野田稔・伊藤真の「社会人材学舎」VOL.6 NO.2

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コンテンツ

対談VOL.6
鈴木賀津彦氏 vs. 野田稔

人は、自ら発信することで
メディアリテラシーを身につける。
市民メディアの進展が必要な理由とは?

第2回 議論ができる場づくりこそが、マスメディアの仕事

Change the Life“挑戦の軌跡”
17歳で起業して、ものづくりを背負った、その心意気
――株式会社ノーブル・エイペックス 大関 綾

第2回 ノーブルタイ、セパレディというネックウエア

NPOは社会を変えるか?
第18回 NPOを起業するという道を選んだ理由
――NPO法人YouthCreateの原田謙介代表理事

誌上講座
テーマ6  マネジメント力を身につけよう!
野田稔
第2回  マネジメントほど、おもしろい仕事はない!

粋に生きる
7月の主任:「ナオユキ」
第2回 突っ張って、後悔して、ぎりぎり頑張って今がある

連載コラム
より良く生きる術
釈 正輪
第22回 まず、僧侶が襟元を正せ!



対談VOL.6
鈴木賀津彦氏 vs. 野田稔

人は、自ら発信することで
メディアリテラシーを身につける。
市民メディアの進展が必要な理由とは?


本誌の特集は、(社)社会人材学舎の代表理事である野田稔、伊藤真をホストとし、毎回多彩なゲストをお招きしてお送りする対談をベースに展開していきます。ゲストとの対談に加え、その方の生き様や、その方が率いる企業の歴史、理念などに関する記事を交え、原則として4回(すなわち一月)に分けてご紹介していきます。

今月のゲストは、東京新聞編集局読者応答室長の鈴木賀津彦氏。しかし鈴木氏は、むしろ「市民メディアプロデューサー」としてのほうが有名だ。メディアのあり様を変える。市民メディアを育て、マスメディアとの融合を図ることが鈴木氏の目標である。そして、そんな新しいメディアが個々人や地域をつなぐ。そこから町おこしや地域おこしも始まるのがいいと考える。
第2回の今回は、新聞などマスメディアのこれからの役割とは何なのかを考える。「読者である市民をも巻き込んだ議論の場だ」と鈴木氏は言う。そのために、市民が発信者になることを体験し、そのおもしろさを知り、また注意すべき点を学ぶ仕掛けづくりを多方面で行っている。

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第2回 議論ができる場づくりこそが、マスメディアの仕事

新聞は正解のある媒体ではなく、
議論の場だ

野田:市民メディアに対して、いささか懐疑的な点があるとすると、それは、情報の玉石混交、発信者の有象無象。さらに言えば、その中には捏造や嘘も交じってくるだろうという点です。ネット上の情報がまさにそうですよね。
 古いと言われるかもしれないのですが、誰でも発信できる時代というのは、実は非常に危険な状態でもあるのではないかと思えるのです。
 もちろん、ではプロフェッショナルであるべきマスメディアが完璧かというと、残念ながらそうではない。しかし、私はNHKでも民放でも、さまざまなテレビ番組でMCをやってきたからわかるのですが、特にNHKなどはかなり綿密な制作会議を行って、確証のあるなし、裏が取れているのか、自分だけの推論ではないかということの確認を厳しくしていることもまた事実です。
 そうした中でもまれたことで、その前後では私も自分の発言に対する心構えが変わってきました。
 要するに、何が言いたいかというと、マスメディアはマスメディアなりに、少なくとも昔は、自らの力に伴う責任を持とうとしていた。市民メディアはその点をどう担保することができるのかなと思うわけです。
 もちろん、市民メディアや市民発信の仕組みを否定しているわけではありません。ただ、Power to The Peopleであるならば、当然、Peopleは、Powerを使うだけの責任と能力を持たなければいけない時代かなと思うわけです。その点は、どうしても鈴木さんにお聞きしたいところなのですね。
鈴木:その危惧を否定することはできません。どこでどういう仕掛けを創ろうとしても、必ず出てくる議論です。常に対峙していかなければいけない問題です。
 前回触れた富山支局時代の話をもう少しさせてください。富山では「北陸中日新聞」を出していて、地方面を3ページ作っていたので、結構たくさんの地方情報を掲載していました。それこそさまざまな組織や個人がそこに記事を載せてほしいと依頼に来るのですね。
 私はデスクとして東京から赴任したのですが、たとえば市民活動で記事にしてもらいたい最大のポイントは主催イベントであって、それはほとんど週末に行われるわけです。支局には5人の記者がいましたが、どう考えても、そうしたイベントすべてに誰かが行くというわけにはいかないのです。記者だって土日は休みたいですしね。そうなると、5人のうちの一人か二人が休日出番の担当として、そのうちのいくつか目ぼしいものを取材すればいいという感覚になります。
 しかし、市民団体のほうはあれもこれも取材してほしいと言うわけです。そこで、「皆さん、記者って何人いると思いますか?」と手の内を見せて、説明をしたうえで「そんなに発信したいのであれば、自分たちで書いてくださいよ。書けるでしょう?」と小石を投げて、さざ波を作りました。そして、その受け皿として、週1回、『こちら市民情報局』というコーナーを1ページを作ったのです。
 その時も、もちろん、同じような議論がありました。
「市民団体が自分の好きなことを書いた内容を、新聞にそのままそれを載せていいの?」という議論です。金沢に(北陸中日新聞の)本社があったのですが、そこからも懸念の声が聞こえてきました。でもね、実は、その手の記事は、記者が取材して書いたとしても、実質的にはそれほど変わらないのですよ。行って、彼らの話を聞いて書くだけですから。もちろん、たとえば環境運動家が提起している問題は本当なのかどうか、裏を取る必要があることは常にあります。そこはきっちり取っていかなければいけないという点は、取材であっても、書いてもらう場合も原則的には同じです。ただ、捏造や嘘、あまりにも稚拙な論理は弾かなければいけませんが、問題はその情報の位置付けだと思うのです。
 本当かどうかはわからないけれども、こんな問題提起をしている団体があるということを知らせるというくらいの位置付けであれば、問題はないと思うわけです。そこで、たとえば反対意見が出て、議論になる。それも伝えていく。そうやって、議論の場を作っていけば、間違いも決して修正不能ではない。むしろ、発展的な場になるのではないかという考えだったのです。
 ネットもそうですが、炎上はあっても、決して一方向にだけどんどん流れてしまうということはないと思います。自浄作用はあるものだと思っています。むしろ、その過程で本当の問題点が見えてくるということも期待できます。
野田:なるほど、場の作り方ですね。確かに、紙面をすべて市民メディアからの発信で作るわけではないですからね。そうした紙面があってもいいというわけですね。
鈴木:私はそれが理想かもしれないと思っています。たとえば読者応答室には、「この点について、社の見解はどうなんだ」という質問をしてくる人もいます。「この問題についての新聞社の見解を述べよ」というわけです。以前はどういう対応をしていたかと言うと、「それは社説に書いてあります」と言ってすませるのが基本だったかもしれません。
野田:鈴木さんは違う方法論を取ったわけですね。
鈴木:私は、「社の見解なんて別にありません」というスタンスなのです。皆で考えて作っている、紙面で伝わっていることが社の見解です。たとえば、社としての論調は護憲ですけれども、護憲という社是を掲げているわけではなくて、皆で議論して新聞を作っていたら、結果としてそういうふうになっているのであって、これに文句があるならば、いくらでも言っていただければいいんじゃないのでしょうか。「皆さんの意見をおおいに寄せてください」という対応をしています。
 つまり、新聞に正解を求めるような感覚も従来型の市民感情で、まだまだそうした読者が多いのですが、これからはそうではなくて、新聞というのは議論の場であり、仕掛けであって、決して、正しい政策提言をしなければいけない媒体ではないと思っています。
 新聞社が間違いを認めて謝るか、決して間違いではなかったので、主張を突き通すか、そんな戦いの場ではない。「そこに書かれていることが正しいかどうかの検証は皆でしましょうよ」「わからなければ一緒にこの場で考えましょう」という感覚が、今求められているメディアの在り方ではないかと思っています。
 先ほど、自浄作用と言いましたが、読者の発言を守るのも読者なのです。たとえば誹謗中傷が飛んできて、場が荒れそうになったときは、新聞社が反論したり、流れを戻そうとするのではなくて、「ちょっとそれは違うでしょう」と言い出す読者が現れるのです。そんなふうにきちっとした反応をする。それは、発信する市民からしか生まれないと思っています。そういう世界になることを私は望んでいます。
 そうやって建設的な議論ができる場づくりができれば、マスメディアの役割は時代にもマッチして、より高まるのではないでしょうか。

スピーカーズ・コーナーとしての
共感も集めるべき

野田:おもしろいですね。「新聞は社会の木鐸(指導するもの)であり」みたいな、どちらかと言うと自分たちで鎧を着て、剣をペンに変えて頑張ってきた、つまりは肩肘を張って頑張ってきたマスメディアが、そうではなくて、「私たちはロンドンのハイド・パークの一角にあるスピーカーズ・コーナー(由緒ある演説のための場)みたいなものなのです」と、こういう主張ですよね。これは、今のマスコミの中では広まっている意見なのでしょうか。
鈴木:ではないかと私は思います。「我々が作った新聞を読め」というモデルは多分、商品としても、もう行き詰っているのだろうと思います。要は、共感して買ってくれる人たち、読んでくれる人たちこそが読者ということになってくると思います。これは決して新聞だけでなく、テレビもそうですが、マスで情報を得たいという人たちの共感をどう広めていくかということに腐心すべきだと思います。そうした人たちは、多分に自分も製作の過程に参加したいという人たちだろうと推察できます。
 まあ、従来感覚から抜け切れない記者がまだ多いとは思いますが、流れとしてはそういうふうになっているのだろうなと確信しています。
 そう思う証左の1つはやはり読者応答室にあります。10年前なら、「読者の意見なんて関係ないから、誰か適当にやっておけ」という部署だったと思います。企業のお客様センターの多くも同じだったのではないでしょうか。
 しかし、そのスタンスは様変わりしました。特に顕著な変化があったのは、3.11後です。私はちょうどそのタイミングでこの部署に移動になりました。そこでいろいろと社内に働き掛ける工夫をしたこともあって、記者たちも読者の声を気にして、読者投稿欄を真剣に読むようになってきました。その方向は、今後も続くと思います。
野田:お話を聞いていて、私もそうだと思うようになりました。
鈴木:20年ほど前からずっと思っていたり、言ってきたりしたことが、だいぶ現実味を帯びてきたように思っています。今度こそ、その方向に社会が動いているという実感があります。

マスメディアにも必要な
ドミナントデザインの創造的破壊

野田:経営学で、“ドミナントデザインの創造的破壊”という言葉がよく使われます。ディ・マチュア(脱成熟)という理論を指すのですが、これは、惜しくも若くして亡くなられたハーバード大学のアバナシー教授という経営学者が打ち出した仮説です。(誌上講座で一度、詳しく説明していますが)彼はアメリカの自動車産業の歴史を調べました。その結果何がわかったかというと、自動車産業はそれまでずっと一様に右肩上がりで伸びてきたと思われていたのですが、そうではないということなのですね。
 自動車という商品の位置付けというか、その価値そのものを変容させることで生き延びてきた、成長を持続させてきた産業なのだということを彼は教えてくれました。
 自動車は最初、馬車の代わりでした。お金持ちのための乗り物で、1台、1台が手作りで、今の価格にすると、1台3000万円くらいするものでした。このままであれば、当然、この産業は早晩終わっていたでしょう。
 そこにヘンリー・フォードが登場して、自動車の価値を変えてしまいます。自動車は下駄替わりであって、一家に1台あるべきものだと言って、技術革新によって、1台の価格を10分の1にまで下げて販売するのです。それで自動車産業は活気づき、市場は大きく成長しました。
 次に、再びこの産業をブレークスルーさせたのがGEです。彼らは、自動車は単なる必需品ではなくファッションだとしました。だから、TPOに合わせて乗り換えてほしい。これで何が起こったか。一家に数台の自動車が売れるようになったのです。たとえば仕事のためのピックアップトラックと遊びのためのツーシーターなどです。それでさらに自動車産業は大きく成長しました。
 私たちは今、“動的均衡”というものを非常に重視していますが、今、鈴木さんのお話を聞いていて、新聞という、ある意味でマスメディアそのものの位置付けを変えようとされているんだろうなと思えました。
 大変ぶしつけながら、私たち外部の人間から見ると、新聞の役割はもう終わったのではないかとさえ思える状況です。しかし、もしかしたら、いわば新聞をスピーカーズ・コーナーにすることで、変われるのかもしれない。衰退どころか、さらに発展できるのかもしれないと素直に思えてきました。
鈴木:多分、そうしていかないと生き残っていけないのだろうなと思います。アメリカ型というか、これまで日本の経済界でも重宝がられていたメーカー型の産業成長モデル、どう儲けていくかを考え、サプライチェーンを伸ばしながら面を押さえるといったモデルは、メディアには似つかわしくないと思えるのですね。少なくとも、これからはそうです。
 私たちの社会が市民社会を志向していく中にあって、メディアの役割って、上から下に向けて、1点から四方八方という方向にだけ情報を流していくというものではもはやない。受け手が発信者から一方的に情報を買うのではなく、ネットの世界ではすでに昔から言われている、N対Nのつながりを担保する。マスメディアもそうならなくてはいけないと思えるのです。
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