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周辺体験の消極性デザイン|栗原一貴・消極性研究会 SIGSHY
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周辺体験の消極性デザイン|栗原一貴・消極性研究会 SIGSHY

2021-01-14 07:00
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    消極性研究会(SIGSHY)による連載『消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。』。今回は栗原一貴さんの寄稿です。
    年が明けても依然としてコロナ禍による生活環境のオンライン化の圧力が続くなか、急速に失われていっている「周辺体験」。その喪失を多少なりとも軽減するためには何ができるのか、引きつづき消極性デザインの立場から考えていきます。

    消極性デザインが社会を変える。まずは、あなたの生活を変える。
    第20回 周辺体験の消極性デザイン

    こんにちは。消極性研究会の栗原です。
    前回はコロナ禍による社会の急激なオンライン化によってコミュニケーションが劇的に変質し、それに悪影響を受けている人と恩恵を受けている人がいて、また恩恵の影で失われてしまっているにもかかわらず気づきにくいことがある、ということにフォーカスを当て、対策を議論しました。

    それから数ヶ月たった今、皆さんの生活はいかがでしょうか。再度執筆の機会をいただいた私は、この数ヶ月を振り返り、新しい話題提供のための構想を練り始めたのですが、ちょっとびっくりしてしまいました。前回執筆時から後、自分の体験したことがらがいまいちぱっとしないというか、嬉々として皆さんにお伝えしたいと思えるようなことがなかなか思いつかないなぁと気づいたのです。

    それなりに窮屈なstay home生活の中で試行錯誤し、守りの中での攻めとでも申しますか、私はオンライン開催されるいろいろな「場」に出向き、色々な人と話しました。オンラインはすばらしい。前回語ったようにコミュニケーションは変質し苦労もありますが、感染拡大で深刻な苦しみに見舞われている方々も大勢いらっしゃるなか、個人的には在宅で労働できる境遇に感謝しつつ、これまで諦めていたようなイベントへの参加などが可能になり、充実した日々を送っていたようにも思えたのですが。

    ふと俯瞰的に自分の生活を振り返ると、オンライン化により積極的な精神活動が可能になった一方で、身体を持つ動物としての私の生活は、極めて単調な繰り返しになってしまっていることに思い当たりました。そこにある喪失は何なのだろう。それを考えるのが今回のテーマです。

    前回に引き続き、安易な懐古主義を嫌っていた自分が、コロナ禍の今、意外にもこんなに懐古的になってしまうのか、という驚きを語るシリーズの続編です。

    周辺体験がない!!

    我々が失ったもの、それはおそらく、「周辺体験」なのではないかと思い当たりました。普通我々はなにかやらなければならないことがあるとき、それにあてがった時間や労力の100%をその対象に費やすことはできません。たとえば会議をするには、会議の場所まで移動しないといけない。その際、本来しなくてもいいような体験をします。満員電車に辟易することかもしれませんし、街路樹から季節の移ろいを感じたり、まだ行ったことのないラーメン屋の匂いに心惹かれることかもしれません。偶然誰かに出会うこともあります。これらを「周辺体験」と呼ぶことにします。

    以前の記事で、引っ越しによって満員電車通勤がなくなって自分のストレスが減って(良かったのだけれど)自分の創造性に対し負の影響があった、ということを書きましたが、そういった周辺体験が正であれ負であれ人に影響を与えることは日々実感しておりますし、皆様にも思い当たるところはあるのではないでしょうか。

    オンラインチャットをベースとした仕事はコミュニケーションは、まさに(ありがたいことに)空間を超えて瞬時に人と人をつなぐことができ、それにまつわる移動や偶然の出会いといった余計なものを極端に排除してしまう副作用を生みました。基本的には自分から積極的に求めなければ新しい出会いも雑談も難しいのがオンラインコミュニケーションだと前回も述べましたが、それが人と人だけではなく、人と場所・モノといった有形・無形物との交流の排除にもつながっているのです。

    Point:
    オンライン化は周辺体験を排除する。

    やりたいことだけいくらでもできる弊害

    そういう生活の「機微」とでも言うのでしょうか、ちょっとした人や有形・無形物との交流というものは、文字通り「微か」であることが自分にとって重要であったと実感します。「フツウ」に生活していれば、どんなに移動や仕事を効率化しても何らかの周辺体験が微かには伴うので、割とそのくらいの分量で私は満足していたのでした。つまり、たとえば「飛行機ですぐ行けるのに、雰囲気を味わうために寝台列車に乗る」のようなある種極端な趣向は個人的には不要だったわけです。

    ところが職業生活がオンライン化し、効率的に業務上のコミュニケーションが取れすぎるようになった結果、何が起こったでしょうか。「ついつい朝から晩までオンラインでの会合を詰め込みすぎて疲れてしまう」というビジネスマンの悲鳴はよく聞かれます。強制される会合も多いでしょうが、私の場合は「ついつい自分でやりたいことを詰め込みすぎてしまう」という性質のものも多いように思いました。以前であれば会合の合間の微かな周辺体験が、強制挿入される息抜きあるいは刺激になっていたようで、その割合が激減したことにより、さすがに私のQOLも下がってしまっていたのです。

    それで思い知りました。私は、「主目的に伴う、主目的以外のちょっとした活動の充実、つまり遊び心の充足こそが豊かな人生の指標の一つだ」という価値観を持っていて、今それがコロナ禍でダメージを受けてるのだと。


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