• このエントリーをはてなブックマークに追加
與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第6回 身体への鬱転:1998-2000(後編)
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

與那覇潤 平成史ーーぼくらの昨日の世界 第6回 身体への鬱転:1998-2000(後編)

2019-09-04 07:00
    ce71f9fada7ef6de4a98c3b0391fb1e99a43a411
    今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第6回の後編をお届けします。90年代後半、機能不全に陥った「父殺し」の原理を乗り越えるべく、新しい世代の批評家たちが次々と登場します。思想や批評の「情報化」が進む一方、政治の世界では公明党と共産党が、00年代の権力基盤を着々と準備していました。

    届かない郵便

     政治を構成する表現から言語が退潮し、フロイト的な精神分析すらも無効になって、すべてが身体感覚を通じた同一化に埋没してゆく。最初にそうした転回を見抜いて危機意識をもったのは、おそらく『批評空間』を主宰していた柄谷行人氏でしょう。そもそも柄谷さんは1969年、選考委員の江藤淳に読ませたくて漱石論を投稿し、群像新人賞を受賞してデビュー。しかし『成熟と喪失』には「一つの図式に強引に推し込もうという意図」を感じ、「わりとシンプルに精神分析学を応用したと見られてしまう」として批判的に読むようになっていたと、江藤没後の福田和也氏(文藝批評家)との対談で語っています[25]。

     そうした柄谷さんの観点からすると、ベタなアイデンティティ論に寄りすぎてむしろダメになった「負の江藤淳」の後継者が、1995年に評論「敗戦後論」で護憲/改憲、戦前否定/肯定に引き裂かれた日本国民の自我の再統一をとなえた加藤典洋(連載第4回)でした。成熟を拒否するスキゾ・キッズだった浅田彰氏も同調して『批評空間』は大バッシングを展開し、個人のものである人格概念を「日本人」へと拡張して使う加藤の主張は、フロイトとは無縁で評論家の岸田秀をコピーしただけの「インチキ精神分析」だと罵倒します[26]。――ちなみに小林よしのり氏のほうは、「『戦争せずにすんでいる自分たちは汚れていないし、今後も絶対汚れやしない』という高所から『〔兵士だった〕祖父たちの死は汚れている』と評価する」「尊大な物言いだな」と苦言を呈しつつも、加藤さんの議論に一目置いていた節がありました[27]。


    kokomade■PLANETSチャンネルの月額会員になると…
    入会月以降の記事を読むことができるようになります。
    ・PLANETSチャンネルの生放送動画アーカイブが視聴できます。

     
    この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
    入会して購読

    チャンネルに入会して、購読者になればこのチャンネルの全記事が読めます。

    入会者特典:当月に発行された記事はチャンネル月額会員限定です。

    ブログイメージ
    PLANETS Mail Magazine
    更新頻度: 不定期
    最終更新日:2024-11-13 07:00
    チャンネル月額: ¥880 (税込)

    チャンネルに入会して購読

    ニコニコポイントで購入

    続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

    コメントを書く
    コメントをするにはログインして下さい。