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 昨夜は武者リサーチの武者さんと楽しく会食いたしました。
 わたしは長期で日本を応援するというセゾン投信共創日本ファンドのポートフォリオマネジャーなのですが、ファンドの応援のために、わが社のコンセプトムービーへの出演を快諾していただいたのです。厚かましいお願いにも関わらず、本当にありがたいことです。

 最近、ツイッターを始めました。フォロアーは9人ぐらいです。

https://twitter.com/TxEihu8hHkpNmiO


 さて、このコラムはわたしの実直な思いをスピーディーに伝えるために、セゾン投信としての山本ではなく、億の近道を主催するNPOイノベーターズフォーラムの理事の山本として書いています。


 昨夜は、友人たちと武者リサーチを熱く応援する会を有志で開催しました。
 結構、一流どころのレストランで開催しましたので出費ももちろん自腹。
 ちょっと痛いなぐらいの出費でしたが、得られた満足感は出費を大きく超えるものでした。

 武者リサーチの方々がとても喜んでくれたこと、友人たちも喜んでくれたことがなによりの満足でした。

 ポートフォリオマネジャーとして、ミクロの企業取材をボトムアップで行う身としては、武者さんのようなマクロ的視点での時代の流れをつかむ分析が必要不可欠なのです。

 その基本は、需要と支払能力。
 供給サイドを見る人が多いのですが、株式投資は供給側の動きは詳細に見えるのでそこに分析の中心を置いてしまうのですが、それで失敗するのです。
 需要と需要側の支払い余力を見ることが重要。

 たとえば、昨夜の一流レストランは丹精込めた料理とペアリングのワインが10程度でてきたので、ひとり数万円の価値があるが、ソムリエが懐石の一口のお皿に盛った料理に合うベストなワインを選ぶ。その繰り返しを10回やるわけだから、相当な手間暇がかかっている。
 マルクスは労働価値説を唱え、供給側の労力が付加価値の源泉だとしたが、それは一面では正しいが、この場合、店側の労働コストを意味している。
 ベストなワインを選べる技量を得るための膨大な時間、ベストなお肉を選ぶ経験を得るための時間、調達や料理の技術、顧客の体調に合わせた焼き加減など。

 わたしの尊敬する料理人のNさんは、予約が入れば4日前から仕込みに入る。
 当日、飲むのか、飲まないのかで、料理の中身はがらりと変わる。
 こうした技量に対して、わたしたちはその価値を認め、その対価を喜んで払えるのだろうか。

 それが需要側の問題であり、ケインズは、社会が貧しければそうした供給側の努力も無に帰してしまうことを喝破した。


 経済が回らないと、お金が回らないと、余裕がなければ、マルクスの説さえ成り立たない。だから需要をつくる責任がわたしたちひとりひとりにあるわけで、しっかりと他者のお仕事に対してお金を喜んで支払いたいという利他の行動が経済の基礎なのだということ。

 だから、生活が痛むぐらい出費をしてしまっても、それが持続可能な回数に留めるのであれば、それが経済を回すことになるのだということ。

 それが恵まれたものの社会的責任である。

 と、まあ、こんなことが金融リテラシーの基本なのですが、実際にはお金をケチケチして貯めることが金融リテラシーと思われています。

 わたしは恵まれているし、わたしたちのファンドの投資先の社員も大企業で働くことができて、恵まれている。恵まれていて、他者にカネを喜んで出さないならば、仕事をもっと頑張らんかい!!!とゲキを飛ばしている。
 うちのチームも日本一の努力を掲げている。日本一努力せんかい!!ということ。それが恵まれているものの務め。恵まれているものが頑張らないで、誰が頑張るのか。
 頑張ろうと思っても頑張れない人が多数いるこの世の中で、平均年収以上のものを得ている人々は恵まれているのだ。

 もちろん、投資家はものすごく恵まれている。
 恵まれたという自覚なしに、文句ばかりいっている人をたまに見かけるが残念でならない。

 ひとりひとりが、人間が生来持つ善良性やホスピタリティを発揮する、その心意気が経済なのであって、金利や為替などの外部環境に左右されるのを観察することは経済でもなんでもない。

 自分のことで精一杯な方々は多い。だが、それではダメなのだと自己を奮い立たせる人間をつくることが教育の役割なのだと思う。


 武者さんが大和証券に入社したのは1970年代でわたしが入社したのは1990年だから多少の世代の違いはあるものの、証券会社というものは当時は離職率4割の強烈な職場であった。
 興銀のカスタマーディーラー部門に出向した新人社員のわたしは朝の5時には寮を出て6時には出社していた。1時間かけて先輩たちに毎朝の資料を大量にコピーをして机に置いて回った。金曜日が終わると、土曜日は一日中寝ていないと疲れはとれなかった。20代であっても、みな、目にくまができていたものだ。

 それがよいとはいわないが、灰皿が飛び交う環境でトップの成績を上げてきたものたちがその後、ちゃんと出世していったわけだから、理不尽と思われる職場でも、なんらかの教育的な作用があったのだろう。

 昭和の人間にとっては、やりにくい社会になったが、令和の若者を昭和のスパルタ式で鍛えるというのも、運用会社の差別化になるのではないか。
 日本一の努力なしに、本物の一流運用者はつくれない。
 若手には継続的な努力を求めている。もちろん、わたしも全力でサポートしている。


(NPO法人イノベーターズ・フォーラム理事 山本 潤)


(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。)