週刊 石のスープ
定期号[2012年1月19日号/通巻No.23]

今号の執筆担当:渋井哲也
※この記事は、2012年1月に「まぐまぐ」で配信されたものを、「ニコニコ・チャンネル」用に再配信したものです。



 昨年の震災直後から精力的に被災した各地を取材している渋井哲也さん。3月15日に電車で宇都宮に行き、翌16日に車で水戸を取材しました。さらに19日、津波被害で死傷者の出た千葉県旭市で取材をしたそうです。
 引きつづき、当時の取材について振り返ってもらいました。

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■旭市は震災直後、東京から電車で行ける津波被災地だった

 2011年3月19日。私は、関東で唯一、津波による死亡者(死者13人)が出た千葉県旭市飯岡地区に行くことにした。
  前回の記事(2011年12月1日号)で取り上げた上野〜宇都宮間と同様に、東京駅からすでに電車が運行可能な状態だった。そこで、JR総武本線の旭駅ま で電車で行くことにした。茨城県のJR水戸駅まではまだ開通していない時期だったため、東京圏からは唯一、電車で行ける津波被害の地域が旭市だったという ことになる。
 この日は、社会福祉の業界紙「福祉新聞」の記者と同行していた。

 旭市は、銚子市の手間に位置している。犬吠埼の 西側であり、地形としては、ややくぼんでいる。その辺りに飯岡漁港がある。この漁港には、少しだけ縁があった。新宿ゴールデン街でバーのオーナーをしてい る知人の父親が所有する漁船があったが、津波によって陸に揚げられたという。私が行った19日にも、何隻も漁船が陸に打ち上げられているのを目撃した。

  JR旭駅に着く。電気も普通に通っているし、地震被害があるようにも見えない。小さな駅改札口を抜けると、そこには小さめのロータリーがあり、タクシーが 並んでいた。特に「被災地」という印象はない。電車の利用者も「被災」しているイメージがまったくない。駅前は通常の生活そのままだった。
 駅から津波被害のある飯岡地区は遠いのだろうか。タクシーに乗って、運転手に聞くことにする。地元のタクシーなら、どこが被災地か一度くらいは見ているはずだ、と思ったのだ。

私  「運転手さん。津波被害のあった場所までどのくらいで着きますか?」

運転手「津波被害ですか?私も聞いているだけで、行ったことはないんですが、たぶん、15分くらいじゃないでしょうか」

私  「それほど、みんな行かない地域なんですか?」

運転手「そうだね。少なくとも、私は行ってないなあ」

  駅を少し離れれば、田園風景が広がっている。おそらくは、地元の人は、自動車がなければ生活はかなり不便だろう。そのため、駅からタクシーを利用する際、 地元の人が客となるケースはほとんどないのではないか。利用するとすれば、駅近くに旭中央病院があり、病院を利用する患者や付添人が多いとは想像ができ た。その意味では、タクシーで飯岡地区に行く人がいるのは珍しかったに違いない。