野田稔・伊藤真の「社会人材学舎」VOL.3 NO.4 

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コンテンツ

今週のキーワード
「立つ鳥跡を濁さず症候群」

対談VOL.3  岩瀬大輔氏 vs. 伊藤真
他人のほうがうまくできることは
他人に任せよう。そして自分は、
自分にしかできないことを恐れずやり切ろう

第4回 まさに親子の二人三脚が成功と成長の秘訣

粋に生きる
4月の主任:「玉川奈々福」
第4回 自分のスタイルを確立させることにこそ価値がある

誌上講座
テーマ3  パワーラーニングメソッド
第3回: 知識の数ではなく、その質で勝負する

連載コラム
より良く生きる術
釈 正輪
第12回 輪廻転生という世界観、修行と誓願という方法論

Change the Life“挑戦の軌跡”
「あられ屋です」。その言葉にプライドあり!
第4回 次なるステージへ、その歩を進め始めた

NPOは社会を変えるか?
第12回 NGOが推進すべき日本の海外貢献
――公益財団法人CIESF(シーセフ)

政治・行政にやり甲斐はあるか?
4月のテーマ: 国政調査権と政治家の覚悟
第4回 現地調査対策本部の活躍の一端と課題





今週のキーワード
「立つ鳥跡を濁さず症候群」

 会社を辞めて、新たな道に踏み出すと決めた人にも、「立つ鳥跡を濁さず症候群」が多い。

 もちろん、それは悪いことではない。しかし、必要以上に時間を掛けて、驚くほど丁寧に行う人が目立つ。

 決して急がず、それこそ完璧に仕掛かりの仕事をやり終え、引き継ぎが終わるまで時間を掛ける。普通、新たな挑戦には時間がないものだが、大企業に長いと、そうした切迫感がなくなっていく。中年になると、ますますそうなる。

「あなたがいなくても、それほど組織は困らない」「周りの人間は、そこまであなたのことを気にしていない」ということに気づいたほうがいい。と言うか、そう思って楽になったほうがいい。

 あくまでも傷つきたくないのだろう。臆病なのだろう。組織に嫌われたくない、嫌な奴だと思われたくないということなのだろう。

 もちろん、前職と悪い関係にならないにこしたことはないが、過剰にそこを気にしても仕方がない。辞めると決めた以上、腹をくくって覚悟をしなければ、今の組織にも、新しい組織にも失礼だ。人生はすべてタイミング。

 タイミングだけは逸することのないように。



対談VOL.3
岩瀬大輔氏 vs. 伊藤真

他人のほうがうまくできることは
他人に任せよう。そして自分は、
自分にしかできないことを恐れずやり切ろう

本誌の特集は、(社)社会人材学舎の代表理事である野田稔、伊藤真をホストとし、毎回多彩なゲストをお招きしてお送りする対談をベースに展開していきます。ゲストとの対談に加え、その方の生き様や、その方が率いる企業の理念などに関する記事を交え、原則として4回(すなわち一月)に分けてご紹介していきます。

今月のゲストは、ライフネット生命保険株式会社の代表取締役社長兼COOである岩瀬大輔氏です。
いよいよ最終回です。ライフネットを支えるもう一人の雄、出口治明氏が話題に登場します。真逆の二人が手を組み、独立系のネット生保がベンチャー企業として産声を上げます。さて、何が彼らを成功に導いたのでしょうか。

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第4回 まさに親子の二人三脚が成功と成長の秘訣

業界のカリスマ、出口治明氏との出会い
彼は自分の“遺言”を、自分で実現することになる

伊藤:出口治明さんとの出会いについて聞かせてくれますか?
岩瀬:出口は、保険をやるのであれば、保険に詳しい人がいないとダメだよねという話になって、谷家さんが探してきてくださったのです。
 そもそも、保険業界でベンチャーを興すというアイデアが、僕には最初はついていけない話でした。
 谷家さんは、「保険業界は規制で守られていて、本当の競争にさらされておらず、ぬるま湯に浸かっている。非効率が温存されている業界は、イノベーションを通じて価値を生む可能性を秘めている」と言うわけです。
 それで保険業界での新しいアイデアを考えるべく猛勉強をしました。しばらくして、いくつかのアイデアを携えてミーティングに向かったのです。
 そこで出口と出会いました。これがまた最初の印象は「管理人のおじさん?」だったのですよ(笑)。
 それで会議が始まって、準備してきた60ページあまりの資料を使ってプレゼンをしてのですが、出口は全く興味を示しませんでした。
 そしてやおら立ち上がって、説明し始めたのが、ネット生保というアイデアでした。今の生命保険業界の構造的な問題の中核にあるのは100年以上続く1社専属セールスというビジネスモデルだと言うのですね。その状況を打破するためには、営業職員を持たないネット生保を作るべきだと淡々と語るわけです。しかも、その事業の市場規模は40兆円。僕が考えてきたビジネスプランは4000億円に過ぎませんでした。
 出口は最後に言いました。「ゼロから新しい生命保険会社を立ち上げて、業界に変革を迫りたい。それが、私が34年間お世話になった生命保険業界、大好きだった業界への一番の恩返しになる」と。
伊藤:谷家さんは、どうやって出口さんと出会ったのですか?
岩瀬:聞くところによれば、旧知の投資家に相談をしました。条件がユニークでした。「本当なら大保険会社の社長になれたはずなのに、なれなかった人材はいないか」というものでした。それで紹介されたのが出口だったのです。二人は出会って、わずか30分で手を握ったようです。
 その際に出口は、「自分のパートナーは若くて生命保険のことは何も知らない人がいい」と言ったそうです。渡りに船ですよね。谷家さんは、「たまたまぴったりの人材に声を掛けてあります」と答えたそうです。
伊藤:出口さんは、日本生命の中でも有名人で、確か、MOF担、つまり当時の大蔵省との交渉役として、また業界の代表として金融制度改革の矢面になっていたのですよね。
岩瀬:当時58歳で、ちょうど父親と同じ年齢でした。生保業界のオピニオンリーダーでした。『生命保険入門』(岩波書店)という著書も、プロの間でバイブルといわれていました。ところが、55歳の時の役職定年で、子会社のビル管理会社へ飛ばれてしまったのです。
 ちょっとリベラルすぎて、少しプログレッシブ過ぎたのだと思います。それで干されたというか、上司と一緒に飛ばされてしまった。そこで自分のサラリーマン人生は終わったと思ったそうです。それで遺書のつもりで書いたのが、先ほどの著書です。金融庁の人にある時に聞いたら、「うちは皆、この本で勉強しています」といわれました。
 その本の中に、生命保険業界の将来について書かれていて、生命保険市場は少子高齢化では必ず縮小していく。だから取るべき道は3つしかない。
 1つは損保と合併して大きな保険会社グループになること、もう1つは完全に海外に出ていくこと、もう1つはすごくスリムになって、ネットで売る保険のH.I.Sみたいな会社が生まれるべきだと書いてあるのです。
 それを後に自分でやっている。すごいですよね。本人はそれを書いたときには、まさか自分がやることになるとは夢にも思っていなかったわけですけど。

真逆の人間だけど、価値基準が似ている
だからこのコンビはうまく行っている

伊藤:年齢もずいぶん違うよね。当時は58歳と30歳ですか。父親と同じ年だと言っていたよね。そういう二人の二人三脚はどうだった? うまく行くところもあれば、お互いにぶつかるところもあると思うのだけど。
岩瀬:まさに、親子のよう、ではなくて、親子なんですよね。始めた頃は、正直、自分の親父と同じ年のおじさんと二人きりっというのは結構辛いかもしれないなと思っていました。
 ところが実際には、全く辛いということがありませんでした。それで気づいたのは、人間、年の差よりも価値観や性格が一致していることのほうが大事だということです。
 多分、出口は若いころは生意気だったのだと思いますし、たくさんチャンスをもらって、大きなチャレンジをしてきたから、今自分が若い人間に任せることも怖くないのだと思います。結局、私と価値観も似ているし、好きな人間のタイプも近いので、ぶつかったことがないのです。
伊藤:稀に見る相性の良さだったわけだね、きっと。
岩瀬:そうかもしれません。もう1つ大きかったのは、これは出口も言っていることなのですが、年齢が違いすぎるのがよかったということです。これがなまじ10歳ぐらいの年の差だったら、気を遣う分、やりにくかったと思います。
 でも私たちの場合は何度も言いますが、お父さんと息子なので、何でも言い合うのですね。「さっきのプレゼン全然ダメですよ。何ですかあれ?」とかとね。下手な気を遣わないのです。
 もちろん、上の人間、つまりは出口の懐が深いから成り立っている関係なわけですが、お互いの役割がうまくできているのです。出口はこの会社を始めたときに、すでに60歳に近かったので、自分がずっとやるわけではないとわかっているわけです。だから、次の世代につないでいくのが自分の仕事だと最初から思っているので、自分がいなくても回る仕組みを作ろうとしていたわけです。
伊藤:自分の分というか、役割を守って、逸脱しないということですね。
岩瀬:会社の骨格を作る。ビジョンを創る。僕らはマニフェストと呼んでいますが、それを作ったら、後は若い人にやってもらう、やらせると心得ていたので、うまく行ったのだと思います。
伊藤:似た者同士でもうまくいかないけど、全く違ってもうまくかみ合わない。性格とか好き嫌いの基準とか、大事なベースが同じというところがよかったわけだね。
岩瀬:そうですね。年齢も似通った似た者同士だと、それもまたうまく行かないと思いますね。僕らの場合は、年齢も違うし、スペシャリティも違う。経歴も違うわけです。ただ、価値観が同じだった。軸は同じだけど、それ以外は全然違う者同士の組み合せです。出口が最初に谷家さんに言ったように、真逆の人間であるわけです。生命保険のことなど知らない若者と一緒にやりたいと言ったわけですから、それがやっぱり今のところビジネスが奏功している理由の1つだと思いますね。
 多いケースは、ニッセイで10歳くらい下の一番できる人を連れてくることだと思います。そうしたくなるじゃないですか。でもそうすると所詮、ミニニッセイにしかならないとわかっていたので、まるっきり真逆の人とやりたいと言ったのだと思います。
 これはなかなか真似できないと思います。だけど、全然違うから、いいコンビになれたし、何か補い合えた気がします。
伊藤:だけどそこまで価値観が同じというのは、稀有な例かもしれないね。
岩瀬:象徴的なのは、人を採用するときなのです。
 というのも、ナンバー3で、常務取締役の中田華寿子という女性がいるのですが、彼女はマーケティングの専門家で、スターバックスの役員だった人間です。
 僕らは保険会社なわけですが、マーケティングは保険らしくなくやりたくて、だから、彼女が適任だと思ったのです。だけど、普通の反応は、「コーヒーと保険と何の接点もないじゃない。なんでそんな素人を入れるの?」というものなのです。
 それがわかっていたから、出口に会わせるときに「わかってくれるかな」という心配もあったのです。ところが、出口の反応は、「滅茶苦茶いいじゃん!」。というふうに、誰を仲間にしようかというときに、気が合うのです。これはとても大事なことですよね。
伊藤:大事だね。それは本当に大事。何か足りない部分はあるのだろうか。
岩瀬:これは、二人とも同じだから困る点ですが、欲があまりないのですね。よくも悪くも、お互いに私欲みたいなものが薄いんですよ。これはいい点でもあるのですが、会社の成績という意味ではもう少しがつがつしないといけないと思います。お金にあまり興味がない、というか、なさすぎる。会社って、儲けようと思わないと儲からないので、これはよくない点でもあります。
伊藤:まあ、あまりがつがつすると、投資のほうで大やけどするからね。
岩瀬:そうですね。でも、もうちょっとハングリー精神を持たないとダメでしょうね。出口の話を聞いていると、NPOみたいに聞こえますからね(笑)。

自分たちが買わない保険を売り、

自分たちは転換しない保険を転換させる保険会社

伊藤:保険業界にある情報の非対称性の話をしていたよね。それを打破するために、マニフェストを作った。行動指針を定めて、「生命保険をもっとわかりやすくする」「安くする」「もっと手軽で便利にする」と宣言している。ベースには谷家さんや出口さんの知見があったわけだけど、岩瀬君自身はどんなところに義憤を感じたの?
岩瀬:契約者、つまり消費者はよくわからないままに、必ずしも自分たちにとってベストではない商品を売りつけられているところがあると思っています。
 しかも、生命保険会社の人間には、お客さんに売っているものとは別に、自分たち用の保険とでも言うべきものがあるのです。
 もう1つ象徴的だったのが、以前の話ですが、90年代に転換セールスというものが流行ったらしいのです。社会問題になりました。どういうものかと言うと、生命保険会社はバブルの頃に高い利回りを一生保障しているのですよ。5.5%終身とか、6%終身というものです。ところが今は、金利が低い状態なので、生命保険会社にとっては、非常に厳しい状況であるわけです。それでどうしたかと言うと、利回り1.5%のパッケージ商品を作って、お客さんのところに持っていって、こちらのほうが保険料が安くなりますと言って、転換を進めていったのです。
 だけど、当然ながら、自分たちが個人で入っている商品は絶対解約しない。それが問題になって、新聞などが報道して、それで大蔵省が怒って、その時はなくなったのだけど、同様のことはその後もありました。
「そろそろ更新の時期ですよ。ご加入中の商品よりも充実した保障を同じくらいの保険料でご案内できるようになりました」という常套句がありますよね。これは不思議な話です。更新の時期が来るということは、それだけ契約者は年を取っています。それでも保険料が上がらない。これは、貯蓄から掛け捨てに保険を変更する。期間の長い保険から短いものに変更するからできることなのです。
 改悪ですよ。あるいは、必要以上に高い保険に入らされてしまうことも多々あります。そういうことを教えてあげたいと思って、会社としては手数料を開示したり、個人としては本を書いたりしているわけです。

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社員が増えても

大事にしたい“らしさ”がある

伊藤:社員も増えてきていると思うけど、この先、どんな会社を作りたいですか?
岩瀬:会社を作る人は皆そうだと思うのですが、ゼロから会社を作れるって素晴らしいことだなと思っています。せっかくそうした機会に恵まれているのですから、何かとびっきりいい会社を作りたいという思いがあります。それはどういうことかと言うと、その会社の一員であることを誇りに思えて、そこで働いていることで自己実現ができて成長できる、そういう会社を作りたいなという思いでやっています。若い人でもどんどんチャレンジするチャンスを得られる会社ですね。
伊藤:進捗はどうですか?
岩瀬:なかなか思い通りにいかないこともありますが、……ただ、うちの社員は皆、会社に対する誇りはきっと持ってくれていると思っています。メディアでよく取り上げられることも嬉しいだろうと思いますね。それは社会に期待されているとか、いい役割を果たしているからだと思うので。
 象徴的なのは、年に1回行っているファミリーDAYです。職場に、配偶者・パートナーやお子さんを招待するのです。職場見学、逆授業参観のようなものです。これがとても好評なのです。そんなふうに、皆の仲がよくて、暖かい会社であり続けたいですね。
伊藤:職場を活性化するために、地味な仕事にスポットを当てたりもしているよね。
岩瀬:従来の生命保険会社では、営業職員が花形で、事務の人たちは裏方みたいなところがあります。だけど、生命保険会社の仕事って何かと考えると、保険を売るのが仕事ではなくて、契約者が実際に困ったときにスピーディに対応して、お支払することなのです。そうなると、実は事務こそがメインの仕事なのですよ。
 だからそこを大事にしたいなと思っていて、どこまでできているかわからないのですが、転職してきた人たちには、「前の会社では裏方だったけど、岩瀬さんが中心だ、中心だと言うから意識が変わった」と言ってもらえることがありますね。
 後は、皆から学び合うカルチャーも育てています。社内で勉強会をやっているのですが、社員が交代で皆、講師になっています。
伊藤:皆が教える側にもなり、学ぶ側にもなるということですね。どんな役職の人も同じなわけですね。
岩瀬:そうです。もう1つ、重視しているのが社員ブログです。外部に開示しているのですが、開業前から1日も途絶えずずっと毎日更新を続けています。これは基本的には全員が書く。一時期、頭が固い役員から、「そんなの文章がうまいやつだけ選んで、そいつに書かせればいいじゃないですか、下手なやつもいるんだから」と言われたのですね。
 だけど、目的はうまい文章を書くことではない。実際、これは結構社員が喜んでいるのです。たとえば友達に電話しているのですよ、「今日、俺のブログ出ているから見て」と。要するに、普通の社員が会社を代表して社外に発信する機会ってなかなかないですよね。このブログは、そういう機会なのです。
 しかも、外から見れば、包み隠さず、会社の姿が見えてくるものです。毎日、もう何日だろう? 2000日以上書いているわけです。それを全部見れば、会社の本質は絶対隠せません。これは、会社のすべてを公開するという意味でも継続しています。
伊藤:一人ひとりが主役ですね。それが外から見える。まさに信頼づくりの基本だね。
岩瀬:そうですね。顔が見える会社になりたいのです。特にネット生保なので、営業がいないから、信頼が第一なのです。
伊藤:どういう人がこの仕事をしているのか、どういう思いでやっているのか。そこを見せていくというのは、確かに重要だね。会社の基盤づくりだと思います。

自分ならではの豊かさを、一歩踏み出さすことで
見つけた人から幸せになれる

伊藤:いろいろ経験してきた岩瀬君だからこそ言える、そんなアドバイスがたとえば30代の人にあるだろうか。現状に不満がある、だけど次の一歩の踏み出す先がわからない、そんな若者に対するアドバイスがあれば。
岩瀬:僕が応援している慎泰俊氏が書いた本でいい本があって、『働きながら社会を変える』(英治出版)という本なのです。彼は、外資系の金融機関で働いていたのですが、今では児童養護施設を応援するNPOを経営しています。
 そのタイトル通りだと思うのですね。今はいい時代なので、1つの会社に就職して、そこで働きながら、週末にNPOをやってみるとか、ボランティアをするとか、ネットを通じてさまざまな挑戦をするということができるわけです。
 だからまずは、課外活動だと思って、自分が興味を持ったNPOを手伝ってみればいいと思いますね。僕もいくつかかかわっているのでわかるのですが、結構さまざまな社会人が来ていて、会社とは違うコミュニティを作って、頑張っています。
伊藤:転職はどう?
岩瀬:転職のルールは2つだと思っています。1つは、決してネガティブな理由で転職するなということです。嫌だから辞めるというのはよくない。3年間我慢して、その仕事は誰よりもできるようになってから、前向きな理由で次に進んだ方がいいはずです。と言うのも、後ろ向きの理由で辞める人は次に行ってもやっぱり後ろ向きですよね。人のせいにしたらダメだと思う。それが1つと、もう1つは、迷ったら止めろというものですね。本気になったら、迷わないものです。早く転職したくて仕方がなくなります。そんなものだから、悩むくらいならば、しなければいいと思いますね。
 ただ、それ以外であれば、何でもいいので、とにかく一歩踏み出すことが大切ですね。セミナーや何らかのイベントに行くのでもいいと思います。一歩動き出せば変わる。動かなければ何も変わらないですよ。
伊藤:確かに、頭の中でぐるぐる考えているだけでは何も変わらない。人に会ってみるとか、新しい本を読むとか……。
岩瀬:そうですね。ただ、本を読むというのは諸刃だと思います。それで何もせずに気持ちよくなって終わってしまうということも少なくないので、そこは注意を要します。だから、自分に枷をかすのがいいと思います。たとえば、本を読んで感動したら、何か1つ行動を変える、生活を変える。小さなことでもいいから、変えてみる。それで変わっていくような気がします。
伊藤:経営者として、これからどんな時代になると思っている?
岩瀬:いろいろ言われますが、日本に関して言えば、すごくいい時代にいると思っています。と言うのも、価値観であるとか、働き方、生き方において多様性が受容される社会だと思うからです。でも、それってすごく難しいことでもあるのです。自由であることは、重荷でもありますよね。だから、ある意味では大変な時代です。昔は何も考えなくてもよくて、ただ会社に入ってそこで一生勤めて終わりだった。それが今は、さまざまな選択肢があるので、恵まれているのだけど、反面、大変でもある。どう生かすかは自分次第ですからね。
 世界はどうかと言うと、市場がどんどん成熟してきて、低成長になっていくので、豊かさというもののあり方がどんどん変わっています。物質的な豊かさではなくて、精神的な豊かさが大事になっていますよね。だから、何か自分なりの豊かさを見つけられた人が一番幸せのような気がします。昭和的な価値規範ではなくて、自分ならではの豊かさを見つけなければいけない時代だし、見つけた人から幸せになれる時代でもあると思うのです。
 ITをはじめ、テクノロジーの進化のおかげで、さまざまなこと可能な時代でもあります。家に居ながらにして、スティーブ・ジョブスのスピーチを聞くこともできる。いろいろな勉強もできますし、いろいろな人のスピーチを聞いて、低コストでいろいろと刺激を受けています。
伊藤:アメリカの大学は結構無料でいろんな講座を開放しているよね。
岩瀬:そうなのですよ。でもそれをうまく使いこなしている人は少ないような気がしています。技術はあってコンテンツも揃っているのだけど、好奇心旺盛にいろいろなことをトライしていこうという人間が少ない。人それぞれ、何とか工夫をして、学び取るべきでしょうね。
伊藤:学ぼうと思いさえすれば、それこそいろいろな機会はあるし、素材もあるしね。
岩瀬:そうですね。でもそこにはそれなりに工夫と努力がいるので、それをやっている人がほとんどいないと思うのです。それを貪欲にやれば、すごくいろいろなことが得られる。だから、お金ではなく、努力次第で豊かさに差が出る時代ですかね。努力と気づき次第なのだと思います。
伊藤:私もそうだったけど、まだまだ30代は不安ばかりかもしれない。でも、不安は可能性の裏返しだから、そこは割り切るべきなんだと思う。
岩瀬:ある意味、不安でなかったらダメですよ。変わらなくてはいけないというモチベーションになるからです。「今に満足していたらダメでしょう」と言いたいですね。
伊藤:もやもやしているのも、むしろエネルギーの源泉だというわけかな。
岩瀬:ただ、ずっとモヤモヤしているとダメなので、前へ進む。そのきっかけを探さないとダメですね。さきほどと違う話になりますが、まあさらに先に進めばということでいいと思うのですけど、セミナーばかり行って、本だけ読んで何も行動しない人が多い。むしろ、NPOなどに参加すべきですね。
伊藤:お祭りの実行委員会をやってみるとか、町内会の運動会に出てみるとか、何でもいいんだよね。
岩瀬:そこで、気づきとか出会いがあるのです。
 簡単に起業ができるわけではないし、転職も大変。それよりも簡単なことがいっぱいありますから、自分のニッチを見つけられた人は幸せですよね。自分の居場所、立ち位置も見つかるはずです。
伊藤:そこから自分のやるべきことも見えてくる。自分にしかできないことだと気づけば幸せだね。
岩瀬:そうですね。
伊藤:本日はどうもありがとう。


*次週からは、ソフィアバンク代表、藤沢久美さんの登場です。



粋に生きる

4月の主任:「玉川奈々福」

このコーナーでは、芸人、職人、アーティストの世界の住人にご登場いただきます。プロとして生き、極める心構えと葛藤などにつきお聞きするとともに、それぞれが極めようとしている世界について語っていただく。そんなコーナーです。
今月ご登場いただいているのは、玉川奈々福さん。次代を担う浪曲師です。編集者出身。そうした経歴がためか、自身の会を中心にさまざまな公演をプロデュース。それまでの常識を覆して珠玉の新作も創り披露しています。曲師、沢村豊子師との舞台上での掛け合いは、他に例を見ない圧倒的な迫力で観客に迫り、情緒とペーソス、時に笑いに包まれた物語を紡ぎだす。最終回は、大きな決意について語ってもらいました。

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第4回 自分のスタイルを確立させることにこそ価値がある

玉川奈々福が食っていけなければ、
もう浪曲はおしまいだ

 木馬亭の定席を、月に一度、あるいは二度行う。それとは別に4カ月に一度、ネタおろしの主催公演をおはようライブと称して行っている。その月にはそのネタを神保町のらくごカフェで再度唸る。

 その他に、胴元のいる定期的な会があり、自主公演もある。年1回の「浪曲タイフ~ン」という会も人気だ。東西の浪曲若手競演の会や朝鮮の伝統的民俗芸能であるパンソリとの共演など、さまざまな会を催している。

 さらに最近では、裾野を広げようと「ガチンコ浪曲講座」なるものも主催、京都造形大学で講師としてワークショップを開催したりもしている。

「昔は道場があったもの。浪曲を習って、ちょっとでもわかると共感してもらえます。見方がわかるから、その場を共有できるお客さんが増える。そのための骨惜しみはしないと決めています」

 落語と同じ演題を並べたり、講談と落語と浪曲で同じ清水次郎長伝を合わせたりと、さまざまな試みをし、テレビやラジオへの出演回数も増えた。

 でも、「もっと広げたい。ただ、私ができることはある程度すでにやっている。この先は私一人の力技では無理だと思います。お陰様でリピーターの方は増えました。131席の木馬亭ならばいつでも満杯にできます。でも、もう1つよく使わせてもらっている、亀戸のカメリアホールは400席ですが、この規模は埋められない。だけど、ここを一杯にできるようにならないといけないと思っています」

「今、浪曲だけで食べていけるのは国本武春師匠くらいだと思います。落語や講談とは残念ながら市場規模が違う」

 あるところまで、奈々福さんも二足の草鞋だった。筑摩書房の編集者を辞め時は難しかった。福太郎師も、「簡単に辞めるな、出版社の給料を、浪曲だけで3カ月間続けられるようになるまで辞めるな」と言われたそうだ。

 でも、それは実演、つまりはライブだけでは無理だ。だからメディアにレギュラーを持つとか、何かをしなければ難しい。でも、そんなことを言っていては、いつまで経っても辞められない。辞めたかったわけではないが、身体がきつかった。いや、きつすぎた。身体が続かない。このままでは死ぬと思ったことも何度かあった。全身蕁麻疹も経験した。もう両立は無理だと思い知った。

「まだ裏稼業かい」などと、嫌味を言われることもないではない。フルタイムで働きながら、新作も創るし、プロデュース稼業もやっていた。出版社はフレックスタイムで裁量労働制だから許される。しかし、許されるためには結局、寝る間を惜しんで頑張るしかない」

「もういいかなと思ったのです。死んじゃあ、さすがにまずいよなって思った。“食える食えない”はいったん脇に置いて、こっちでフルタイムで働いていた分の時間も、浪曲にぶつけたときの自分に、もう少し期待してもいいのではないかって思えてきた」

 こうまで思った。

「私が、もしも100%の時間を浪曲に振り向けたときに、それでも自分がダメだった、もう浪曲は終わりだろう。玉川奈々福が食っていけないのであれば、もう浪曲はダメだと思った」

「私は、浪曲界の中で、私以上に頑張っている人間を知りません。そんな私が、100%を振り向けて頑張ったときに、後からついてくる子たちの希望の星になれるかどうかを試してみたかった」

 そうして元編集者。出版社出身の浪曲師が生まれた。私が食えないようなら、浪曲の世界はもう終わり。それだけの旗を立てた女流浪曲師が誕生した。

 それで食えたているのか。希望の星といわれる自信はついたのか。その質問をするには、もう少し、時間を要するようだ。