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京都のある骨董品店で出会った桃山時代の唐津のぐい呑み。友人との約束のため、車が買えるぐらいの値段の貴重な品を抱えて出かけた敏樹先生ですが……?
脚本家・井上敏樹エッセイ『男と×××』第59回
男 と 食 30 井上敏樹
先日、私の乗ったタクシーが事故った。路地から飛び出した自転車をはねたのだ。後ろに子供を乗せた母親の、一時停止無視が原因だった。私の脳には、その瞬間の映像が、スローモーションのように刻まれている。まず、運転手が『うおおお』と叫びながら急ブレーキを踏んだ。私もなにか叫んだかもしれない。自転車の母親はタクシーが激突するまでぼんやりとしていた。きっと、なにか考え事をしていて一時停止を忘れたのだ。悲惨なのは子供の方だった。運転手は急ハンドルを切り、結果的に自転車の後ろの方に激突し、子供は宙に放り出された。運転手は車外に飛び出し母子の具合を確認した。母親は無傷だったが、子供の方は頭から血を流して号泣している。運転手は子供を抱き上げて母親に渡した。それでも母親はぼんやりとしていた。ショックのせいなのか、考え事が頭から離れないのか、或いはゾンビだったのかも分からない。救急車とパトカーが到着するまでの約15分の間に子供は大分落ちついて来た。自分の足で立ち、救急車に乗れるのを楽しみにしているようだった。頭から血を流しているのに大したガキ、いや、お子様である。もしかしたらゾンビなのかも分からない。それにしても運転手は私を全く無視しているのが気に食わない。私だって怪我をしているかもしれないではないか。事実、急ブレーキの際、シートに頭をぶつけていたのだ。全然平気だったけど。問題は私の荷物の方だった。私は巾着型のバッグを膝の上に乗せていたのだが、それが足元に落ちたのだ。中には骨董品が入っていた。桃山時代の唐津のぐい呑みである。その日は友人との会食の約束があり、ぐい呑みを愛でながら酒を飲もうというわけだった。正直言って私はゾンビかもしれない母子よりもぐい呑みの方が心配だった。もし割れていたらどうしよう。400年以上もの間人々の寵愛を受けて来た貴重な品を、私の代で駄目にしてしまったら、それこそ切腹ものである。
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