文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』。日本の戦争映画が描いてこなかった「敵」は、特撮という技術を経て「怪獣」という姿で「発見」されることになりました。その後の怪獣の描かれ方を通じて、ウルトラシリーズにおけるイデオロギーの混乱と屈折、そしてその継承者としての庵野秀明に光を当てます。
2 敵を生成するサブカルチャー
戦争映画から怪獣映画へ
アメリカのプロパガンダ映画と比較すれば、日本映画は明らかに敵の映像的理解という仕事を軽視していた。それどころか、日本の戦争表象はときに人間としての敵とのコミュニケーションの代わりに、人間不在の環境を際立たせるという奇妙な傾向すら示してきた。この「敵の非人間化」という欲望が戦時下の亀井文夫、円谷英二、藤田嗣治から戦後の押井守まで広範に見られることは、ここまで述べた通りである。
振り返ってみれば、敗戦後に多くの傑作を生み出した日本映画のなかで、戦争映画の存在感は大きいものではなかった。名だたる巨匠たちも実写の戦争映画からは距離を置いた。戦中に兵役を逃れた黒澤明が、戦後は一連の時代劇映画によって「世界のクロサワ」となった一方で、二〇世紀の戦争を主要なテーマとしなかったのは、その最も象徴的な事例である(彼は一九六〇年代末に、真珠湾攻撃を題材とした日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』に日本側の監督として参加したが、結局降板した)。あるいは、中国戦線に兵士として従軍した小津安二郎にしても、戦後はミニマルな家族映画のなかに戦争の記憶を暗示的なサインとして忍び込ませるに留めた[19]。
逆に、D・W・グリフィス監督以来のアメリカ映画の巨匠たちは戦争映画と切り離せない。フォードやキャプラのプロパガンダを見れば、映画そのものが軍事力であったことは一目瞭然である。「戦争は政治の延長」というクラウゼヴィッツの有名なテーゼをもじって言えば「映画は戦争の延長」なのだ。戦後においても、キューブリック『フルメタル・ジャケット』、コッポラ『地獄の黙示録』、スピルバーグ『プライベート・ライアン』、イーストウッド『父親たちの星条旗』及び『硫黄島からの手紙』等から、ごく最近ではクリストファー・ノーラン『ダンケルク』――ノルマンディーへの凄惨な「上陸」作戦から始まる『プライベート・ライアン』の構図を反転させ、ダンケルクからのイギリス軍の撤退という「離岸」をテーマとする――に到るまで、アメリカの巨匠は二〇世紀の戦争を再現し続けてきた。それは戦後日本の戦記映画の作家性が総じて希薄であることと好対照をなしている。
とはいえ、言うまでもなく、日本の映像文化全体が戦争に無関心であったわけではない。結論から言えば、戦後日本においては、アメリカであれば実写の戦争映画として描かれるようなテーマが、むしろ特撮やアニメのようなサブカルチャーにおいて開花したように思える。敗戦国である日本は作品世界の虚構化という手続きを経て、ようやく戦争というテーマを自由に展開することができた。例えば、文芸批評家の加藤典洋は『ゴジラ』を戦争映画の変種として捉えている。