理想の歯科衛生士像【DHブログ - Vol.12】
『理不尽なことがあっても、礼儀は忘れてはいけない』
1982年、秋田に嫁ぎ秋田市で就職先の歯科医院を探していた時は、歯科衛生士免許をもつ新卒よりも地元の短大を出た人材を採用する傾向が強く、歯科医院への就職は厳しい時代でした。私がどんなに歯科衛生士として予防業務に夢を抱いていても、法律が変わらないと歯科医院での就職は難しいと感じてしまうほどでした。
それから少し世の中が変わり、2番目の子が幼稚園に入ったタイミングでの就職は割とスムーズだったと思います。再復帰した年(1995年頃)に歯科衛生実地が算定できるようになり「歯科衛生士をパートでもいいから採用したい」と引く手あまたな状況になったのです。また、子供を持つ歯科衛生士への理解も変わり、子供を幼稚園に送り出してから帰宅するまでの短い時間を利用しての短時間勤務ができる医院が増えていました。かつ、時給も当時の他のパート業務に比べると大変高額でした。
しかし、いつまでも有利な状況ではありませんでした。パートという雇用形態で2年間働き、子どもも大きくなってきたので、少しずつ働く時間を増やし、いずれ常勤で働きたいと考えていましたが、常勤で働くことはできませんでした。理由は、扶養範囲内で働くという制限でした。高い時給ゆえの扶養範囲内の所得制限に、当時の働き方は規制にかかったのです。
2人の子どもの学校行事や習い事等を考えると午後は子どもために時間を使いたいし、また将来を見据えて収入ももう少し増やしたいし、と悩んだ結果、扶養枠を外した働き方に変えたのです。
いくら時給が高くても、扶養を外し働くことへの抵抗と不安はありました。どうしても、子どもの体調不良で突発的に仕事を休まなければならないことが出てきます。当然休め収入は減ります。このリスクバランスを考え、2件の歯科医院をかけ持ちしたこともあります。
私の諸事情を理解し、採用していただいた先生には感謝していました。しかし、後日その先生が陰で「医院を掛け持ちして働くなんて、医院の情報を持ち出すスパイだ」と批判されていたことを知りました。『スパイ』この言葉は私には余りにも衝撃的でした。『私の歯科衛生士としての人生は、権力者に拘束された環境下でしか働くことができないのか』と悔しい思いがふつふつと湧いてきたことを今でも覚えています。同時に『フリーランスとして活躍する歯科衛生士になる!』と決意させました。当時のこの決意が、今の私の会社設立までに繋がっています。
陰で批判されながらも、私はこの歯科医院で2年間働きました。批判されていて悔しい気持ちもありましたが、最後まで礼儀を持って働きました。そして退職時には、送別会まで開いていただきました。
あれから20年、時代の流れと共に歯科衛生士に求められる業務も増えました。歯科衛生士不足はまだまだ続き、フリーランスとして働く歯科衛生士も珍しくなくなりました。フリーランス歯科衛生士に偏見を持つ人も少なくなったと思います。良い職場を求め、転職を考える方も増えてきています。
しかし最近は、「フリーランスとして働くため」や「結婚などキッカケに条件が良い職場へ転職」という前向きな理由ではなく、上司とのトラブルや、ちょっとしたいざこざが原因で、直ぐ辞めると言うスタッフが多いように感じます。
私の経験から、転職を考えている方やフリーランスを目指している方に覚えていて欲しいことがあります。それは、退職がどんな理由であっても礼儀を持って退職する事です。地方都市の場合は特に。歯科業界は意外と狭い世界です。情報はすぐに広まります。これからも歯科業界で働いていくのであれば、喧嘩別れのような退職は避けていただきいたいと思います。
~素敵な私たちでありますように~
長岐 祐子
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