NPO法人ZESDAによる、様々な分野のカタリスト(媒介者)たちが活躍する事例を元に、日本経済に新時代型のイノベーションを起こすための「プロデューサーシップ®」を提唱するシリーズ連載。第6回目は、富山県総合デザインセンターなどで活躍する桐山登士樹さんです。 首都圏でのデザインやメディア業界での経験と人脈を基に、富山県の地場産業とデザイナーを持続的にマッチングしていくエコシステムの構築で大きな成果を上げた、テクノロジー×デザイン×アートの力を活用していくプロデュース手法とは?
プロデューサーシップのススメ
#06 デザインによる富山県と伝統産業のプロデュース
本連載では、イノベーションを引き起こす諸分野のカタリスト(媒介者)のタイプを、価値の流通経路のマネジメント手法に応じて、「inspire型」「introduce型」「produce型」の3類型に分けて解説しています。(詳しくは第1回「序論:プロデューサーシップを発揮するカタリストの3類型」をご参照ください。)
今回はカタリストの第3類型、すなわち、イノベーターに「コネ」や「チエ」を注ぐ座組を整える「produce型カタリスト」の事例の第1弾として、富山県総合デザインセンター所長等を務める桐山登士樹氏をご紹介します。
これまでご紹介してきたinspire型、introduce型のカタリストは、それぞれ、チエとコネをイノベーターに注ぐという、いわば局地戦における個別の価値供給によってイノベーション促進に貢献してきました。これに対して、produce型カタリスト(いわゆる、プロデューサー)は、チエとコネがイノベーターに大量かつ持続的に注がれていくエコシステム全体、すなわち戦場全体を包括的にマネジメントする存在です。
プロデューサーのミッションや活動内容は、プロデュースに関わる時点の状況によって大きく異なってきます。コミットした時点で既に多数のアクターが複雑に関係していれば、調整力や、果断なリーダーシップが求められたりするでしょうし、誰も居なければ、まずアクターを集めることから始めなくてはなりません。
桐山さんのプロデュースは、後者の事例です。富山県の伝統産業をデザインで活性化するというミッションを帯びて富山県総合デザインセンターにやってきた当時、県内にデザイナーは数名しかいないというのが出発点でした。注目すべきは、その人集めの手法です。桐山さんは、コンペという手法を取りました。結果、今では300人の日本トップクラスのフリーのデザイナーが富山県内で活躍しています。
そして、危機回避能力も見事です。行政からセンター存続の条件として短期的な売り上げを求められた際には、「お土産プロジェクト」によって応じ、県のサポートを維持することに成功しました。センターのみならず芽吹きつつあったエコシステム自体も守ったのです。
また、富山県総合デザインセンター所長以外にも、ミラノ・サローネの日本館のプロデューサー、富山県美術館副館長をはじめ、非常に多くの肩書をお持ちで活躍されています。
「テクノロジー、デザイン、アート」が自分の基本的なツールだと述べつつ、デザイン、インフラ、メディアの業界に長く関わり、海外と地方、ブランディングやマーケティングまでを一人で射程に収めてビジネス成果を出し続けてきた稀有な経歴をお持ちです。まさしく「マルチ・リテラシー」の権化とも言うべき典型的プロデューサーです。その上、足をマメに運び、目的達成に必要なコネやチエやカネを、方々から集めてくるチカラも兼ね備えておられます。そうして、デザイン、アート、ブランディング、資金などなどのあらゆる価値が、富山県の中小企業に総合的に注ぎ込まれ、より優れたプロダクトが国内外のマーケットに展開され、新たなコネやチエやカネを生み出していく、というエコシステムを創育しています。
今号では、富山県の、いや、日本の伝統産業の明日を切り拓くため、今日も最前線で戦っている桐山プロデューサーから、新しいエコシステムの創育手法を学びたいと思います。(ZESDA)
「オーケストラの指揮者」としてのプロデューサー
桐山です。私は富山県に1993年に呼ばれて、約25年間富山に毎週通いながら、富山県の価値をどう上げるかということにこれまで携わってきました。本稿では、特にデザインの力による地方創生というテーマに焦点を当てて、私のこれまでのプロデュース活動をご紹介させていただければと思います。
私がTRUNKというデザイン会社を作ったのが、今から30年ほど前になります。当時は出版社に勤めてましたが辞めました。なぜ出版社を辞めたかと言うと、いわゆる業界に閉じたシゴトではなく、もう少し横断的なことがやりたいなと思ったからでした。そこでちょうど私のイニシャルがTKだったので、私が走るという意味のTRUNKという名前の会社を作ったのですが、今日まで全然休みなく走ってるという、とんでもない目に遭ってるわけでございます。
それでは、私がこれまで関わってきたことを簡単にご紹介します。私はミラノとの縁が非常に長く、32年間通っています。出版社時代に知り合ったイタリア人の方と仲良くなったのがきっかけです。去年、おととしにミラノ万博がありました。そこで日本館のプロデューサーをやってましたので、通算して年に10回以上行くこともありました。
それから私は専門がデザインですから、デザインとインフラを整備する、いわゆる中核支援施設の仕事にも携わってきました。20年近く横浜市のYCSデザインライブラリーに関わっております。世田谷区では永井多惠子さん(せたがや文化財団理事長)に誘われて、彼女の下で6年間お仕事をしていました。富山県では知事の下でデザインセンターや県立美術館に携わってきました。このような形で、いわゆる地域のインフラに関わるようなこともずっとやってきたわけです。
さらにデザインのメディアというものにも関心を持ちました。私もメディア出身の人間なものですから、それをベースにどう伝えられるかというコミュニケーションを考えておりました。業界内の話で終わるのではなく、いかに周辺の人、またこれから関わっていく人に伝えていくかということも長く私の一つの仕事としてやっています。
このように、私は、デザイン、インフラ、メディアにまたがったビジネスを創る経験をしてまいりました。
プロデューサーとは、わかりやすく言うと「オーケストラの指揮者」だと思っています。私はクラシックが大好きでして、特にモーツァルトやバッハでは、彼らの譜面をいかに解釈するかというのが指揮者の重要な役目であり、そこに一緒になって演奏する人たちは一流でなければいけないわけですね。そして当然そこにはオーディエンスがいるわけです。だからその中でいかに感動的な演奏をするかっていうのは、その指揮者の解釈と、その場を読む力とか、盛り上げる指導力が問われることになろうかと思うんです。
そして私は、テクノロジーとデザインとアートを用いてプロデュースを行っています、現代におけるものづくりでは、テクノロジーはどうしても外せませんが、テクノロジーをより現代的で新しい価値創造に向かわせていくのがデザインのチカラであり、役目だと思っています。さらに、これだけ世の中が流動化してボーダーレスになってくると、自分たちの価値観を超えてどこまで飛躍できるか、という部分が非常に重要になってきます。ですから、アートという、束縛から自由になる、何者にも捉われないある種の創造性、表現性の要素もないと、人を惹きつけられない、違いを生み出せないと確信しています。
したがって、テクノロジーもデザインもアートも、全て含めて取り入れて、統合的な価値を作っていくというのが、プロデュースというものだろうと私は思ってます。
富山県総合デザインセンターの理念と成果
私がプロデュースしている例として富山県のケース、特に私が所長を務めている、富山県総合デザインセンター(以下、「センター」)のことをお話ししたいと思います。
センターは、デザイナーと企業が集まって、商品開発支援や異業種交流の場の提供やコンテストなどを通じた多彩な富山デザインの発信を行う施設です。今から約25年前にその前身となるものができたわけなんですけど、県直営になったのは約15年前です。その時の所長が、SONYのロゴマークをデザインしたりソニーのウォークマンを開発した著名な工業デザイナーの黒木靖夫さんでした。なぜか黒木さんと私は呼吸が合って仲が良かったんです。私は特別なことはしなかったんですけど、黒木さんがよく「ちょっと来れない?」といろんな機会にお呼びくださるなかで、次第に仲良くなりました。毎月酒を飲みながらいろいろお話をしまして、黒木さんとの付き合いは彼が亡くなるまで続きました。影響を大なり小なり受けていますから、私は今、色々な面で黒木さんに少し似てきているかもしれません。
黒木さんとセンターを作る際には、3つのポイントを掲げました。それは大まかには「開かれたセンターにしよう」、「支援するセンターにしよう」、「考えるセンターにしよう」の3つです。ほかにも色々ありますが、この3つを基本の設立理念として打ち出そうと決めました。
現在は、ソフト、ハード両面で整備を進めています。ハードに関しては、おそらく世界最先端の機材と、それから富山県が持つ400年にわたる、もの作りの町工場を上手く活用しながら、あらゆる機械を整備しようとしております。目標としては、ここに来れば、面白い人と出会え、最新鋭の機械と、そしてそれらの使い方をきちんと支援できる研究員がいるという環境を整備しようとしてます。
一方ソフト面ですが、ものづくりというものは、価値を作っていかなければいけません。特に最近はコミュニケーションも含めて考えなくてはいけませんし、いかに海を渡って物を売っていくかということを考えなくてはいけません。販路の開拓などはまだまだこれからなんですが、マーケティングも含めて整備を進めています。