3、神髄
紫色の行灯袴と、赤い短いスカートのフリルをはためかせながら、二人は目的地に着いた。
街からは少し外れた郊外の、大通り沿いにその建物はあった。
夕闇に浮かび上がる、白く大きなコンクリート。光を入れたくないのだろうか、窓はほとんどない。
敷地内には草一本植わっておらず、コンクリートが敷き詰められた駐車場には数台の電気自動車が止まっているのだけが、人間の気配を感じさせる。
「ここが実験施設よ。採取した植物はここで培養されて、商品サンプルになるの。それから本社に送られるわ」
正門前にバイクを止め、スタンドを立てる。
「行きましょう」
「えっ? ちょっと、うきちゃん、正面から行くの?」
「話し合いしなきゃどうにもならんとです。正面から、偉い人ば呼びましょう」
うきはすたすたと入り口に歩いていった。
★ ☆ ★
センサーがうきを察知し、ガラスのドアが開いた。
『オ客様 本日ノ受付ハ終了シテイマス』
旧式のアンドロイドが応対する。
会社の顔ともいえる受付に旧式の機械を置いておくあたりは、実験施設らしい無頓着さだ。来客などほとんどないのだろう。
うきはぺこりとお辞儀をして、アンドロイドに話しかけた。
「わたしは『うぐいすや』の不知火うきです。責任者の人と話がしたいんですが……」
「うきちゃん、これは受付用のアンドロイドよ。そんなに丁寧に言わなくても」
「あ、す、すみません……」
「まあ、うきちゃんらしいかな」
何事かと、奥から数人出てきた。その中の一人、趣味の悪いシャツを着た男が燃を見つけて指差す。
「あ、て、てめぇは!」
律儀に建物の中でもサングラスをかけている。昼間、燃を追って店に来た男だ。
「今朝の今夜で、よくもまあ戻ってこられたもんだな。盗んだ種、返しやがれ!」
「あらまあ、運が悪いわ。真っ先に見つかっちゃうなんて」
燃は小首をかしげてから、うきの耳元に唇を寄せて、そっとささやいた。
「私があいつらを引き付けておくから、その間に奥へ行って」
「え、でも……」
「大丈夫よ。逃げ足は速いから」
うきに軽くウインクする。
「威勢のいい事ばかり言ってるけれど、あなたに私を捕まえられるかしら?」
男たちにくるりと背を向けて、外に向かって走り出す。
スカートがひるがえり、ポニーテールがリズミカルに跳ねた。
「なめくさりやがって! てめえらついて来い。あの女とっ捕まえて痛い目見せてやらぁ」
出てきた連中はみな、燃に引っ張られて大挙して外へ出て行ってしまった。
「あれ? えっと……」
うきはぽつんと残されてしまった。
「あの、責任者の人とかいませんか?」
困った顔を浮かべて、うきは受付アンドロイドに話しかけた。
『少々オ待チクダサイ』
若干の雑音とともにどこかと通信したらしい。しばらくしてから返答した。
『オ待タセイタシマシタ コチラヘドウゾ』
★ ☆ ★
アンドロイドに先導されて、うきは施設の奥に通された。
プシュ、という音がして、自動のドアが開く。
取っ手も模様もなく、壁の一部のようだ。一瞬、珍しそうにしたうきだが、我に返って正面を向いた。
部屋は応接室なのか、中央にテーブルがあり、向かい合わせにソファが置かれている。無論、『うぐいすや』のように温かみのある木製ではなく、硬質プラスチックと合成皮革で作られたものだ。
その奥には、なにやらうきにはわからない機械がずらりと並んでいた。
部屋にいたのは、先ほどの兄ィと呼ばれていた黒スーツの男だ。こちらは部下たちと違い、サングラスを外している。
「お客様というのは、あなたのことでしたか。今は所長が不在なので、わたしが承ります」
あくまで慇懃無礼に、黒スーツは一礼する。
うきは首を振った。熊本弁でまくし立てる。
「それはよか。それよりぬしゃがしゃんむりさって奪いよったもんを、早く返すばい。それがあっても、うちの店の味にはならんとです」
男は困惑顔で、アンドロイドに命じた。
「失礼。受付AI、翻訳を」
感情に任せて熊本弁でまくしたててしまった。うきの頬が少しだけ赤くなった。
アンドロイドが淡々と、標準語に翻訳する。
『……少々オ待チクダサイ…… アナタガ無理矢理奪イサッタモノヲ 早ク返シテ』
「ああ、わかりました。手荒な真似をしてすみませんね。だが、あちらの言い値で買おうというのに、売って下さらないもので」
「それはうちとの専売契約があるからですけん。おじさんはうちのために、田んぼや畑を耕してくれてるんです」
「そこですよ。なぜ手作業にこだわるんですか? クローンで生産すれば、わざわざ農作業をする必要はなくなる。朝早く起きて田植えをする必要もない。ボタンを押すだけで、作物どころか、白玉ぜんざいとして出てくる。今はそういう時代なんですよ」
「…………」
うきは黙り込んだ。田畑の仕事がどれほど大変か、よく知っている。それを粉にするのも、練り上げて形にするのも、楽なことではない。
でも。
「うんにゃ」
うきは首を振った。軽く結い上げられた髪がふわふわと左右に揺れた。
「農家の人が一生懸命作ってくれたものを、わたしたちが大事に使って料理にする。人の心の繋がり。関わったみんなが、幸せになるもの。その心があるから、おいしいものを作れるんです」
穏やかな自信に満ちた声で、うきは言った。
いつも来てくれる常連のおばちゃんも、今日初めて来た燃も、おいしいって笑ってくれた。
それを思い出すと、うきは自然といつもの顔に戻った。ニコニコと、朗らかな笑顔。
「あなたはクローンを、テクノロジーの素晴らしさをわかっていません。何もかも同じになるのに、差などあるわけがない」
呆れたように黒服の男は言った。
「あの白玉を、もっとたくさんの人に食べてほしいと思わないのですか? 材料を増やし、機械生産にして安価に提供して、店も大きくしましょうよ。お客さんをたくさん呼ぶんです」
「たくさんの人に食べて欲しいとは思うたい。でも、それは『うちの』白玉ぜんざい。クローンの粉に機械で作ったんじゃ、うちのじゃなかとです」
やれやれ、と男は首を振った。
「強情なお嬢さんだ。『意地っ張り』は熊本弁でなんと言いましたっけ、受付」
『もっこす デス』
律儀にアンドロイドが答えた。
「では、もっこすなお嬢さん。そこまで言うなら、ひとつ賭けをしましょう」
うきは身構えた。
「賭け……?」
「クローンと天然のものと、あなたは違うと言い張る。なら、それを証明してください」
男は振り向くと、後ろの機械のボタンをいくつか操作した。低く唸る駆動音と電子音。
「この機械は、サンプル生成の実演装置でしてね。先ほど頂いたもち米と小豆を、高速培養して生成しています。少し時間はかかりますが。育成から製品化、すべてこれひとつでできるのですよ」
「えっ……? ここで、全部、ですか?」
「そう。昼間の写真をデータとして入れておいたので、お出ししていただいた白玉ぜんざいになって出てきます」
うきは驚いた顔で機械を見つめた。中で何が起きているかはよくわからないが、振動と耳障りな音がしていた。
さらに男は、見慣れた袋を差し出してきた。うきに手渡す。
「これは、そちらで使っている白玉粉と小豆です。これを使って、今からあなたが、いつものように白玉ぜんざいを作ってください」
「…………」
「それから、こちらの機械で精製した白玉と、食べ比べをしましょう。それで明らかに差異が見られたのなら、私の負け。区別がつかぬほどならば……」
黒服はいったん意味ありげに言葉を切った。
「お店の権利も譲っていただきましょう。なあに、もっと繁盛させてみせます。売り上げの何割かはお渡ししますし、農家の方にもお金を差し上げます。我々としても評判の甘味処を傘下に入れて業績が上がる。食べられるお客さんも増える。それこそ、みな幸せではありませんか」
「そんなこと……わたしには……」
うきは迷った。賭けをして勝つか、それとも負けてお店を渡すか。きっと、脅しでなく、負けたら本当にお店を取られてしまう。
『うぐいすや』のために作ってくれる農家も、納入先がなくなったら路頭に迷ってしまうだろう。
「そんなことになったら、わたしだってどうしたらよか……」
うきが途方に暮れかけたとき。
ふと、鼻先に、お店の匂いがよぎった気がした。
古い木の香り。あんこと白玉のかすかな芳香。
湧いたお湯の音。窓から吹き込む、さわやかな風。
常連さんたちが楽しそうに談笑しながら、白玉を食べている。
思い出す顔は笑顔ばかりだ。
そんな場所をなくせない。負けられない。うきは手渡された粉と豆をじっと見た。
顔を上げたうきは、覚悟に満ちた笑顔をしていた。いつものふんわりとしたニコニコ顔ではなく、凛々しい笑顔だ。
「受けて立ちましょう。そのかわり、はっきりと違うと思ったら、わたしの言うことを全部聞いてください」
「いいでしょう。違いがあるはずないですからね」
「わかりました。お勝手を使わせてくださいな。あんこを作るには時間がかかりますけど、よかですね?」
「ええ。こちらも完成までに時間がかかりますから。では、こちらが調理場です」
★ ☆ ★
研究所のキッチンに案内された。
うきはいつも持ち歩いている紐を取り出した。肩からわきにかけて通し、背中で斜め十字に交差させる。
シュッ、シュッ……衣擦れの音がする。
袖をたくし上げ、手際よくたすき掛けにした。
キッチンには、一通りの調理器具がそろっていた。
土鍋を取り出し、小豆を煮る。
煮上がった小豆を絞り水気を切る。砂糖を加える。これも、天然の砂糖だ。
白玉粉を、ガラスのボウルにあける。そこに水を少しずつ加え、手で練る。分量は計らない。
毎日作るように、手のひらで味わう感触を頼りにして。
粉を混ぜながら、うきはちらりと男を見た。
値踏みするように、男はうきの手元を凝視している。
だが、昼間見た時と、少し違うような気がした。肌の色は心なしか黒ずみ、目の下にも隈がうっすら浮かんでいる。
(昼間よりもずっと、お疲れのようなお顔をしとるたいね)
少しだけ、うきは何かを考える素振りを見せた、が、すぐに顔を下げ、粉に視線を落とす。
それから一個ずつ丁寧に、少し小ぶりに丸めあげていく。
粉を捏ねながら、うきは昼間のことを思い出していた。
燃にごちそうしてもらった時。初めてお店に座って、お客のように食べた。
いつも自分で作っているものなのに、全然違うように感じた。
『わたし』にとっていちばんおいしいのはきっと、おいしいと言って食べてくれた人の笑顔を見ながら食べること。
燃が、黒糖入りを気に入ってくれたように、その人が求める味がきっとある。
お客さんと話して、その人を少しでもわかろうとする。その人に喜んでほしいから。
気に入ってくれたお客さんは、きっと、その想いが届いたんだろうと思う。
沸騰した湯に、そっと丸めた団子を入れる。しばらくするとゆらゆらと浮き上がってきた。
(まだまだ……)
穴空きのお玉を手にして鍋を見つめるうきの表情は真剣だ。ここを外せば、味が変わってしまう。
くつくつと小さく泡を立てて沸騰する鍋の中で、白玉が楽しげに踊っている。
「ここっ!」
一気に掬い上げ、氷水に入れてさらす。
差し出されたプラスチックの器に、白玉を盛り付けた。
土鍋の前に立ち、小鉢にとってあんこの味を見る。
最後は塩で甘味を引き締めなくではいけない。
うきは少しずつ、何度も味見をしながら塩を足していった。
一方、男は先ほどの部屋からできあがった白玉ぜんざいを持ってきた。
テーブルの上に並べる。
クローンと機械で作られたのは、昼間のものと寸分たがわぬものだった。
一方、うきが今作ったものは、白玉が若干小ぶりだ。
「それでは、いただきましょう」
男は機械製の白玉を一個、口に放り込んだ。しばし咀嚼する。
「昼間食べたとおりですね」
「では、こっちを食べてみてください」
二皿目を口に含み、噛む。
「…………!」
表情が変わった。
「ね? 違うでしょう?」
男の顔を見ながら、うきが言う。
「……確かに違います。こちらの方がはるかにおいしい。白玉は少し小さくなって食べやすいし、あんこの甘みもこちらのより強く、しかし塩味がうっすらと感じられる。だが……」
男は彼女を見返した。
「いつもお店で作っている通り、と、お願いしたはずです。昼間いただいたものとは形状からして違う。味に差異があるのは当たり前で、勝負にならない。条件を満たさなかった以上、あなたの負け……」
「いいえ」
うきは首を振った。
「いつもの通り、作りました。うちでいつも作るとおりに。お客さんである『あなたに』合わせたものをお出ししました。食べるたびに味は違う、でも、その人にとって、いちばんおいしく思えるように」
「私に……?」
「はい。お疲れが顔に出てます。だから、あんこの味は疲れがとれるように濃くしたし、歯ごたえよりも食べやすさのため、白玉は小さく作りました。食べる人が、一番おいしく思えるように、考えました」
たすきを外す。たもとがするりと落ち、いつものうきの姿になる。
「お顔を見て、お話して、その人が一番喜んでくれるものを知って、それをこしらえる。機械じゃできないおもてなしの心です」
「そんなバカな! それならば、契約農家の作物など、必要ないじゃないか!」
男は敬語をかなぐり捨てて怒鳴った。
うきは首を振った。
「あなたは、材料に味の秘密があると思ったから、おじさんから奪ったんですよね。たしかに、それは味の秘訣の一つだと思います。でも、それだけじゃない。全部合わさってうちの味なんです。わたしは、あのおじさんがうちのために作ってくれてるお米で出したい。農家の人が作ってくれたものを愛して、手間暇かけて形にする」
にっこりとうきは微笑んだ。
「食べる人まで届ける。人と人の心を繋ぐのが、接客の神髄ですから」
「…………」
男は何も言わなかった。無言でうきを睨みつける。
「喜んでくれた顔を見るのが、わたしは嬉しいんです。心が伝わったって、そう思えるから。そのお顔が見たくて、お店をやってるんです」
「……そこまで、本当に考えたのですか? 私は、あなたの店を奪おうとしている。それなのに」
幾分か落ち着きを取り戻して、男が声を出した。
うきは、とびきりの笑顔で答えた。いつも、心の底から思っていることを。
「わたしのこしらえたものを食べてくれる人は、みんなお客様たい。甘味を食べとるときぐらい、心穏やかにいてほしいから」
「心、穏やかに……。昼間も、そう言ってましたね」
「はい。世間はいろいろ騒がしい。いろいろなものが急に出てきた今、うちは昔ながらの、人がいるやり方を選んでいるだけです」
急に、科学と技術が進歩した。それによって便利になったことも、暮らしやすくなったこともたくさんある。
その一方で、昔を懐かしく思う人もいる。
全部が全部、いきなり変わる必要なんてない。新しいものと古いものの共存。技術と心の両立。
それはきっと、できないことじゃないはず。
そこにいるのは『人間』なのだから。
横あいから声がした。
「そこにある人の心を忘れないってことよね」
「燃さん! 大丈夫でしたか?」
弾む足取りで、燃はうきに近づいた。
「そりゃあもう。みーんな巻いてやったわ。まさかここに戻ってきているとは思わないでしょうね」
燃は二つの皿からそれぞれ白玉を取って、口に放り込んだ。
「うん、おいしいわ。けども、これは『私の』白玉ぜんざいじゃない。私にとって、いちばんおいしいのは、うきちゃんの出してくれた、どこか懐かしい黒糖の入ったぜんざいだもの」
燃はうきにウインクした。うきも笑い返す。
「わたしは、あの小さなお店で、お客さん達に食べてもらうのが幸せ。おいしかったら大きな声で褒めてくれる。みんなが楽しそうにしてる。あのお店が好きなんです」
男に向き直った。
「『うぐいすや』を守りたい。そのやり方は食べてもらったとおりです。それがが認めてもらえないのなら、わたしはもう、どうすることもできません……」
不安げに、しかし毅然と、うきは言った。
黒服の男は、しばらくの沈黙の後、うきの作ったぜんざいの器を取り上げた。
いくつか残っていた白玉を、濃いめのあんこと共に口に入れた。
やがて、空になった器が置かれた。
「……ごちそうさまです。私のためにと作ってくれた、あなたのもてなしの心、いただきました。あなたの勝ちです」
うきの顔がぱっと輝いた。横で燃も手を叩いた。
「そちらの要求をお聞きしましょう」
「まず、うちのお店を取るのは無し。農家のおじさんに謝って、壊したものは弁償するとよ。思い通りにならないからって力ずくにしない。えっと、それから……何かありましたっけ?」
燃に尋ねる。燃はいたずらっぽく笑って、先を続けた。
「私を追っかけない」
ぷっ、とうきは吹き出した。燃はちゃっかりしている。
「じゃあ、それで。何でも聞いてくれるんですよね?」
「……二言はない。負けましたよ。お嬢さん。あなたの熱意と、接客に対する心意気、そしてお客に対する親愛にね」
『やったあ!』
うきと燃は、手を取り合って跳ねまわった。