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『捨てられる銀行』シリーズ著者 橋本卓典さんに聞く。現場で取材を続ける理由と、これからの金融機関に求められるサービス - 前編
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『捨てられる銀行』シリーズ著者 橋本卓典さんに聞く。現場で取材を続ける理由と、これからの金融機関に求められるサービス - 前編

2023-09-01 14:58




     今回の対談のゲストは、共同通信社編集委員として精力的に日本各地の金融機関、中小企業への取材を続けている橋本卓典さんです。

     2006年に共同通信社入社後、経済部記者として流通、証券、大手銀行、金融庁を担当していた橋本さんは、あるきっかけから地方に目を向け始めます。
     金融行政と地域経済・地域金融を追った取材の成果は、2016年5月に『捨てられる銀行』(講談社現代新書)となって発表され、ベストセラーに。
     その後も『捨てられる銀行2 非資産運用』、『捨てられる銀行3 未来の金融 「計測できない世界」を読む』を出版。
     最新作の「地銀と中小企業の運命」(文春新書)も含め、「人とは何か?」という独自の視点で書かれた著作は高い評価を得ています。


     前編ではそんな橋本さんのキャリアについて、後編では経験豊かな経済記者の目から見た「個人の資産運用とアドバイザー」について深掘りしていきました。
     


    ●メガバンクを取材する記者はエリートで「一軍」というのが当時の意識


    小屋 橋本さんは学生時代から記者の仕事を志望していたんですか?

    橋本 大学時代は経済よりも政治に興味を持っている学生でした。就職先としてメディアを志望していましたが、当時は政治部の記者になりたいと思っていました。

    小屋 共同通信社に入社された経緯は?

    橋本 ちょうど私が就職活動をしていた98年は、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が破たん、前年の97年には北海道拓殖銀行、山一證券、徳陽シティ銀行と、相次いで金融機関が経営破綻していて、銀行に公的資金が投入され、日本は戦後最悪の経済状態に陥っていった時期です。
     これはわたしたちロストジェネレーション世代の共通の感覚だと思いますが、昭和的な大企業に入れば終身雇用で一生安泰という価値観が崩れてしまったんですね。
     当然、厳しい就職活動でしたが、なんとか報道機関に入ったという形でした。
     腕を磨き、その後、共同通信社に転職しました。

    小屋 政治部を希望していたけど経済部の記者に。

    橋本 就活の途中で「経済を知らないと世の中のことは理解しにくい」と気づいたんですね。
     もし、今のままの知識で政治部の記者になれたとしても説得力がないだろう、と思い、経済部の記者を目指し始めました。
     希望が通って経済部で取材活動をはじめてみると、企業の経営不振、破綻といった問題では、最後の鍵を握る存在として銀行が浮上してきます。
     銀行は取引先に必ず担当者を付けています。相手が有力企業となれば2人、3人が専任で付くので、メディアよりもはるかに早く、精度の高い情報がこの担当者に集まるわけです。
     ですから、記者にとって銀行は重要な取材先なんです。すると、組織の中でがんばる記者は銀行担当、とくにメガバンクの担当になっていきます。
     それがそのまま組織のヒエラルキーとなり、メガバンクを取材する記者はできる記者で、エリートコースに乗っていて、出世する一軍記者と見なされる。それ以外は、二軍、三軍。そんな暗黙の了解がありました。

    小屋 そんななか、橋本さんはメガバンクを担当されていたわけですから、出世コースに乗っていたんですね。

    橋本 深く考えずにサラリーマン記者をしていた時代は、メガバンク担当として「どの企業が危ない」「どこそこの社長が替わる」「○○と△△が合併するかもしれない」といった話を追いかけていました。
     メガバンクは多くの企業と取引があるので、たくさんの情報が入ってきますから、取材対象としておもしろい。そういう意識でしたね。


    ●誰もやっていないからこそ、地方のリアルを取材する側に回ったほうがおもしろい


    小屋 そこから『捨てられる銀行』シリーズなど一連の著書につながる地方への興味、関心が高まっていったのはいつ頃なんですか?

    橋本 ニュースメディアはどこも、ワシントン特派員ですとか、ロンドン特派員、ニューヨーク特派員というのは、エリートコースの人に約束されたポストなんですね。重要地域の海外特派員を経験して偉くなっていくルートがあります。
     私はそれを望んでいたわけではないんですが、30代半ばで、そういうことも意識していました。ちょうどその頃、2015年に森信親(もりのぶちか)さんが金融庁長官に就任されました。

    小屋 森信親さんは、金融行政を大きく変え、「フィデューシャリー・デューティー」(※)(受託者責任)の徹底化や「つみたてNISA(少額投資非課税制度)」の創設など、2018年に退任されるまで、個人の資産運用についても多くの実績を残されましたね。

    ※フィデューシャリー・デューティ:受託者責任。顧客本位の仕事をすることの約束。投資においては、専らに投資家の利益のために働くことを命じること。長期的な利益と利便性を最優先し、最適な資産運用をサポートする。

    橋本 ドラマの『半沢直樹』にも出てくる「金融検査マニュアル」というのがあるんですね。キャラの強い黒崎検査官が出てきて、意地悪に査察をしているように演出されていましたけど、あれは法律とマニュアルに則って「金融機関が、倒産や貸倒れの可能性が高い企業には融資しない」よう検査をしていた。そのプロセスを決めていたのが、金融検査マニュアルです。
     当時の金融庁は将来に向けた金融のあり方を示すよりも、法令違反を厳しく取り締まり、金融業界の健全化を進めることに力を入れていました。しかし、実際にはバブル崩壊後の負の遺産はほぼ処理され、次のステップに向かう時期になっていたわけです。
     そんななか、2015年の段階で金融検査マニュアルを廃止する(実際に廃止されたのは2019年)と言ったのが、森長官でした。これからは地域金融改革と資産運用改革をやる、と。これが日本の金融行政の大事な2枚看板だと言われたんですよ。
     私は「これはとんでもない長官が現れた!」と驚いて、頭をまっさらにして取材に取り組みました。そうしたらあるとき、その森長官から、「メディアはヘンですね」と面と向かってのダメ出しを喰らったんですね。

    小屋 ダメ出し、ですか。

    橋本 どうしてメディアは、日本社会が直面している問題にリソースを割かないんだ。あいかわらずメガバンクが偉いというモードでいるようだけど、そうじゃないだろう?これから求められるのは、地方の問題、そして資産運用だろう、と。
     たしかに、人口減少は2008年くらいから始まっていて、地方や地域の産業の持続可能性が大きな社会問題になっていました。
     そこで地方の金融機関は大きな役割を果たしていくことになります。それなのにメディアはあいかわずメガバンクに人を多く配置して、地方金融機関は二流、三流の記者がやる。
     その価値観はおかしくないか?注目すべきは、地方銀行であり、信用組合であり、信用金庫である。それをなんで取材しないの?と言われたんですよ。

    小屋 なるほど。

    橋本 実際、社内では地方のことを誰も積極的にはやりたがらない。でも、森さんの指摘の通り、地方の構造的な問題は5年後に解決するようなものでなく、10年後、20年後とずっと続いていきます。
     こうした社会問題を追いかけたいと思って記者になったのに、いつの間にか自分の感覚もズレていたと気づかされたんですね。
     「人の行く裏に道あり花の山」じゃないですけど、投資と同じですよね。誰もやっていないからこそ、地方のリアルを取材する側に回ったほうがおもしろいのではないかと思ったんです。


    ●組織が変わろうとしていくときに起きる「少数決原理」というメカニズム


    小屋 とはいえ、一流の記者が歩むコースにいた橋本さんに森さんのアドバイスが響いたのはどうしてなんでしょう?

    橋本 これはまったくくだらない話なんですけど、私は中学校の時にちょっとトラウマというか、引っかかっている記憶があるんです。
     ある日、転入生の女の子が入ってきました。私は可愛い子だなと思ったんですよ。ところが、クラスの男子たちは可愛くないっていうわけです。そこで、私も引っ張られるように可愛くないって言ってしまったことがあるんです。
     そのときの、自分の価値観を否定して、同調圧力に負けてしまったという記憶がずっと残っていて、30代半ば過ぎのキャリアの転換に影響したんですよ
    ね。
     冷静に考えると不思議なんですけど、メガバンクを全部捨てて、地方銀行、信用組合、信用金庫の取材に全振りしたんです。

    小屋 周りの反応はどうでした?

    橋本 記者仲間はみんな反対していました。けれど、取材をしてみるとこれが本当におもしろい。それでもっと現場に居続けたいと思うようになったんですね。
     というのも、新聞社や通信社の記者の現役時代は意外と短くて、40代前半になるとデスクにならなければいけない。そういうキャリアパスしかないんですよね。

    小屋 デスクというのは、本社の編集部にずっといて記者の記事をまとめるようなイメージの役職で合っていますか?

    橋本 そうですね。経済部、政治部など、各部の記者がいて、ここは全員同じ階級です。そして、本社に上がると次長になりますが、これがデスク。その上が部長。あとは各記者クラブにキャップという30代後半の記者のとり
    まとめ役がいます。
     ただ、デスクになってしまうとほぼ丸1日本社にいて、現場には出ない。だから、現場で何が起きているかもわからなくなってしまうわけです。私はそれがどうしても嫌でした。だけど、会社には何歳になったらデスクにならなければならないという不文律みたいなものがあって。それから逃れるためにも、誰も追いかけていない地域金融の取材に自分の時間を集中していったところもあります。今も東京にいる時間はわずかで、日本全国を回っています。

    小屋 そうして地方を回って取材を続けている橋本さんが興味や関心を持っているテーマはなんですか?

    橋本 一貫して関心があるのは、物事を変容させる力はどういうメカニズムで生まれるのか?ということです。
    組織が変わろうとしていくときに起きることに注目しています。これは『捨てられる銀行』にも書いたエピソードですが、石川県金沢市にある北國銀行(現北國フィナンシャルホールディングス)は銀行業界でいち早く融資の営業ノルマを廃止しました。
     当時、北國銀行は地域の人口減や少子高齢化による市場規模の縮小、法人への資金需要の減少、少子化による個人へのローンの減少など多くの課題に直面していていました。
     そんななか、「顧客志向」への転換を打ち出し、営業目標を撤廃。貸出残高などの数字で行員を評価するのではなく、顧客のために動いたプロセスを評価する体制に変わっていったのです。そして、その動きは今では大手都市銀行にも広がっています。

    小屋 市場規模の縮小や貸金需要の減少は、どの地域の金融機関もぶつかっている課題ですよね。でも、変われる組織とそうではない組織がある。

    橋本 そうですね。こうした変容が起きるとき、鍵を握っているのは組織内の少数派です。彼らが組織を変えることができたのはどうしてなのか。そこには「少数決原理」というメカニズムが働いています。
     少数派の側に個人的な利益誘導ではなく、決してゆずれない信念と合理性があり、それに多数派が共感したとき、組織が、世の中が大きく動きます。水が氷になるように、相転移が起きるのです。
     そうした事例は全国各地にあります。その1つ1つを取材し広く伝えていくこと、キーマンとなった人を別の地域でがんばろうとしている人とつなぐことにやりがいを感じています。
     出会った人たち一人ひとりの人生、彼らの関わる組織が幸せな方向に変わっていくことが、自分の喜びになっていますね。


    後編へつづく


    株式会社マネーライフプランニング
    代表取締役 小屋 洋一


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