1
光の正体は、箒に乗った魔女だ。宝石飾りのついた水色のとんがり帽子を被り、水色と白のストライプで彩られたバススリーブ付きのワンピース、そして純白のロンググローブとニーソックスをまとっている。
昔ながらの魔女とはひと味違う、キュートな装束。そしてその装束をまとう者は、美しいというより愛くるしいという印象のある、まだうら若き少女だ。
その魔女は、箒の上に横座りしながら、風にあおられた帽子に手を添え囁きかけた。
「素敵な夜空――今日はほんとうに良い吸血鬼退治日和ね!」
すると、魔女の帽子の中から、白い子猫――彼女の使い魔、フウが這い出してきて、肩口に乗って囁いた。
「強い魔力にゃ。また例の侵入者にゃ」
魔女はにこりと笑ってフウに応えた。
「それじゃ歓迎してあげないとね」
魔女はフウが指す方角へと箒を向ける。
「じゃあ行くよ、しっかり掴まってて!」
その言葉とともに箒は加速した。風を切り、空を突き進む。飛行魔法の煌めく光が、長い尾を引いて夜空を彩る。
彼女が目指しているのは、神奈川県川崎市と千葉県木更津市を結ぶ東京湾アクアラインの千葉側――定規で線を引いたように走っている海上道路だ。
魔女は急降下して高度を下げ、海上道路と平行するように、海面のすぐ上を飛行。海に映える月光が美しい。そこから一転急上昇、アクアラインを肉眼で見下ろせる位置に空中停止する。
その位置から、魔女は目をこらして「侵入者」の影を捉えようとした。やがて、その姿が見えてくる。総勢数十名。海上道路上を、神奈川方面へと向かっている。
その速度は、人の範疇にある者としてはあまりにも早い。そして、魔女のいる上空からも感じられる魔の気配。より近寄れば、血走った目と鋭い牙も見えるだろう。
吸血鬼――彼らはそう呼ばれる種族に属していた。人の血を啜ることで生き永らえる存在。人間にとっての災厄。彼らは千葉をすでに支配し、そして神奈川へと侵攻するため、アクアラインを伝って襲撃を続けている。
魔女は彼らの前に降り立ち、2本の足で踏ん張ると、箒をくるりと一回転して構え、正々堂々と名乗りを上げた。
「アクアラインの魔女見習い、川崎あくあ! わたしがいる限り、あなた達を渡しはしません!」
吸血鬼たちはあくあと名乗った魔女の姿を見て、一斉に襲い掛かる。しかしあくあの魔法起動が一瞬早い。
「ファイアボール、トリガー!」
無詠唱呪文――あらかじめ登録された魔法を索引によって引き出す術式が作動。
「ファイアボール」の検索で周辺の魔力が収斂され、光り輝く高熱の火球を形成。「トリガー!」の掛け声により、迫り来る吸血鬼たちの中心へと放たれる。
刹那。
火球は内包するエネルギーを解放し、周囲にいた吸血鬼たちすべてを火だるまにした。これにはたまらず、彼らは次々にアクアラインから東京湾へと飛び込んでいく。魔女――川崎あくあの完全勝利だった。
「どう? これに懲りたら二度と神奈川に侵入しようなんて思わないことね!」
あくあはえっへんと胸を張るが、フウは彼女の起こした惨状を見つめてつぶやいた。
「アクアラインに大穴が空いたにゃあ。しばらくは通行止めにゃあ」
それを聞いて、あくあは青ざめる。
「あっ」
改めて自分が開けた大穴を見る。道路の中央部に、ちょうど大型トラックが1台分入れるほどの大きな穴が開いていた。
「どうしよう……また壊しちゃった……」
「仕方ないにゃ。闘いに犠牲はつきものにゃ」
「でも、これで何回目かなあ……みんなに迷惑かけちゃった……」
「あくあが頑張ってるのはみんなわかってるにゃ。気に病むことはないにゃ」
自責の念に駆られるあくあに対し、フウは楽観論で慰める。そして、思い当たったかのように言った。
「――それより、そろそろ夜明けにゃ」
たしかに、東の空が白んでいた。もう、今夜は吸血鬼の侵攻はないだろう――アクアラインの大穴と相まって、数日はあくあも暇になるはずだ。
「――じゃあ、帰りましょう」
あくあはようやく気持ちを切り替え、明るく言った。フウは素早く彼女の肩から帽子の中へと潜り込む。
箒に腰かけ空高く登ると、房総半島の向こう、太平洋の水平線から昇ってくる朝日と、虹色のグラデーションを描く空が見える。
「うわ、綺麗――」
魔女になってからこの方、何度も見てきた光景だが、未だに「綺麗だな」と感じる。このたびに、アクアラインの魔女になってよかったと感じてしまう。
――アクアラインの魔女。
その役目は千葉から神奈川にアクアラインを通じて侵攻してくる吸血鬼たちを食い止めること。あくあはその見習いとして、日々吸血鬼たちとの闘いを繰り広げていた。
――そして、川崎あくあというひとりの少女としての闘いをも。
2
「あくあ、起きなさい、あくあ」
あくあの私室。ファンシーにまとめられたその部屋のドアの向こう側から、柔らかいが、若干苛立ちを帯びた声がする。
「むにゃむにゃ……あと5分だけ……」
「もう30分もたってるわよ!」
ドアの外の声が苛立ちを強める。
「吸血鬼退治で眠いの……だからあと5分……」
そこにとことこと近寄る足音。ドアの前で停止し、大声で叫ぶ。
「あくあさーん! 遅刻ですよー!!」
「遅刻」と聞いて、あくあはパチっと目を覚ました。そのまま、目覚まし時計を確認し、瞬時に「ヤバイ」という表情になる。
「しまったぁぁぁ!」
あくあは慌ててパジャマを脱ぎ捨て、そのまま学校の制服に着替え、ドアを勢い良く開ける。そこには彼女の母と、彼女の妹分である小柄な少女、海萌ほたるが立っていた。
「おはようございます、あくあさん! 今からだと、普通に登校準備していたら30分の遅刻ですね! どうします?」
ほたるの問いに、あくあは応えず、まっすぐに階段を走り下りると、まず乙女のたしなみとして歯を磨き、次に用意されていた朝食のトーストだけをくわえる。
「こら、あくあ。朝の挨拶はきちんとしなさい」
父からの呼びかけに。
「おはようございます! いってきます!」
とトーストをくわえたまま器用に応え、玄関に立てかけていた箒に腰かけ家を出た。目指せ学校! 彼女の特技、魔法を用いたエクストリーム登校だ。
「あっ、待ってくださいよあくあさん!」
ほたるはあくあを追いかけていく。すでに彼女の姿は空遠いが、ほたるも尋常ならぬ脚力で、あくあに追いすがる。
《毎晩吸血鬼退治ごくろうさまですー。でも、魔法を濫用してはダメだって魔法少女時代に習いませんでしたか?》
あくあの脳裏にほたるの念話が届く。彼女もまた、魔力を持つ者、魔法少女なのだ。
「仕方ないじゃない、出欠がかかってるんだよ!」
《まあ、アクアラインの魔女は大変な仕事ですからねー。そのくらいは大目に見てもらえるかも。でも、できるだけ目につかないようにしてくださいね》
「わかってるけど、そういうほたるこそ、わたしに付き合ってて大丈夫なの?」
《わたしは魔法少女ですからー。夢と希望を守るのに出欠とか関係ないんです》
「答えになってないから!」
《そうですかー?》
あくあのツッコミにもほたるは動じない。あくあは頭痛を覚えそうになる。
「義務教育だからと思って出欠サボってたら、進学した時痛い目にあうからね!」
《今のあくあさんみたいにですか?》
図星を付かれてあくあはたじろぐ。
「うっ……それよりほたるもきちんと学校に行きなさい!」
《りょーかいです。わたしの役目はあくあさんを起こして見届けるまでなんですんでー。ではご健闘を》
ほたるからの念話が切れた。
あくあは思う。あのおせっかい焼きの妹分は、あの子なりに自分のことを心配してくれているのだろうと。
「それはそれでありがたいんだけど……大丈夫かな、あの子」
ほたるに迷惑をかけないよう、なんとか頑張ってみよう。
そう思ったところで、学校上空についた。あくあは人目につかない裏庭に舞い降り、そこに箒を隠すと、裏門から勢い良く廊下を走り、教室のドアを開ける。
その瞬間、予鈴のベルが鳴った。
「セーフ……」
あくあはほっと一息ついたが、クラスメートが全員自分の顔を注視しているのに気づく。そしてその原因にも。
「おい川崎、なんで食パンくわえてるんだ」
直後に入ってきた担任にそうツッコまれると、クラス全員が爆笑する。
「食べ忘れてた……うわぁぁぁ!」
ほたるとの念話に夢中になって、トーストをくわえたままで登校するという失態をさらしてしまい、あくあは顔を真赤にした。
このように、夜と昼の生活を両立させるのはかくも難しい。だが、彼女はそれを両立させるつもりだった。
――なぜなら、それがあくあが守りたい「日常」を守る唯一の手段だったからだ。
日常。父や母との平和な生活。ほたるとのどこか噛み合わないながらもほのぼのとした関係。そしてクラスメートたちとの緩やかに流れる日々、ひいては、それを担保している神奈川の平和。
そんな日常を守るため、あくあは昼と夜の両方で闘っていた。悪戦苦闘気味だが、それでもなんとか、これまでは両立させることに成功していた。
| next >>