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本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。インターネットが生み出す母系的な共同幻想からの自立。かつて吉本隆明が〈文学〉で目指し、ジョン・ハンケは〈テクノロジー〉、糸井重里は〈モノ〉によって目論んだそれを、チームラボはいかにして成し遂げたか。デジタルアートによって試みられる〈境界〉と〈視線〉へのアプローチから考えます。(初出:『小説トリッパー』 2019 春号 2019年 3/18 号

1  吉本隆明からジョン・ハンケへ、あるいは糸井重里へ

 これまでの議論を整理しよう。今日のグローバルな情報社会の進行はいま、乗り越えるべき大きな壁に直面している。
 まずグローバルには多文化主義とカリフォルニアン・イデオロギーが、排外的ナショナリズムの前に躓いている。グローバル化、情報化といった「境界のない世界」の反動として、そこから取り残された人々が民主主義という装置を用いて「境界のある世界」への反動を支持している(トランプ/ブレグジット)。
 そして国内ローカルには、Twitterに代表されるインターネットの言論空間が一方では「下からの全体主義」を発揮し、テレビ的なポピュリズムを補完し下支えすることで、社会から自由と多様性を奪っている。そしてフィルターバブルに支援され、二〇世紀的なイデオロギーに回帰した心の弱い人々が他方ではフェイクニュース、陰謀論を拡散している(この現象はかたちをかえて世界各国で観察できる傾向である)。
 かつて吉本隆明が唱導した「大衆の原像」に立脚した「自立」の思想は、インターネット・ポピュリズムとフェイクニュース、下からの全体主義と排外主義として、いま世界を覆いつつあるのだ。吉本がアジア的段階、アフリカ的段階へのポジティブな回帰として、肯定的に予見した高度資本主義と情報化の帰結(今思えばこれはカリフォルニアン・イデオロギーのことだ)としての「母系的な」社会とは、情報技術によってもたらされた「母性のディストピア」に他ならなかったのだ。
 本連載はその突破口を模索することを目的としてきた。たとえば「政治と文学」という問題設定から出発し、文学の「自立」を唱導し、政治と文学の本来的な「断絶」を受容せよと主張したのが吉本隆明だとするのなら、ジョン・ハンケはこの世界と個人との接続を「政治と文学」ではなく、「市場とテクノロジー」の次元で接続することで解決しようとしていると言える。


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