僕が『文章を書かない作家』として、Xというバンドの物語を夢中で見つめ続けた最大の理由は、Xと作品とファンが織りなす時間が「生きている」からだった。
 
 音楽業界を変えたい、という一念で20才から業界内で頑張ってきた僕には、
それは奇跡のように美しい時間だった。
 
 そこに「嘘」がないからだった。
 
 「嘘」ばかりの世の中で日々を送り「嘘」で固められた人間関係に嫌気がさして「嘘」に傷ついた人にとって「嘘」がなくて「全力」で闘って「輝き」に満ちた「感動」の世界は眩しく幸せに違いない。

 ライブハウスで、小ホールで、大ホールで、武道館で、そして東京ドームで僕が見つめ続けたファンの顔は本当に素晴らしかった。
 
 あの頃、会場中を歩き回って、輝くファンの顔を見るのが心から幸せだった。

 そうやって「生きている」時間を見つめながら、メンバーひとり一人と会話をしながら、そして共に作品を創りながら、僕は『Xという物語』を心の中に書き続けた。

 やがて「大人の都合」に決して従うことのないまま「嘘」がないことで自分たちをきちんと理解してくれるファンとつながったXというバンドは、他の人気アーティストと違い、流行という一過性の盛り上がりとは無縁のまま、日本一になった。

 「大人の都合」に従わないアーティストゆえ、ファンは流行やマスメディアの仕掛けと関係のない1対1のつながりで密かに大切なバンドを応援し続けた。

 それはちょうど、大人たちに理解される必要のない友情のように、密かだけれど確かで、人生にそのまま直結する素晴らしい関係だった。

 全てが「生きている」からこそ自然に生まれるその関係は、いつしか国境という壁を越えて世界中に広がっていった。

 そう。
 
 「生きている」からこそ、Xとファンとの関係は国境を越えていったのだ。

 その様子が特別なものであることに気づいた、アメリカ人クリエイターたちの手によって今年、映画「We Are X」が制作された。

 こうして『Xという物語』は「生きた映画」として人の心を揺さぶり、とうとう映画「We Are X」になった。

 そして今回、メンバー全員の夢だった『世界的なバンド』になったXは、約20年ぶりの日本ツアーを実現した。
 
 
 
 『YOSHIKI自身がXになった』ことに僕が気づいてから1年。
 
 日本ツアーでのステージで、YOSHIKIはまた新たな姿を見せてくれた。
 
 「嘘」がないYOSHIKIだから、その姿から今のYOSHIKIの気持がそのまま伝わってくる。
 
 その深い気持に、僕は1年前と同じように深く心を動かされ、泣いた。
 
 今『Xという物語』に起きていることのスケールの大きさと、そこで生まれた愛の強さに、僕は激しく感動したのだ。