この世の中には、様々な考え方、様々な価値観を持つ人がいます。
それゆえ、ある1つのものに対して
それを好きだと言う人もいれば、嫌いだという人もいます。
ゲーム実況者としての活動を続けていると、
いわゆる「アンチ」と呼ばれる人たちに出会うことになります。
そしてそれらの人たちが行うとされる「批判」というものも見聞きすることになります。
今回は、このアンチと批判についてどうつきあうべきか、
私なりの考えをお話しします。
まず、そもそも「批判」という言葉が日常会話において
不思議なくらい限定的な意味でしか使われていない、
ということについて説明させてください。
「批判」という言葉は、英語の”criticism”または”critique”の訳語として存在するものです。
試しにとある英英辞典を引いてみると、
criticism 1: remarks that say what you think is bad about someone or something
(人や物に関して、あなたがダメだと思うことについて述べた発言)
とあります。また、
criticism 2: writing which expresses judgments about the good or bad qualities of books, films, music etc.
(本や映画や音楽などの質の良し悪しについて、評価を述べた文章)
ともあります。
2については、日本語では「批評」と表現したほうがしっくりくる方が多いと思いますが、
英語(を含めたヨーロッパ諸言語)では
「批判」と「批評」は同じ言葉で表される同類の概念です。
何が言いたかったかというと、
理性的な思考に基づいて、本人にそれとわかる形で、
悪いことも、良いことも、表現すること ――これが「批判」です。
しかし、現代日本語の日常会話では
「批判=悪いことを言う」と認識されている場合が大半です。
まあ、かく言う私も「あなたに対する批判」と言われて
瞬間的に悪いものを連想してしまうので、
もうこれは国民の遺伝子レベルで浸透してしまっているもののような気もしますが……
本来「批判」と「非難」は似て非なるものですし、
「罵倒」とはまったく異なるものです。
――などということを、昔とった杵柄的な感じで久し振りに考えていました。
ニコニコ動画のコメントや、動画に関連する対話の場での発言・言及
(以下、これらをまとめて「コメント」と表現します)などにおいて、
一見批判に見えるものの中には
「悪いコメント」もあれば「良いコメント」もあります。
ここで言う「悪い」「良い」というのは、
動画の投稿者や制作者にとって、ためにならないか、ためになるか、
という意味です。
単なる罵倒(セピア氏ね、セピアやめちまえ、など)はためになりません。
非難(セピア声きもい、ゲームセンスなさすぎワロタ、など)は少しためになります。
罵倒と異なり、他人にどう映っているのか、どう考えられているのかがわかるからです。
そして批判は、非常にためになります。
例えば、
「セピアにこのゲームは合ってない、もっと動きの激しいやつやれ」
「毎回同じことしか言ってないなこの人」
「動画時間長すぎんよー」
といった類のものが当てはまります。
より具体的に、問題点(と発言者が考えたこと)を浮き彫りにしてくれています。
核心部分に触れているので、これは投稿者側としても
耳に痛い話であることが多いです。
しかし、これこそ口に苦い良薬であり、是非とも受け入れるべき意見です。
(受け入れるというのと、取り入れて実際に自分の方向性を変えるというのは異なります。
このあたりは次の第15章でお話ししたいと思います。)
人間には感情があるので、
自分とは違う価値観を持つ人間や、そうした人間による発言を
受け入れるのが容易でない場合もあります。
動画作成が上手くいかない、あるいは私生活で嫌なことがあった、などで
気分が滅入っているときは、とりわけ難しいですよね。
そこで……
「批判」に見えるコメントが、
自分にとって口に苦い良薬であるか、価値のないものであるか――
それを見極めるのに、私が使っている方法をご紹介しましょう。
いたって簡単です。
そのコメントに対して、
「それは、ただの罵倒ではないのか?」
と問いかけてみます。
そしてその答えを自分で考えてみます。
方法は簡単ですが、見極めは意外と難しいです。
動画の作成・投稿を続けていると、どうしても視野が狭くなる部分があります。
この狭くなった視野、凝り固まった価値観だけで判断してしまわないように
注意する必要があります。
最初は技術的にも、心情的にも、難しいと思います。
めんどくせぇと思う瞬間もあります。
めんどくせぇと思ったら、その時は一旦置いておくくらいで大丈夫です。
しかし、ゆっくりでもいいのでこれを繰り返すことにより、
本当に良いものを生み出せる心身が養われると私は確信しています。
――――――――――
「アンチ」という存在は、これまでお話してきた
「非難」「罵倒」を行う人間、という捉え方でよろしいかと思います。
だいたいは、ボーッと見ていて、何となく言ったり書いたりしている人たちです。
9割5分、意識の中でぶった斬っておいて大丈夫です。
むしろ一見アンチと間違えやすい、
口に苦い良薬をくれる「刺激アドバイザー」を見逃さないようにしましょう。
――――――――――
次回、第15章「コメントとタグについて」では、
視聴者の考えや行動に対して
何を拾い、何を捨てるべきか、
すべて拾うことが自分の100%になるのか、
といったことについて考えていきます。
今回の内容とも密接に関わる内容です。
どうぞお楽しみに。
ほぼ週刊セピア
2015/05/16(土) 14:00 連載ブロマガ『最晩年』第13章 視聴者について ~多様な視聴者とどうつきあっていくか~
2015/05/30(土) 17:00 連載ブロマガ『最晩年』第15章 コメントとタグについて ~何を拾い、何を捨てるか~
コメント
コメントを書くコメントが低年齢化しているので、見極めるのは大変でしょうね。
実況者がどのように工夫をしているのか少しわかった気がしました。
しかし、セピアさんがどうしてこのようにしてまで実況を撮り続けるのか疑問にもなります。
真っ当な批判に対してファビョっちゃう信者ほんときらい
北の将軍様と愉快な人民達みたいな「褒め称えるコメントしか許さん
将軍様を叩くコメントはたとえアドバイスになり得るものでも許さん」
って思考は、理性的な思考が入り込む余地がないもの
ベクトルが真逆になっただけでアンチによる「死ね」と全くの同種
ネット上で公開してる以上批判くらいあって当然だろうに
百歩譲って批判NGだとしてもそれをなぜ本人じゃなく信者が決めるんだ
>>2
そういう連中もある意味『視聴者様』なんだと思う、自分にとって不快だから非難コメントするなってだけ
もちろん信者の声だけを聞いて信者の為の動画作りをすれば皆が楽しめる動画にならないのは当然の事で、セピアさんの言う為にならないコメントに分類されるだろう
セピアさん、お疲れ様です。ピクミン1の頃から動画拝見させて頂いております。
なんというか、お疲れ様です。実況録ってて、投稿してて楽しい事辛い事多々あると思いますが、これからも応援しております。
ラジオなどを聞いているとセピアさんはコメントや視聴者に対して考え抜かれた意見を持っておいでだと思ったので、私は何を言う感じでも無かったのですが、僭越ながら労いの言葉を書き込ませて頂きたく投稿致しました。
他愛の無い文章ですが少しでもセピアさんの活力となれたら幸いです。
これからも無理の無い範囲で頑張って下さい。
英語と日本語のニュアンスの違いに現れているように、日本において「批判」はダメだしに近く、作り手にも受け手にも生産的な意味を汲もうとする意識が低いと思います。
非難にも見える言葉にも批評的価値を見出す姿勢からは、他者とのコミュニケーションに対する異様な渇望が感じられました。でも他者との繋がりを通して自分を客観視すること、自分自身を知ることがセピアさんの実況に対するスタイルから窺い知れます。(英語で言えば"know thyself"の精神ですね。)
ネットを見てると、視聴者同士の非難の応酬を頻繁に見るし、そこで第三者は総スルーすることが最善とされてますよね。個人的にはネットリテラシーのようなカリキュラムがないと、今後、老若男女問わずコミュニケーション能力がどんどん失われていくのでは無いかと心底恐ろしく感じることがよくあるのですが、今回のブロマガを拝見して、この記事が非会員にも公開されたことの意味が良く伝わってきました。「アドバイザー」を見逃さないようにというメッセージが広く伝わることを願っています。
最近「辞書にはこうあります」って出して来る人多いけど、流行ってんの?
それとも自信の無いことに対する予防線なの?
セピアさん、いつも楽しい動画をありがとうございます。
確かに一般的な批判やアンチに対して一つの振り分けはその点ですよね。
罵倒など周囲が不快に感じるコメもあり、批判あげているけれども悪く言う意味ではない方と。
そこはやはり色んな方の価値観などあるんでしょうか・・・。
やっぱしんすけに影響受けてんのかね
彼も考察大好き君だったからなあ
コメントする際に、頭を回転させる事が出来ない方が多いのでしょうね。
人それぞれだとは思いますが、やはり批判は流れてくると嫌な気持ちになります…。
視聴者で嫌なら、ご本人はさぞかし嫌なのだろうと思ってしまいますが、
そういった見極めが出来るからこその、素敵な実況なのですね。
次回も楽しみにしています!