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今朝のメルマガは、與那覇潤さんの「平成史ーーぼくらの昨日の世界」の第6回の後編をお届けします。90年代後半、機能不全に陥った「父殺し」の原理を乗り越えるべく、新しい世代の批評家たちが次々と登場します。思想や批評の「情報化」が進む一方、政治の世界では公明党と共産党が、00年代の権力基盤を着々と準備していました。

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 政治を構成する表現から言語が退潮し、フロイト的な精神分析すらも無効になって、すべてが身体感覚を通じた同一化に埋没してゆく。最初にそうした転回を見抜いて危機意識をもったのは、おそらく『批評空間』を主宰していた柄谷行人氏でしょう。そもそも柄谷さんは1969年、選考委員の江藤淳に読ませたくて漱石論を投稿し、群像新人賞を受賞してデビュー。しかし『成熟と喪失』には「一つの図式に強引に推し込もうという意図」を感じ、「わりとシンプルに精神分析学を応用したと見られてしまう」として批判的に読むようになっていたと、江藤没後の福田和也氏(文藝批評家)との対談で語っています[25]。

 そうした柄谷さんの観点からすると、ベタなアイデンティティ論に寄りすぎてむしろダメになった「負の江藤淳」の後継者が、1995年に評論「敗戦後論」で護憲/改憲、戦前否定/肯定に引き裂かれた日本国民の自我の再統一をとなえた加藤典洋(連載第4回)でした。成熟を拒否するスキゾ・キッズだった浅田彰氏も同調して『批評空間』は大バッシングを展開し、個人のものである人格概念を「日本人」へと拡張して使う加藤の主張は、フロイトとは無縁で評論家の岸田秀をコピーしただけの「インチキ精神分析」だと罵倒します[26]。――ちなみに小林よしのり氏のほうは、「『戦争せずにすんでいる自分たちは汚れていないし、今後も絶対汚れやしない』という高所から『〔兵士だった〕祖父たちの死は汚れている』と評価する」「尊大な物言いだな」と苦言を呈しつつも、加藤さんの議論に一目置いていた節がありました[27]。


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