問が持つ宿命かもしれない。
その中間的存在とも言えるのが、生物学、動物学などの学問だろう。彼らにはかわいそうだが、「モルモット」に代表されるように、危険な注射をされたり、臓器の一部を切り取ったり加えたり、さらには、子供を親から引き離すというような社会構造を確認するための実験も頻繁に行われる。
体の構造については、かなりの部分、自然科学的に立証できるが、細胞の間の相互作用などは、必ずしも数式で表すことができず「生命」の神秘を感じざるを得ない。胎児がいつから人になるのかは、いまだに各国で見解が分かれているし、「脳死」がほんとうに人間の死であるかどうかについても、議論が続いている。
さらに、細胞で構成される生物の体=個体が集団でどのように機能するのかを、数式で表すことは、少なくとも現在のところはできない。ファーブル昆虫記として有名な、フランス人昆虫学者ジャン=アンリ・ファーブルの「昆虫記」(第1巻が1878年の出版で、以降約30年にわたって全10巻で出版)を、ダイジェスト版で子供の頃読んだ読者は多いであろう。この本が今でも名著とされているのは、生物(の社会・行動)を理解するうえで「観察」が極めて重要であることを意味している。
動物や昆虫の社会でさえ、数式で理解することができないのであるから、それよりもはるかに高度な知的生物の集団である人間社会や経済を数式で理解できるなどと考えるのは浅はかである。
実際、色々な経済学派から経済学の祖とあがめられるアダム・スミスは、「オイスタークラブ」という昼食会を主催し、天文学者など当時の第一線の自然科学者たちとの交流を行ったが、「国富論」などの著書に数式など使ってい
ない。
●「心の無い」経済学は意味が無い
人間が「昆虫の気持ち」を理解するのは困難(擬人化されることはよくあるが、それが本当の気持ちかどうかはわからない)であるが、人間の気持ちを理解するのは比較的容易である。
アダム・スミスの本業(グラスゴー大学の道徳哲学の教授)の著書である「道徳感情論」は、当時「国富論」をしのぐ大ベストセラーであった。
ちなみに、「国富論」は「道徳感情論」の中の経済に関する諸問題を詳述するために、一種の別冊として出版されている。
この「道徳感情論」の中で、アダム・スミスは、「人間の行動を決める判断」において「共感」が占める極めて重要な役割を詳しく述べている。
共産主義、資本主義、どちらも基本的には「唯物論」であり、「共感」を始めとする「人間の心」が無視されていることが、大きな問題である。
例えば、「お金が欲しくない人間はたぶんいない」であろうが、「金さえもらえば何でもやる人間」も、滅多にいないはずである。
人間の行動の動機には、「(経済的)損得勘定」以外のものが相当含まれているのは火を見るよりも明らかなのであるから、「人間の心」を論じない経済学や社会学など全く無意味といえる。
<続く>
続きは「産業新潮」
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1月号をご参照ください。
(大原 浩)
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