荻上チキの αシノドス
“α-Synodos” vol.273(2020/3/15)
〇はじめに
いつもαシノドスをお読みいただきありがとうございます。シノドスの芹沢一也です。最新号の273号をお届けします。
最初は山本貴光さんの「語学は裏切らない――言語を学び直す5冊」。山本さん一流の洒脱な文章でつづられる「語学入門」。音読すること、翻訳しないこと、興味ある対象について作文し、それをネイティブにチェックしてもらい、そして暗唱すること。シュリーマンの語学習得法はいまでも傾聴するところ大ですね。ぼくも現在、英会話のコーチングをしているのですが、けっこう通ずるものがあります。コロナ騒動であまり外出できない状況ですので、この機会に語学をはじめるのはいかがでしょうか?
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https://synodos.jp/article/23083
ついで、片岡栄美さんの「趣味の社会学――文化・階層・ジェンダー」。先日、この書名の書籍を出版した片岡さんにエッセンスをご紹介いただきました。ブルデューの研究にインスパイアされた、日本の文化実践や文化格差についての研究ですが、本当にめちゃくちゃ面白いです。とくに男女の文化実践の社会的な意味づけは、読んでいて日本社会の実相が目の前に浮かび上がる思いがしました。ぜひ本記事を読んだ後に、本の方も手に取ってみてください。
そして、栗田佳泰さんの「リベラリズムと憲法の現在(いま)と未来」。昨今、世界的にリベラルやリベラリズムの評判が悪いですが、日本もその例外ではありません。そして、日本では、その悪評の中心にあるもののひとつが、憲法学者の議論です。しかし、個人の尊重、つまりは個人の人格的な根源的平等を求める憲法学が、なぜにこれほど評判が悪く、そして日本社会に根付いていないのでしょうか? ぜひ栗田さんの議論をお読みください。
ついで、渡邉琢さんの「介助者の当事者研究のきざし」。介助疲れ、ちょっと考えれば当たり前に起こることです。介助者だって人間ですし、日々のルーティンに倦み、そして日常の「小さな痛み」が蓄積されていく中で、介助に辟易としてしまうということが当然あるはずです。でも、そうした「痛み」を声に出して言うこと、ましてやそれを介助者同士が共有するという場や実践はとても少ないようです。貴重なシンポジウムの記録です。
われわれは体罰や暴力にどう向き合えばよいのでしょうか? それらが発覚したとき、そしてメディアに取り上げられ騒ぎになったときに、その非道さをあげつらい非難していれば解決するのでしょうか? あるいはもっと根源的な、強度のある思考がそこには必要なのではないでしょうか? 「あらためて、暴力の社会哲学へ――暴力性への自覚から生まれる希望」。松田太希さんが、暴力の根源的な内在性に迫ります。
最後は穂鷹知美さんの「スイスの職業教育――中卒ではじまる職業訓練と高等教育の役割」。ドイツやスイスの「デュアルシステム」。日本にいるとまったくぴんと来ないのですが、あるいは中学生のうちに大学か就職かを決めてしまうのは今の時代、ちょっと暴力的ではないかとも思っていたのですが、スイスの事例を読む限り、なかなかよくできたシステムだということが分かります。高等教育へのパスが確保されるならば、「デュアルシステム」はむしろ、高等教育の知識や技術を人々に提供するよい方法なのかもしれません。
次号は4月15日配信となります。どうぞお楽しみに!
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