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  • 三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき〈リニューアル配信〉第二章 キャラクターに命を吹き込むもの(2)

    2020-07-31 07:00  

    (ほぼ)毎週金曜日は、ゲームAI開発者の三宅陽一郎さんが日本的想像力に基づく新しい人工知能のあり方を展望した人気連載『オートマトン・フィロソフィア──人工知能が「生命」になるとき』を改訂・リニューアル配信しています。今朝は第二章「キャラクターに命を吹き込むもの(2)」をお届けします。効率的な情報検索と正しい推論によって解答にたどり着くための「機能」を追い求める、西洋的な人工知能と、「存在」を奥深く探求しようとする、いわば東洋的な人工知性。前回に引き続き、東洋哲学の視点を参照しながら人工知能の構造を捉え直します。
    (3)混沌が持つ人工知能における意味
     こうした東洋的な混沌など引き合いに出さず、機能的な人工知能で充分ではないか、という意見もあります。しかし、「一つの自律した知性を作り出す」という目標は西洋の夢でもあり、同時に人工知能研究の上でも重要な方向の一つです。たとえ辿り着くことが遠くても、その道程には重要な知見と技術が横たわっているはずです。そして、その探求は人工知能という概念そのもの、あるいは知能という概念そのものさえ打ち破っていくことになるかもしれません。
    自律型カオス力学系
     「機能を突き詰めて存在へ至ろうとする」という方法もあります。現在の人工知能の枠の中で、知能を存在として作ろうとすれば、環境と人工知能の機能的相互連関の中で混沌を獲得するという手法、「自律型カオス力学系」と呼ばれる手法が適しています(図5)。

    図5 多数の要素が相互作用し発展する「力学系」のイメージ
     力学系とは「絡み合う複数の要素が時間と共に変化するシステム」のことです。特にこの力学系が「繰り返す動的な運動をボトムアップに持つ」場合には「自律型力学系」、さらに、外界からのインプットに関してセンシティブ(鋭敏)に運動を変化する場合に「自律型カオス力学系」と言います。イメージとしては、天井から吊り下げられたたくさんの振り子がお互い細い糸でつながれている場を想像しましょう。いくつかの振り子を力強く動かすと、力が伝搬して全体として複雑な振り子運動が生成されます。振り子は現実の物理空間の中にありますが、「自律型カオス力学系」の法則性を数学的に解析するためには、より抽象化された物理量で構成される位相空間を用いて記述する必要があります。これが、自然界に存在する一般の力学系のモデルです。  これと同様、私自身も知能を「外部環境と内部構造の相互作用による情報の混沌の中から自律生成されるカオス力学系」とみなして人工知能を構築するという試みに長い間関わってきました(これは私の博士課程の頃からのテーマでありました)。現在も続けていますし、またこれからもこの手法が最も有望であると感じています。
    人工知能のカオス存在理論
     ところが、このアプローチは人工知能の中に閉じている限り、とても数学的でトリッキーなものに見えてしまいます。このアプローチにしっかりとした基盤を与えようとするならば、まず哲学の領域から土台を築く必要があります。それもより深い基盤として、東洋的な思想の上に構築することが自然です。 というのも「混沌からすべてが生まれる」という思想は、東洋哲学においてこそ根源的なものであるからです。知能を作るという試みの中では、東洋と西洋の二つの知見がおのずと必要になります。なぜ、そうなるのかはわかりませんが、人工知能を作ろうとする行為は、まさにこの二つを世界の潮流を結び合わせる役目を持っているようです。 それは我々の見方を逆転させることでもあります。混沌を人為的に構成する、という見方ではなく、まず知能とは混沌であり、その表現として、「自律型カオス力学系」があるという見方です。ですから知能の根底である混沌を知ることこそが、知能を形成するための最大のヒントであり、それを「自律型カオス力学系」の力を借りて描き出す、ということでもあります(図6)。

    図6 人工知能と混沌、そして力学系
    ニューラルネットワークと混沌
     混沌は人工知能に存在を与えます。一つの混沌からの人工知能の作り方は、「リカレント・ニューラルネットワーク」を用いることです。ニューラルネットワークとは脳の神経回路を模した「電気回路シミュレータ」です。通常、ニューラルネットワークは多層構造を持っており(パーセプトロン型)、入力(感覚)から出力(判断)に向かって信号が進んでいきますが、リカレント・ニューラルネットワークは出力を入力にもう一度戻します。出力と入力が混じり合います。つまり感覚と判断が混じり合います。つまり客観と主観が混じり合います(図7)。  判断と感覚が混じり合うのがリカレント・ニューラルネットワークの特徴です。リカレント・ニューラルネットワークを動かしていると、次第に、このリカレント・ニューラルネットワークを構成する要素の間に「自律型カオス力学系」が出現します。正確には、その場合、ニューラルネットワークは少し複雑な構造を持つ必要がありますが、本質的には自己ループバック構造と世界とのインタラクションの中からカオスが生まれます。

    図7 リカレント・ニューラルネットワークと自律型カオス力学系
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  • 『タッチ』における「賢者」としての原田正平と「影(シャドウ)」としての柏葉英二郎(後編)| 碇本学

    2020-07-30 07:00  

    ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。代表作『タッチ』の分析の最終回・後編です。主人公・上杉達也の影にあたる存在であり、本作を成長物語として完結させる役割を果たした柏葉英二郎。担当編集者のバトンタッチも含め、本作が後世に何を受け継いでいったのかを総括します。
    碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第12回 『タッチ』における「賢者」としての原田正平と「影(シャドウ)」としての柏葉英二郎(後編)
    呪詛に自分自身を乗っ取られた柏葉英二郎というもう一人の上杉達也(承前)
    その後も柏葉英二郎は、試合中ほぼ指示を出さず、OBから送られてきた野球用品を笑いながら勝手に焼くなど、当初の立場を崩さない悪役のままだった。視力がどんどんなくなっていく中で、「くだらん夢をみてうかれてるやつらに、一生悔いを残させてやる。明青野球部が世間の笑い物になるんだ。ちゃんとこの目でみせてくれ」という柏葉英二郎のモノローグがある。 本作は基本的にモノローグを使わない作品なので、この描き方には少し違和感がある。この辺りは彼の内面を描いておかないと、須見工戦への伏線ができないとあだちも思ったのではないだろうか。そして準々決勝の赤宮戦のあと、かつての先輩二人が彼の前に現れるものの、先輩たちは彼のことを「柏葉英一郎」と勘違いしていた。そして、柏葉英二郎が彼らに牙を向ける。

    「どうした、森田? 野球部一の力もち── 昔はよく殴ってくれたじゃねえか。遠慮はいらねえ。ハデに一発乱闘騒ぎといこうぜ。幸い、近くに新聞記者もいることだし、明日のでっかい見出しにしてくれるぜ。」 「そ、そんなことになったら、野球部はおしまいだぞ!」 「的外れな心配をするな。このおれがなんのためにあんなガキどもにつきあってると思ってるんだ? おまえらが人まえで明青野球部OBなどとは、恥ずかしくていえなくしてやるためさ。楽しみにまってろ。」 「あの子たちには罪はないだろ! 精いっぱい悔いの残らぬ試合をやらせてやれよ。」 「その言葉(セリフ)は高校時代にききたかったぜ」 〔コミックス20巻「冷たいなァの巻」より〕

    先輩たちの登場で、柏葉英二郎の中にある復讐心がより強まった印象を受けるシーンだ。準決勝の三光戦前には、上杉達也と柏葉英二郎の対決も用意されている。 ピッチャーで3番打者でもある達也のバッティング練習にあたって、英二郎自らがピッチャー役をつとめるシーンだが、本気で投げ続ける英二郎の球になんとか食い下がり続ける達也。あまりの球の重さに「頭に当たったら死ぬなあ」と言っていた達也はヘルメットをしていなかった。 そしてピッチングフォームに入った瞬間、視界がなくなり、栄二郎の脳裏に達也のその言葉が思い浮かぶ。達也を潰せば自分の復讐は終わるとわかっていたが、彼はボールを投げ捨ててナインに「会場へ向かうぞ」とグラウンドをあとにした。このように、達也だけではなくナインに対して、復讐を一瞬忘れていく場面が次第に出てくるようになってくる。
    須見工との決勝戦の前の晩には、ナインを試合前に消耗させようと思ったのか、いきなり全員にノックをするからグラウンドに出ろと告げる。しかし柏葉英二郎の悪意に反して、準決勝をノーヒットノーランで終えたため、ほとんど体を動かせていない一軍メンバーを筆頭に勇んでグラウンドに出ていく。それを見て呆れかえった英二郎は、あとからやってきた達也に苦虫を噛み潰したような表情で話しだす。

    「いいかげんに教えてやったらどうだ。あのお人好しのバカナインたちに。」 「は? なんのことでしょ。」 「きさまらの監督を信じてると、とんでもないことになるということだ。」 「ほんとにとんでもないことですよね、明日勝てば甲子園なんて。いやはや。」 「ねぼけたこといってんじゃねえ! おまえらに個人的な恨みはねえが、明青野球部に籍をおいたことを不運と思ってあきらめるんだな。」 「復讐復讐というわりには、手かげんが多いみたいですけどね。最後の線を躊躇してしまうのは、どこかにまだ野球を憎みきれない部分が──」 「おれは、うまいものは最後にまわす性格(タチ)でな。効果的に一番世間の注目を集める決勝戦までおあずけしてただけなんだよ。」 「次からはうまいものから食べることをお勧めしますよ。」 〔コミックス21巻「ほめるもなにもの巻」より〕

    これが甲子園まであと1試合という野球部の監督とピッチャーの会話だとは、誰も思わない内容だ。そして、アロハシャツを来た陽気な雰囲気を醸し立つ西尾監督が退院して、孝太郎と共に二人の前に現れる。 達也としては監督が復帰するなら、このヤクザな監督代理とはおさらばできると思ったが、柏葉英二郎に決勝戦を託すと言って今までのお礼を言って帰ろうとする。必死で止めようとする達也に西尾は、須見工の監督とは高校時代からのライバルで一度も勝ったことがないと告げる。だからこそ、柏葉監督代理のままで決勝戦を戦ってほしいと願いを託す。達也は、本当のことを言わずに孝太郎とグラウンドに出るためにその場をあとにする。外は雨が降り始めていた。西尾と柏葉だけが残される。

    「ほんとうにいいんですか、おれにまかせて。」 「わしは高校野球が大好きだ。明青野球部を心から愛している。そして、ただそれだけの監督だ。病院のベッドで長い監督生活を冷静に振り返って、つくづくそう思ったよ。このバカ監督のおかげで、その才能を開花することなく、去っていった部員も数えきれないだろう。ほんとうに人をみぬく力などわしにはない。だから信じるだけだ。須見工に勝つために必要なのはわしではない。本物の監督だ。まかせたぞ、柏葉英二郎。」(編注:「英二郎」に傍点「、、、」) 〔コミックス21巻「あいつといっしょにの巻」より〕

    この時点でほぼ柏葉英二郎の呪いは解けたようなものだった。しかし、それでも長年の怨念と復讐心に支配されている彼は本来の自分には戻れなかった。 須見工との決勝戦において、試合展開が進むほどに英二郎の視力がどんどんなくなっていくのは、本来いたはずの光の方へ向かおうとする本当の英二郎を、怨念や復讐心の側がどうしても手放したくないように見えなくもない。 試合中の達也と柏葉英二郎のベンチでの会話が、彼を光の方に進ませていく要因にもなっており、終盤にようやく指示を出し始め、本当の監督になっていくという彼の呪縛からの解放が描かれる。

    「どうした? 上杉和也は力を貸してくれないのか? 貸すわきゃねえよな。 どんなきれいごとならべたって、実際に甲子園にいくのはおまえらなんだ。もちろん、勝てればの話だがな。全国13万の高校球児の夢と栄光を手に入れるのは、──上杉達也おまえなんだぜ。」 「……なにがいいたいんですか?」 「(ベンチに飾ってある上杉和也の写真を見ながら)こんな写真を甲子園のベンチに飾って満足するのは、お前らの感傷だけだということだ。そんなもんで本望だの成仏しただのと、勝手に整理をつけられちゃたまらねえってよ。華やかな舞台にたった兄を、暗闇でみつめる弟の気持ちがわかるか? それもその華やかな舞台に自分の出番は金輪際あり得ないとしらされた、弟の気持ちが───」 「あんたと和也を一緒にするな。」 「それじゃおまえはどうだった? 弟の華やかな舞台をみながらなにを考えていた。まだ出番の可能性が残されていたおまえは── 弟が舞台から転げ落ちるのを期待したことなど、一度もなかったというのか? 上杉和也の代役を気どって打たれたんじゃ困るんだよ。上杉和也がなにを考えているか教えてやろうか? ──こいつはな、上杉達也がめった打ちされるところをみたいんだよ。おれがいなきゃ甲子園なんかいけるものかといいたいんだよ!」 〔コミックス23巻「おまえなんだぜの巻」より〕
    「──ところで、監督ということばをしってますか? 出番がなかったなんてあり得ないなァ。あんたは写真じゃないんだから。華やかな舞台から人をひきずりおろすことばかり考えているから、自分の出番を見逃してしまうんですよ。―さてと、いってくるぜ、和也。声がかかるのをまってないで、自分から舞台にあがったらどうですか? ──ま、とりあえず、9人のバカを線にするという、つまらない役ですけどね。考えといてくださいな、──監督。」 〔コミックス23巻「かかったかの巻」より〕

    試合は8回表明青学園が2対3で、1点のビハインド。7回も抑えたピッチャーの達也が柏葉の隣に座っていた。

    「あとアウト6つ。生爪でもはがして、血ぞめのボールを投げ続けてみせたら、少しは感動して動く気になってくれますかね。」 「おもしろいな。試してみたらどうだ。」 〔コミックス23巻「テレ屋さんの巻」より〕

    いきなり柏葉英二郎が達也の右手を掴んで爪を見ると血がついていた。それを見た瞬間に彼の顔が明らかに変わる。その後の描写で達也の鼻から血が出ており、のぼせて鼻血が出ていたのが爪についていたのがわかる。しかし、バッターボックスに入っていた「工藤」の名前を叫びベンチに呼んで、「二球目と四球目だ。ピッチャーめがけて思いっきり振ってこい!」とはじめて監督として監督らしい指示を出す。 ベンチのナインもお互いに顔を見合わせ、達也も柏葉に指と鼻を指差してのぼせただけだと伝えるが、彼は表情を変えずに試合を見ていた。佐々木が分析した須見工のデータを頭にいれており、他の選手にもそれぞれ何球目を打つかを伝えていくことになる。 新田まで回る8回裏のグラウンドに戻っていく達也に「ストライクは投げるな」「試合に勝ちたいなら新田にはストライクを投げるな」と。達也は「それは命令ですか。命令なら従います」と言うと、柏葉英二郎は「確率の問題」と告げる。そして、達也は新田に渾身のストレートを投げて勝負をするが、ホームランを打たれて逆転されてしまう。そのあとを抑えてベンチに帰ってきた達也たち。残すは9回表の攻撃だけとなり同点にならなければ敗退が決まってしまう。
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  • 『タッチ』における「賢者」としての原田正平と「影(シャドウ)」としての柏葉英二郎(前編)| 碇本学

    2020-07-29 07:00  

    ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。代表作『タッチ』の分析の最終回です。達也、南、和也をめぐる青春劇の脇を固める存在ながら、本作が普遍的な物語として読み継がれる上で決定的な役割を果たした、原田正平と柏葉英二郎の二人の“大人”について、前後編で掘り下げます。
    碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春第12回 『タッチ』における「賢者」としての原田正平と「影(シャドウ)」としての柏葉英二郎(前編)
    欲望を暴走させない装置としての原田正平
    前回はジョゼフ・キャンベルが世界中の神話の共通項をまとめた「単一神話論」と『タッチ』との共通点について論じた。 1980年代という新しい時代のヒーローになっていった上杉達也。彼がヒーローになるために欠かせない存在が「『賢者』としての原田正平」と「『影(シャドウ)』としての柏葉英二郎」の二人だった。『タッチ』をめぐる分析の最終回として、この強面の二人のキャラクターについて取り上げたい。

     達也の同級生・原田正平は、儲けもののキャラクターでした。何も考えず、計算もなく出したのに、本当に使いやすかった。ちょっと俯瞰した立場でセリフを言えるキャラクターとして、解説役、進行役になる、みんなはごまかしているけど、唯一本当のことを言ってるんです。最初は変な、乱暴なキャラクターを出そうと思っただけだったはずだよ。しかもこの手の顔は描きやすい。 (中略)  原田は達也を振り回してくれたし、達也のいちばん痛いところを突いてきて、達也の性格の説明を最も的確にしてくれる。達也は自分では何も言わないけど、常に正しい判断を促してくれる。こんな使えるキャラクターになって、最後まで絡んでくるとはまったく思ってもみなかった。 〔参考文献1〕

    『タッチ』では達也と和也と南の幼少期が何度かエピソードとして登場する。これに関してあだち充は「基本的には回想好きの漫画家」であると語っている。物語は甲子園を目指す高校編から初めてしまうと、甲子園に縛られてしまい、遊べる部分やキャラクターの掘り下げという下準備ができないため、その前の中学編から始まっている。これがさらに幼少期をきちんと描くという物語になっているのが『クロスゲーム』という作品だった。 また、『タッチ』は『みゆき』と同時連載だった時期があり、ゆるいラブコメ的な展開になっている。そして、高校に入学する少し前の3学期から同級生として、それまでは一度も出てきていなかった原田正平が登場する。最初は確かになにか繋ぎのようなキャラクターであったが、次第に表情も変化していき、達也か南の近くにいる二人の理解者としてのポジションを得ていく。『タッチ』①でも紹介したが、柏葉英二郎についてあだちが語っているものを下記に引用する。

    「タッチ」後半の大きな登場人物として代理監督・柏葉英二郎がいるけど、柏葉の登場もまったく計算してなかった。この世界観の中であのキャラがどこまで動けるのかと思ったけど、柏葉監督のおかげでちゃんとした野球漫画になりました。漫画の世界観が変わったからね。これは基本に忠実な、正しい悪役の登場の仕方。「タッチ」の後半が動き出したのはこの男のおかげです。 (中略)  柏葉英二郎については、うまくストーリーが動かなければ、いくらでもギャグで逃げられると思ってましたから。逃げることにはなんの衒いもなくて、いざとなったら逃げちゃえという覚悟は常にあります。この漫画に関しては、そういう賭けが平気でできた。 〔参考文献1〕

    最後に取り上げるこの二人の重要人物は、あとのことを考えて出したわけではなく、とりあえず出してみただけのキャラクターだった。その結果、この二人は物語の内容に深く関与し、また名作として読み継がれる要因となっていった。 「ほんとか? そうは言っても、あだち充は計算してたんだろ?」と思う人もいるかもしれない。しかし、これまでこの連載で取り上げてきたように、あだち充という漫画家はフリージャズ的な週刊連載の進め方で、その週ごとに読み切りを描くように漫画を描いてきた。 結果としてあまり必要ではないキャラクターは知らずといなくなっていくし、原田や柏葉のように存在感が増してくる者もいる。彼らはおのずと「単一神話論」あるいは「英雄神話構造」的な物語に必要なキャラクターに成長していったのだろう。この部分に関しては、やはりあだち充という漫画家は感性の天才だということにつきる。 理詰めで考えるのではなく、漫画を描いていく中である程度自由に振り幅のある物語を展開させていける。そして、アドリブのように出したキャラクターが作品において必要とするポジションを担うようになっていく。
    『タッチ』という作品は、年代ごとに読んで感じるものはかなり違ってくるはずだ。年齢を重ねれば当然親の視線になったりもするだろうが、十代の頃には読めていなかった部分やキャラクターの魅力もわかるようになってきたりもする。個人的には一番最初に読んだ小学生の頃とまったく印象が変わったのが原田正平だった。 登場初期はいわゆる番長的なキャラクターであり、強面の顔はどこか1970年代の劇画的な雰囲気も持っていた。喧嘩の強さは折り紙付きで、他校の生徒からも何度も喧嘩を売られていたりして、同級生たちにも恐れられている存在だ。だが、子分や舎弟を引き連れて行くようなことはせずに基本的には一匹狼だった。それでも、高校のボクシング部ではキャプテンを務めることになる。 原田正平は基本的には上杉和也とは絡んでいない。毎日甲子園を目指して練習に明け暮れ、勉強もできる優等生だった和也とは距離があったと思われる。兄の達也はその逆で、部活もしておらず勉強もさほどできずにブラブラしており、原田としても接点の持ちやすい存在だったのだろう。 あだち充がインタビューで答えているように、原田は達也を導く存在として次第に物語には欠かせない存在になっていく。
    原田正平の初登場はコミックス3巻の「だれが悪い子」の巻からであり、中等部3年の3学期という高等部進学まで残りわずかという時期だった。そこから高等部入学までの6話分は喧嘩の強い原田というキャラクターを自由にさせて、メインの達也と南に絡ませて物語を進めている。この時点では原田正平は物語に大きく絡んでくるようにはまったく思えないのが正直なところだ。 高等部に進学すると達也と和也と南、そして原田と孝太郎、達也とつるんでいた初期の友人全員が同じクラスになる。 原田はある少女が不良に絡まれているところを助けるが、その少女は和也のライバルでもある西条高校3年のエース・寺島の妹だった。彼女が原田にお礼を言いにきて以降、物語は和也の死に向かって大きく動きだす。和也が交通事故に遭った日の決勝戦の相手は西条高校であり、原田が準レギュラーのようになってから、高校編は本腰が入っていくとも言える。

    「みゆき」に関しては、ちゃんとまともな人物はひとりも出てこない。「タッチ」の登場人物、原田正平みたいに、まともなことを言うやつも誰もいなくて、誰も誰を戒めることもない。〔参考文献1〕

    彼がいることで登場人物たちが欲望のままに動かないようにもなっていた。前回も取り上げた「単一神話論」から原田正平を当てはめて考えてみると彼の存在がよりわかりやすくなる。

    第一幕 出立 Step 1 冒険への召命 Step 2 召命の辞退 Step 3 超越的なるものの援助 Step 4 最初の境界の越境 Step 5 鯨の体内 〔参考文献2〕

    上杉達也は野球部に入ろうとしたが、南がマネージャーとして入部したことを知り、入部寸前のところでやめてしまう。これは【Step 2 召命の辞退】になる。

     現実生活においては頻繁に、神話や通俗物語においては稀有というわけではない程度に、召命に応じないというしらけた事態に遭遇する。それというのも、他の関心に耳を貸すのがいつの場合だって可能だからである。召喚の辞退は、冒険をその否定態に転化する。倦怠、激務、ないしは「日常生活」にとり囲まれてしまえば、当の主体は有意な肯定的行為の力を喪失し、救済されるのを待ち侘びる犠牲者ともなろう。 〔参考文献3〕

    双子の弟である和也がいる野球部に入部するというのは、達也にとってはそれまでずっと逃げ続けてきた問題であり、彼にとっては大人になる最初の一歩だったが、自ら逃げ出してしまったかたちとなった。 どこかで大人になりたくないと思っていた達也の内心を表すような展開だが、ここで【Step 3 超越的なるものの援助】として手を差し伸べるのが原田正平である。この原田の役割は「贈与者」と呼ばれる存在だ。

     召命を辞退しなかった者たちが英雄として征旅におもむき最初に遭遇するのは、庇護者(しばしば矮小な老婆、老人)の身なりをしてあらわれる者である。この身なりをした者が、冒険に旅立った者のいままさに通過せんとしている魔の領域で身を護ってくれる護符を授ける。 〔参考文献3〕

    原田が『タッチ』においてまともなことを言い出すのは、野球部に入部しようとしたが諦めた達也を強引にボクシング部に入部させてからになる。 新入部員歓迎スパークリングで先輩にボコボコにされる達也。原田は仇を取るかのように、すました表情で達也をボコボコにした先輩部員を圧倒的に打ち倒す。その帰り道、原田に肩を貸してもらってなんとか歩いている達也とのやりとりが以下のようなものになる。
    「なんなんだよ これは……」 「おまえはすこし殴られる必要があるのさ。」 「なんだァ?」 「でなきゃ、おまえからは殴らねえだろが………」 〔コミックス4巻「南の日記にはの巻」より〕
    帰宅後に南になんでボクシング部なんかに入ったのかと聞かれたやり取りの中で、達也は「自分から殴れるようになるまでさ」と答える。 原田は、前述したあだちの発言のように、達也のキャラクターを読者に伝えながらも、成長を促していく存在になっていく。 和也が交通事故で亡くなる第一章の終わるコミックス7巻の「泣いてたよ」までだけでも、原田は達也のそばにいてずっと助言のように、達也の痛いところをつく発言をして彼を鼓舞し続ける。 和也が死ぬことは最初から決まっていた。原田は彼が死ぬことが運命づけられていたからこそ、達也を導く役割を自然と担っていったのだろう。同時に和也にとって、原田は死神のような存在だったのかもしれない。和也が亡くなるまで原田は達也を鼓舞するが、そのセリフによって物語がドライブしていき、どうしても和也が物語から退場するしかない流れをあだちは作り上げていった。
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  • 男と食 28 | 井上敏樹

    2020-07-28 07:00  

    平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。今回は、鮨屋をめぐるエピソードです。客が店を見る一方、店も客を見ているといいますが、カウンターを予約しても個室に通されたり、大将に話しかけても反応が悪かったりと、一度ならず店に冷遇された経験があるという敏樹先生。打ち解けてその理由を尋ねると……?
    「平成仮面ライダー」シリーズなどで知られる脚本家・井上敏樹先生による、初のエッセイ集『男と遊び』、好評発売中です! PLANETS公式オンラインストアでご購入いただくと、著者・井上敏樹が特撮ドラマ脚本家としての半生を振り返る特別インタビュー冊子『男と男たち』が付属します。 (※特典冊子は数量限定のため、なくなり次第終了となります) 詳細・ご購入はこちらから。
    脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第57回 男 と 食 28     井上敏樹 
     ここ数年、東京の鮨屋事情がおかしい。どれくらいおかしいかと言うと大変、おかしい。次々と新店がオープンして、大将たちが悉く若い。どれくらい若いかと言うと大変、若い。三十代は当たり前で二十代も珍しくない。先日、雑誌を見ていたら二十三歳の大将が紹介されていてびっくりしてクシャミが出た。私はびっくりするとクシャミが出るのだ。無論、コロナ禍の中で頑張っているのだから応援したいのはやまやまだが応援の仕方にも色々ある。大体独立資金はどこから出るのだろう。おそらく後援者だか共同経営者がいるのだろうが、職人というものは将来の独立を夢見ながらコツコツと修業を重ねその間に技術だけではなく人としても熟成されていくものである。まさに鮨ネタと同じだ。『そんなの、古いよ』と思う向きもあると思うが古い新しいは問題ではない。大体、意見というものは全て古いものなのだ。技術面で言うと、鮨屋は割烹に比べて簡単だと思われている。実際、割烹は面倒なので鮨屋になったという職人を私は何人も知っている。大雑把に言うと、鮨屋は締め物と煮物が出来れば形になるのだ。問題は人間味の方である。割烹にせよ鮨にせよ、晒の店に行く場合、お客は料理だけでなく料理人を食べにいくのだ。もちろん若くても魅力的な料理人は沢山いる。若く、溌剌していてユーモアもありトークは軽妙である。だが、飲み友達ならそれで結構だが、料理人となるとまた違う味わいを求めたくなる。格というか佇まいというか『あ〜、勝てないな〜』と思わせるような雰囲気である。いちいち名前をあげていたらきりがないが、そういう料理人の作る料理は決まってうまい。料理にはやはりその人が出るものであり退屈な者の料理は退屈なのだ。
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  • 裏オリンピック計画 | 宇野常寛

    2020-07-27 07:00  

    今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは、幻となった「2020年の東京オリンピック」についての2014年時点の展望です。新型コロナウイルス危機がなければ、まさに開幕したてだったはずの東京五輪。目下、開催は2021年に延期されていますが、もはや1964年の高度成長期のような「国民が一つになる」夢が実現不能なことが誰の目にも明らかな状況のなか、この祭典をめぐって、私たちは何を考えるべきだったのか。開催決定当時の空気感とともに、改めて再確認してみてください。 ※本記事は「楽器と武器だけが人を殺すことができる」(メディアファクトリー 2014年)に収録された内容の再録です。
    2020年に開催予定だった東京オリンピック計画と、それを契機にした東京と日本の未来像について、気鋭の論客たちが徹底的に考える一大提言特集『PLANETS vol.9 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』、好評発売中です! オリンピックという、本質的には時代遅れな国家的イベントへの様々な立場からの賛否を超え、安易な「1964年の夢よ、もう一度」という懐古的なイメージを一新。リアリスティックでありながら、スポーツに興味のない人々をもワクワクさせる、PLANETSならではのオリンピックと東京の姿を描き出します。詳細・ご購入はこちらから。
    宇野常寛コレクション vol.27裏オリンピック計画
     僕がオリンピックの誘致について最初に意識したのは、今年の春に代々木の第一体育館で行われた東京ガールズコレクションに出かけたときだ(僕は職業柄、こうしたガラでもないタイプのイベントにも出かけたりするのだ)。そのまるで90年代で時間が止まったような、「流行」も「時流」も東京のマスメディアと広告業界が創出し、発信できるのだという(僕らからすると申し訳ないけれど時代遅れに見える)自信にあふれた空間に、眩暈がしたのを覚えている。  そんな中で、特に僕がぎょっとした──ほとんど嫌悪感すら覚えた──のが、会場に設置された東京オリンピック誘致への国民の賛意を訴える「広告」パネルだった。そこにはいわゆる「テレビタレント」と「スポーツ文化人」たちが、「(五輪招致が成功したら)私、〇〇〇〇は〜します」という「公約」が、ただし限りなくジョークに近いものが掲げられていた。たとえばお笑い芸人の浜田雅功(ダウンタウン)は「開会式のどこかのシーンで見切れます」と、女子サッカー日本代表選手・澤穂希は「銀座のホコ天でサッカーの試合をします」と、掲げている。僕はこういう遊び心を悪いとは思わない。しかし、この広告を一目見た瞬間にどうしようもなく白けてしまった。はっきり言って、サムかった。タレントのホラン千秋は「ちょっとの間、ゴリン千秋に改名します」と「公約」を掲げていたが、基本的にテレビを流しっぱなしにするという習慣のない(気になる番組だけを録画で見る)僕は彼女が何者なのかも分からなかった。その状態で「ドヤ顔」でつまらないダジャレを目に観させられても、何というか反応に困るしかない。そして何より、僕がウンザリしたのはこの企画(「楽しい公約プロジェクト」というらしい)を考えて実行した人たちは、いまだにテレビや広告が「世間」をつくることができて、人気者とそうでない者との差をつくることができて、そして世論をコントロールすることができると思っていることだ。誰もがテレビを見て、テレビタレントを「人気者」として認知する「世間」に所属していると思っているのだ。  もしそんな世の中が持続しているのなら、広告屋もテレビ業界も昔のように羽振りがいいはずだし、コミックマーケットもニコニコ動画もボーカロイドも普及していない。テレビに出ない(出られない)ライブアイドルのブームも起こらない。もはや、誰もが家にいる間はお茶の間のテレビをつけっぱなしにして、そこで扱われていること=世間の出来事という「前提」を共有しているのは社会の半分でしかない。いまだに20世紀を生きる、旧い日本人だけだ。そんな自明のことが頭に入っていない(もしくは目を逸らしている)人が税金で報酬が支払われるプロジェクトの広報を担当して、大手を振って歩いているのだ。(結果的に招致は成功したからいいようなものの)五輪招致の、国内に対する広報戦略で重要なのは招致反対派を抑え込むことだ。招致には現地住民からの「支持率」がものいうという。このとき重要なのは「(僕のような)特に五輪自体に関心はない、したがって大反対ではないけれど、面倒なのでできれば来ないでほしい」と思っている層を明確な「反対」層に育てないことだ。しかし、こういう広報戦略は、オールドタイプのマスコミたちの勘違いは間違いなく僕たちのような層の反感を育てるだろう。実際、僕はその日から以前より強く、五輪には「来ないでほしい」と考えるようになった。
     少し調べてみると、2020年の五輪招致には1964年のそれを反復し、高度成長の頃の日本を取り戻したいという願望の物語が強く伴われていることに気づいた。当然と言えば、当然のことだろう。人間は過去の成功体験に引きずられる生き物だ。戦後社会のしくみが行き詰まっていることを認めることなく、景気さえ上向けば抜本的な改革は必要ないと考えたがるオールドタイプたちにとって、オリンピック景気はどうしても期待したくなる。もちろん、景気はいい方がいいに決まっているし、とりあえず景気が良くならないと何も手を付けられないのも分かっている。しかし、いい加減日本は『プロジェクトX』『ALWAYS 三丁目の夕日』的な「あの頃はよかった」教から脱出すべきではないか。  亡くしたものの数を数えながら、過去の成功体験に逃げ込んで現実から目を逸らす人々を加速させるのなら、五輪は来ないほうがいい。僕はずっとそう考えていた。しかし、五輪はやって来てしまった。  招致が決定したあの日──僕はこう考えていた。五輪が「来てしまう」のはもう覆せない。それはもはや個人の好悪の問題ではない。だとすると、2020年に五輪がやってくることを「利用」して、どうこの国の社会と文化を再生するのかを考えたほうがいい。2020年の東京オリンピックが、20世紀の重力に魂を引かれた古い日本人たちの「希望」になり得ているのは、1964年のそれが(半ば結果的に)そう機能したからだ。復興から高度成長への大逆転を象徴し、その後の経済発展がもたらす明るい未来をイメージさせるイベントになったからだ。現在に至る首都圏の都市インフラの整備を加速し、カラーテレビの普及をもたらして来るべき「テレビの時代」の下地を整えたからだ。だから彼らは、何の根拠もなく「またオリンピックさえ来てくれれば」と心のどこかで思っている。  だとすると、僕らがやるべきはこの2020年のオリンピックを旧い日本人の思い出を温めるものから、新しい日本人の希望になるものに変えていくこと、奪い取っていくことではないか。
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  • 7/30から新番組「上妻世海 作ること、生きること」が始まります!【号外】

    2020-07-22 07:30  
    気鋭の文筆家/キュレーターの上妻世海さんが、現代美術や建築から人類学・哲学、脳科学・進化生態学まで、さまざまな分野の叡智をたぐり合わせながら、人として「作ること」「生きること」の深淵を思索する新番組がスタートします! 巨大データ×AIによって人の手を離れつつあるテクノロジーと、ウイルスや気候変動など人外のものたちの作用が世界の分断を加速していく中で、それでも人間が創造的な存在であるためには、どこに知の足場を築いていくべきなのか。 いきなり激動を始めた2020年代の奔流に呑まれず、しっかりと考えていくための連続講義です。
    第1回目は7/30(木)20時から!
    放送はこちらから
    https://live.nicovideo.jp/watch/lv327108990ハッシュタグは「#上妻世海 #作ること生きること」
    ▼プロフィール 上妻 世海(こうづま・せかい) 1989 年生まれ。おもなキュ
  • 『カセットテープ・ダイアリーズ』──青春はスプリングスティーンを聴きながら|加藤るみ

    2020-07-22 07:00  

    今朝のメルマガは、加藤るみさんの「映画館(シアター)の女神 3rd Stage」、第6回をお届けします。今回は、アメリカの伝説的ロックミュージシャン、ブルース・スプリングスティーンへのリスペクトが込められた青春音楽映画『カセットテープ・ダイアリーズ』をご紹介します。青春映画でのファーストキスシーンには一家言あるというるみさんですが、本作のキスシーンには物申したいことがあるそうで……?
    加藤るみの映画館(シアター)の女神 3rd Stage第6回『カセットテープ・ダイアリーズ』
    おはようございます、加藤るみです。
    あっという間に2020年も上半期が終わり、下半期に突入しましたね。 振り返ってみると、この上半期は私の人生の中で忘れられない6ヶ月間でした。 年始から大阪に引っ越し、新しい環境での生活。 16年間一緒に過ごした愛犬との別れ。 突然のコロナ禍。 バタバタと目まぐるしく過ぎていった上半期でした。
    ここで、2020年上半期で印象に残った作品を少しだけピックアップしていこうと思います。
    まずは、『パラサイト 半地下の家族』です。 振り返れば一番に思いつくほど、衝撃的に面白い作品でした。 物語のテンポにグングン飲み込まれ、予測不可能な展開に感服しました。 前半のコメディ感と後半のシリアス感のバランスも絶妙で、社会派映画なのに堅苦しくないラフさがこの作品の魅力だと思います。
    最近見直したら、ドラマ『梨泰院クラス』でセロイを演じていたパク・ソジュンが、半地下一家の息子を家庭教師に誘う友人役として出演していたことを発見しました。(『梨泰院クラス』の影響で、ついパク・ソジュンのことをセロイと呼んでしまう私です(笑)。) 『梨泰院クラス』を観なかったら、この気づきはなかったんだろうな、と。 映画もそうですが、韓国ドラマ『梨泰院クラス』や『愛の不時着』に、ロスに陥るほどハマりにハマり、私の上半期は韓国エンタメ作品にたっぷり時間を割いたような気がします。
    ラブコメでは、以前紹介した『ロングショット 僕と彼女のありえない恋』がとにかく最高でした。 美女と野獣的な格差恋愛から、お似合いの2人に昇華させていく手腕が見事。 古典的なラブコメの良さも残しつつ、最新版にアップデートされている令和のラブコメだと思いました。 早くも私の「2020年のベスト10」に暫定ランクインしているほど、大好きな作品です。
    第二次世界大戦下でヒトラーに忠誠を誓う少年の成長を描いた『ジョジョ・ラビット』もよかったです。 MCU作品の中で、一際暗かった『マイティ・ソー』シリーズを、軽快に演出し、がらりとその雰囲気を変え、その娯楽度を底上げした『マイティ・ソー バトル・ロイヤル』のタイカ・ワイティティが監督しているだけあり、きっちりと戦争の悲惨さを描きながらも、軽快に観れるのは匠の技。 『ジョジョ・ラビット』を観て号泣した私は、タイカ・ワイティティに一生ついていくと忠誠を誓ったのでした。 『スター・ウォーズ』の新作も監督することが決まっているので、楽しみです。
    『ストーリー・オブ・マイライフ/私の若草物語』も忘れてはいけないですね。 この映画は、「刻まれた」といった感覚でした。 結婚=女の幸せ、そんな決めつけに縛られた物語の結末だけではなく、色んな結末があっていいはず。 『レディ・バード』で鮮烈な監督デビューを果たしたグレタ・ガーウィグですが、2作目も素晴らしく、もう巨匠と呼びたいくらいです。 彼女の映画を、物語をこれからもずっと観続けたいと思いました。
    ズラッと振り返りましたが、コロナ禍の影響で公開延期になった作品も多々ありました。 本来であれば、今頃はMCUの新作『ブラック・ウィドウ』の感想を熱く語っていたり、待ちに待った『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』で最後と言われるクレイグボンド(編注:ダニエル・クレイグ演じる6代目ジェームズ・ボンド)を惜しんでたりしてたんだろうなぁ……と思います。
    さて、今回紹介する作品は、『カセットテープ・ダイアリーズ』です。
    原作・脚本を務めるサルフラズ・マンズールの自伝的回顧録を、『ベッカムに恋して』のグリンダ・チャーダ監督が映画化。 アメリカの伝説的ロックミュージシャン、ブルース・スプリングスティーンへのリスペクトを込めた青春音楽映画です。

    ▲『カセットテープ・ダイアリーズ』(画像出典)
    舞台は、1987年のロンドン郊外にある小さな町ルートン。 パキスタン系の移民で、小さい頃から日記や詩に自分の言葉を綴ることが好きな16歳の少年ジャベドが主人公です。 閉鎖的な街で受ける人種差別や、絶対君主のようにふるまう父親の抑圧に耐えながら、「いつか街を出たい」と夢見ている彼は、ある日、友人から貸してもらったブルース・スプリングスティーンのカセットテープを聴き、衝撃を受けます。 そしてスプリングティーンの音楽と共に、彼の人生は大きく変わっていく……という物語です。 友情、恋、家族との対立といった要素が盛り込まれた王道青春ストーリーでありながら、 1980年代のサッチャー政権下での不況、移民排斥運動や排外主義が背景にあり、人種差別が生々しく描かれている映画でもあります。
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  • 今夜19:30〜生放送!ノンフィクションライター・石戸諭さんをゲストに、「百田尚樹現象」の真実に迫ります

    2020-07-21 07:30  
    本日19:30〜、ゲストにノンフィクションライター・石戸諭さんをお迎えした生放送があります!
    https://live.nicovideo.jp/watch/lv326691717
    新著『ルポ 百田尚樹現象』で、この国の右派ポピュリズムの現在に迫った石戸さん。
    「新しい歴史教科書をつくる会」から百田尚樹「現象」へ、引き継がれたものとはなにか。
    この国の「普通の人々」の本質に迫る議論を試みます。

    ▽ゲストプロフィール

    ゲスト:石戸諭(いしど・さとる)
    1984年東京都生。毎日新聞社に入社後、岡山支局、大阪社会部、デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。18年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍。
    著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)など。

    ファシリテーター:たかまつなな(お笑いジャーナリスト)

    ▽おす
  • 新世界より〜オーストリアからアメリカへと渡った移民たち | 小山虎

    2020-07-21 07:00  

    分析哲学研究者・小山虎さんによる、現代のコンピューター・サイエンスの知られざる思想史的ルーツを辿る連載の第10回。前回までに辿ったアメリカにおけるドイツ的な知の風土の移植に対し、いよいよオーストリア的な知の流転にスポットを当てます。故国の動乱を追われたオーストリア帝国諸邦の移民たち、とりわけ最も「オーストリア的」な民としてのユダヤ系移民は、新世界に何を求めたのか?
    小山虎 知られざるコンピューターの思想史──アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ第10回 新世界より〜オーストリアからアメリカへと渡った移民たち
    アメリカへの移民供給元となっていた19世紀後半のオーストリア
     本連載第8回でも言及したが、ドイツからアメリカへという知の流入は、19世紀半ばに始まる。特に、1848年のドイツ三月革命の失敗後、弾圧の対象となったリベラル派のドイツ人知識層がアメリカにやってくる。アメリカ建国期からの支配層に牛耳られていた東海岸に安住の地を見つけられなかった彼らが向かったのは中西部であり、その中心地となったのが、オハイオ州シンシナティ、そして「セントルイスのヘーゲル主義者たち」がいたミズーリ州セントルイスだった。だが、こうした知識層のアメリカ移動は、ドイツだけではなく、オーストリアでも起こっていたのだ。いや、それどころか、オーストリアはドイツよりもずっと多く、アメリカへの移民を生み出していたのだ。  ドイツ三月革命では、ウィーンでも民衆蜂起が起きており、ウィーン会議を取り仕切った帝国宰相メッテルニヒが失脚していた。同時期に、当時はオーストリア帝国に属していたチェコのプラハでも民衆が蜂起した。時の皇帝フェルディナンド一世は、ウィーンの暴動を鎮圧するのを優先すべく、民衆の声をいったん聞きいれ、彼らが要求するチェコ人とドイツ人(ドイツ語を母語とするオーストリア人)の平等を実現するために仮政府が樹立される。  だが、これを良しとしなかったものもいた。チェコ国内に住むドイツ人だ。チェコはドイツと隣接しているだけでなく、チェコ(厳密にはチェコ西部であるボヘミア)自体はチェコ語を話すチェコ人の国でありながら、古くから神聖ローマ皇帝の支配下にあり、有力な帝国諸侯の一つとしてドイツとの往来も頻繁で、多くのドイツ人がチェコに住んでいた。  加えて、当時のオーストリア帝国は広大な多民族国家であり(第2回)、帝国内での移動は日常的におこなわれていた。外国人と区別するために、オーストリア国籍とは別に、国内のどこの地域が出身地かを示す「本籍(Heimatrecht)」を定める法律があったほどだった。このようにオーストリアは、帝国本体が多民族国家であるだけでなく、帝国を構成する諸国もその内部では様々な少数民族を抱えていたのだ。特にドイツ人は帝国の支配階級であり、各国に散らばっていた。彼らにとって、当時盛んになっていた民族自決主義は、自らの立場を危うくするものでしかなかったのだ。
     チェコで民族対立が広がりつつあった1848年5月、ドイツ統一と憲法制定を目指すフランクフルト国民議会が開催される(第8回)。この「ドイツ統一」の対象となったのは神聖ローマ帝国を構成した諸邦だったのだが(第2回)、オーストリアの一地方ながら旧帝国諸邦の一つでもあったチェコにも議員を派遣するよう、要請が来る。チェコ人主体の仮政府は当然のように、フランクフルト国民議会への議員派遣を拒否する。このことはチェコ国内のチェコ人とドイツ人の対立をさらに激化させ、やがて首都プラハで暴動が発生する。それを見たオーストリア政府はすかさず方針を転換し、プラハを軍事制圧するのである。仮政府も解散させられ、プラハの革命はかくして失敗に終わるのである。  チェコと同じくオーストリア帝国の版図に含まれていたハンガリーのブダペストでも、革命が起きようとしていた。ここでもまたオーストリア皇帝は、いったんハンガリーの立憲君主制への移行を約束し、ハンガリー人を中心とする新政府が発足する。しかし、こうした恩恵を得ることはできたのはハンガリー人だけだった。ハンガリー国内にはドイツ人のみならず、クロアチア人やルーマニア人などが様々な民族が住んでいたのだ。ハンガリー新政府に対する彼ら非ハンガリー人の反感は、チェコと同様、大きいものだった。  1848年11月、プラハをはじめとする帝国内部での暴動を次々と鎮圧していたオーストリアは、最後の反乱分子となっていたハンガリーに宣戦布告する。ハンガリー新政府に批判的な非ハンガリー人を中心とした部隊を組織するというオーストリアの戦略は功を奏し、翌1849年1月にはブダペストを占領する。  このように、19世紀の後半には、ドイツ人だけでなく、チェコやハンガリーをはじめとするオーストリア帝国を構成する諸国からも、政治的対立や圧政を受けてアメリカへと移民するものが相次いでいたのである。
     じつのところ、1848年の革命失敗によってアメリカ移民が増えたという点では、ドイツとオーストリアは変わらない。だがその後、両者の立ち位置は対照的なものとなっていく。当時のドイツ諸邦で主導権争いをしていたのは、プロイセンとオーストリアだった(第2回)。しかし、大学改革に成功したプロイセンは、産学協同を軸に重工業化を進め、オーストリアとの主導権争いに勝利。1871年にはプロイセン中心のドイツ帝国が成立する。アメリカは、こうして国力でも学問でも世界をリードする国家となったドイツを手本とするようになるのである(第9回)。  一方、カトリック国家であったオーストリアの大学は、相変わらず教会の強い影響下にあり、旧態依然としたままだった。工業化も一部の地域でしか進まず、取り残された地域では、より強まったオーストリア帝国の圧政のもとで農民たちが貧困に喘いでいた。彼らの中には、職を求めてドイツやフランスといった国外へと出稼ぎに行くものがいた。広大な多民族国家だったオーストリア帝国では、国内での出稼ぎは当たり前のようにおこなわれていたからだ。そして発展を続けるアメリカもまた、やがて主要な出稼ぎ先の一つとなっていた。19世紀終わり頃のオーストリアは、ドイツとは対照的に、アメリカへの移民の主要な供給元になっていたのである。  彼らオーストリア移民が目指したのは、ドイツ移民と同じく中西部のオハイオ州やイリノイ州、さらには、その西にあるウィスコンシン州やミネソタ州にまで及んだという。ミネソタ州には、その名も「ニュー・プラーグ(New Prague)」という街がある。もちろん「プラーグ」とは、チェコの首都プラハ(Praha/Prague)の英語表記である。  チェコの国民的作曲家のアントニン・ドヴォルザークは、1892年から約3年アメリカに滞在している。代表作「新世界より」を作曲したのはこの時期だ。ドヴォルザークは主にニューヨークで暮らしていたが、「新世界より」の作曲後、知人に招かれて中西部のイリノイ州スピルヴィルという街で休暇を過ごす。スピルヴィルには多くのチェコ人が住んでおり、そこにいる時は故郷にいるように感じられたとドヴォルザークは回想している。結局ドヴォルザークはホームシックのために帰国するのだが、ヨーロッパとは大きく異なる東海岸とは違い、中西部には故郷を思わせるものが数多くあったのだろう。

    イリノイ州スピルヴィルのドヴォルザーク逝去75周年記念スタンプ(1975年)(引用) Public Domain
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  • 「2020年以降」の経済と、個人の生存戦略 | 山口揚平

    2020-07-20 07:00  

    今朝のメルマガは、イベント「遅いインターネット会議」の冒頭60分間の書き起こしをお届けします。山口揚平さんをゲストにお迎えした「『2020年以降』の経済と、個人の生存戦略」です。新型コロナウイルスによるパンデミックによって、2020年以降の経済はいかに変わっていくのか。そして、変わりゆく時代を生き抜くための生存戦略を考えます。(放送日:2020年6月16日)※本イベントのアーカイブ動画の前半30分はこちらから。後半30分はこちらから。
    【明日開催!】7月21日(火)19:30〜「現象としての保守とインターネット(遅いインターネット会議)」(ゲスト:石戸諭)新著『ルポ 百田尚樹現象』で、この国の右派ポピュリズムの現在に迫った石戸さん。「新しい歴史教科書をつくる会」から百田尚樹「現象」へ、引き継がれたものとはなにか。この国の「普通の人たち」の本質に迫る議論を試みます。生放送のご視聴はこちらから!
    遅いインターネット会議 2020.6.16「2020年以降」の経済と、個人の生存戦略 | 山口揚平
    長谷川 司会を務めます、モメンタムホースの長谷川リョ―です。
    宇野 こんばんは。宇野常寛です。
    長谷川 この企画は、本来であれば有楽町コワーキングスペース三菱地所SAAIからトークイベントとしてみなさんにお届けしたかったのですが、当面の間は新型コロナの感染防止のため動画配信へと変更しています。それではゲストの方を紹介します。今日のゲストはブルーマリンパートナーズ株式会社代表取締役の山口揚平さんです。よろしくお願いします。
    山口 よろしくお願いします。
    長谷川 さて、本日のテーマは「2020年以降の経済と個人の生存戦略」です。新型コロナウイルスによるパンデミックは世界経済と社会生活をどう変えているのか。この危機を個人はどう生き抜くことができるのか。大きな構造の問題から小さな生活の問題まで議論していきたいと思います。
    宇野 コロナ禍に関してはこのイベント『遅いインターネット会議』シリーズでも、うちのほかの媒体でもだいぶ扱っていて、コロナ危機そのものを、どうやって感染を防いでいくのかといった議論をしてきました。今日は視点を変えて、コロナ禍によってわれわれの生活がどう変わったのか、経済構造をベースに考えていけたらと思って、山口さんに来ていただきました。改めて、今日はよろしくお願いします。
    山口 よろしくお願いします。1年ぶりですね。
    宇野 山口さんはこの1年、どうだったんですか?
    山口 変わらないですね。服も実は同じなんです(笑)。
    宇野 安定の山口さんですね(笑)。
    山口 宇野さんも変わらず。
    宇野 ぼくは……なんとか生きてるって感じです(笑)。
    山口 私は、最近髪の毛が心配なんですよね。
    宇野 そうですね。でも受け入れて生きていこうかなと思ってます。
    山口 いやいや、宇野さんは髪の毛大丈夫じゃないですか。
    宇野 そんなことないですよ。ぼくは家系を辿っていくと危険なので、常に怯えながら生きているんですが、怯えに慣れることをちょっと覚えようかなと思ってます。むしろ、こんなに残ってくれてありがとう、と思えるような日々の感謝みたいなところにたどり着きたいなと思って生きてます(笑)。
    山口 難しい(笑)。
    宇野 それでは、リョ―君よろしく。
    世界の産業構造はどう変わるのか?
    長谷川 それでは、さっそく議論に入っていきたいと思います。今日は全部で10個の質問を準備してきました。それらの質問を通じて、withコロナ時代に貨幣や経済のあり方がどう変わっていくのか。そしてわたしたちが時代を生き抜いていく方法を考えたいと思います。
     まず1つ目の質問は、「世界の産業構造はどう変わるのか?」です。今年3月に公開された記事では、山口さんは新旧産業の交代は2025年であり、一番辛いのはガラガラと崩れていく2020年の後半から2023年までの3年間です、と仰っていましたが、現在この予測は変わっていますか?
    山口 これは、今から5年前に渋谷ヒカリエで行われた「Tokyo Work Design Week」に登壇した際に、書いたものなんですが、今でも変わっていません。産業構造とか社会構造は常にじわじわと変化しています。2015年ぐらいからピークアウトが始まっていて、当時から「これはやばいぞ、2020年から本格的にアウトだ」と予測していました。当時オリンピックがある予定だったので、オリンピックまではこの国もなんとかするけれど、オリンピック後はもうイベントがない。なので、2020〜2021年に停滞し、2022〜2023年で産業・社会構造が崩壊します。そして、2024〜2025年で新しいものが立ち上がってくると考えていて、今もその考えは変わってないですね。
     でも、ある意味でラッキーだったのはオリンピックじゃなくてウイルスがやってきたこと。日本全体の産業構造にとってはラッキーだったんです。みんな違和感を持ってたと思うんですが、日本にそのままオリンピックが来ていたら、そのまま観光立国になってた可能性があるんです。ところが、どこの国にとっても観光立国っていうのは最後の道。今日はあえて経済的視点から見るということで言うと、歴史の産物、つまり過去の人々が作ってきてくれた遺物、レガシーをチラ見せして売るような産業構造になっちゃう訳です。それが1年遅れ、場合によってはないかもしれない。日本は最終手段を取らず、頑張らなくちゃいけなくなったわけです。この点が一番ポイントかなというふうに思っています。
     産業構造の転換は、シンプルに考えられます。自動車および部品、電機産業といった、昔でいうところの加工貿易産業が、日本経済のだいたい10%ぐらい、日本の経済はざっというと500兆円ですから、そのうちの50兆円を加工貿易産業が占めているんです。つるっとした数字なんですけれども、全体を見るときに、こういう数字を覚えておくことはとても大事なことです。貨幣は二次元、三次元と使うわけですが、一次元、つまり単なる数字として見るんです。500兆円ってなんか大きいなっていう感じで、単なる数字で見る。若い人が見てると思うので、この貨幣に関しては後で話すんですけれども、いくつか覚えておくべきものがあるんです。
     この国のGDPは500兆円なんです。GDPというのは売り上げだと思ってください。そのうちの10%が自動車関連産業。つまりトヨタとその周辺が50兆円。それに付随することを考えると、なんだかんだで20%から30%を自動車の販売に頼ってるんです。あとは、内需やサービス業と、いろいろあるんですけど、観光は20兆円ぐらいなので、1/25くらいなんですね。だから、観光立国なんて言ってても誰も食えない。そういう話です。
     冷たい印象があるけど、全体観を持っているといいことがあります。
     もう一つの数字としては、約5000万人が働いている国だと思ってください。本当は6300万人ですけど、減っていくので5000万人だと思ってください。5000万人のうち500万人が自動車工場で働いていたり、保険を売ったり、中古車ディーラーで食べている。けっこうな規模なんですが、トヨタが減収80%、ホンダが赤字ということで、自動車産業はもう崩れちゃっているわけです。そうすると、これが日本の基幹産業だから、もう大変なことになるんです。こうなると、社会保障、医療だとか身の回りのことや生活保護が大切、と言う話になっていきます。
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