ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。
平成を代表する本格野球ラブコメ漫画『H2』の読み解きの完結編です。最後に考察するのは、主人公・国見比呂のヒーロー性について。『ナイン』や『タッチ』と異なり、ライバル役の橘英雄とともにプロ野球入団が視野に入る超高校生級の選手として描かれた比呂の回り道の成長劇には、あだち充の人生観やゼロ年代に向かう時代の変化への応答が、どんなふうに刻まれていたのでしょうか。
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春
第16回(4)国見比呂というヒーローの成長としての失恋を描いた『H2』
あだち充野球漫画はスロースタートすることでラブコメを強化する
『H2』はあだち充にとって『タッチ』以来の野球漫画であり、タイトルが示すように国見比呂と橘英雄のヒーロー二人と古賀春華と雨宮ひかりのヒロイン二人の関係性をメインにした青春群像劇で、好き放題に描かせてもらった前作『虹色とうがらし』では商業的な手応えがなかったため、必ずヒットさせるべき勝負作だった。
あだち充を国民的な漫画家にした『タッチ』は野球と恋愛のバランスにおいては後者の「恋愛」のほうに比重が置かれていた。そのため、野球がしっかり描かれていたのは作中では最後の試合となる地区大会決勝の須見工戦だけだったとも言えなくもない。『H2』では野球と恋愛ではどちらに比重が置かれていたかというと、このバランスはかなり拮抗しており、両者が鬩ぎ合うことで『タッチ』で描いた1980年代的な新しいスポ根とラブコメの融合をさらに深化させたものとなった。それもあってか、20年以上前に連載が終わった作品であるにも関わらず、今読んでも古びた感じがまったくしない。
野球と恋愛のバランスがいいのは、「タッチ」より「H2」ですね。ラストはもうああするしかなくなっちゃったんです。比呂と英雄の直接対決、比呂と春華とひかりと英雄の恋の決着を描きたかったのであって、その後の甲子園の決勝について描くつもりはありませんでした。〔参考文献1〕
あだちがインタビューで答えているように今作においては比呂と英雄の直接対決に向けての流れをどう演出するかということ、そしてヒーロー二人とヒロイン二人の四角関係となった恋愛の決着をいかに描くかということがこの作品のクライマックスとして考えられていた。
『タッチ』では恋愛面において、主人公の上杉達也とヒロインの浅倉南の幼なじみの二人が上杉和也の突然の死を乗り越え、達也が南の気持ちを受け止めて自分の思いを伝えられるかという物語でもあった。
達也は和也と南の夢であった「甲子園に南を連れていく」という願いを叶えることで、ある種の通過儀礼を終えて本当の自分の気持ちを伝えることで、和也の空白を二人で受け入れて自ら決断ができる大人になっていく。終盤の上杉達也から朝倉南への告白が『タッチ』における最大の見せ所であり、語り継がれる名シーンとなった。
改めて読み返してみると『タッチ』はやはり恋愛面のラブコメ要素が物語全体を引っ張っていっていた。後半では野球の場面が多くなっていくが、物語は達也と南の関係性がどうなるかがメインなので、とてもわかりやすいストレートな展開だったとも言えるだろう。
和也が交通事故で亡くなる一年生の夏までは、主人公である達也が野球を本格的に始めることはなく、物語のテンポがスロースタートだったこともあり、序盤で遊びの部分としてラブコメ的な展開やギャグを入れることで野球を描くことから逃れる可能性を残していた。それについては『みゆき』と同時連載していたことで、最初は力を抜いていたことも理由としてあだち本人が語っている。
同様に『H2』も物語の序盤では主人公の国見比呂は偽医者の誤診によって野球部のない千川高校に入学し、サッカー部に入っていたことでフルスロットルでのスタートにはならなかった。物語としては遠回りであるが、最初は野球愛好会に入会して野球部に昇格させるプロセスを置くなど、甲子園を目指す前にいくつかのハードルがあり、元々野球選手として高い資質を持つ比呂が本気で甲子園を目指すようになるまでの準備期間が設けられていた。『タッチ』も『H2』も共に主人公の達也と比呂は高校一年の夏は地区大会どころではなく、二年生になるまでは準備期間として描かれている。
あだち充は「僕の野球漫画は、主人公が、英雄の明和一高校みたいな強豪校に入ることはないです。そうしたら、本格的な野球漫画にしないといけないし、放課後でラブコメをやってる時間もないだろうし、野球漬けの青春なんて想像できないから。そのためには主人公が野球部のないような高校に行くほうが、漫画家としては描きやすい」とインタビューに答えているが、「本格的な野球漫画」「野球漬けの青春」にしないことでその時代ごとの少年たちに支持されてきた部分もあっただろう。自分もそうだったが、野球漫画は読みたいが、あまりにも真面目なものはどこか恥ずかしく、なにかに熱中していない自分と主人公の本気度を比べてしまうと手が伸びなくなってしまうことがあった。
『H2』では当初は比呂と春華、英雄とひかりというカップリングで進んでおり、比呂と春華は互いに好意は持っているが彼氏彼女という恋人手前の関係を維持していた。
高校二年の夏の甲子園大会、比呂と英雄の直接対決の直前にあたる二回戦で、比呂率いる千川高校は伊羽商業高校に負けてしまう。その翌朝に比呂はひかりに自分の初恋の相手がひかりだったことを告げ、試合で足を痛めていた比呂がよろけた際にひかりが抱きとめた場面を、宿からいなくなった比呂を探していた春香が目撃してしまう。ここから二組のカップルの関係が四角関係になっていき、誰と誰がくっつくのかがわからなくなっていくのが物語における一番大きな転換点であり、方向性を完全に決めたものとなった。
物語としては比呂と英雄の直接対決がクライマックスになるのは予想できたが、そこに四角関係の行方も重なることで野球と恋愛の要素が互いに鬩ぎ合い、クライマックスの高校三年生の夏の甲子園大会に向けて物語の緊張感が高まっていき、目が離せなくなっていく。そのため、読み比べると『H2』のほうが『タッチ』よりも人間関係やそれぞれの想いが複雑になった人間ドラマになっている。
また、『H2』はあだち充の漫画家としての描写の進化もあり、セリフなどで状況を語らずに描写とコマだけで表現するという省略の技術がより高度なものとなっていた。
「北・東京大会」決勝の千川対樟徳戦はコミックスでは17巻の最後に収録されている「ほんとですか!?」と「千川が勝つよ」の2回で描かれているが、この試合の最後の数ページがあだち充の省略の美学の真骨頂のような描写になっている。
「千川が勝つよ」の終わる10ページ前ぐらいからは試合中の比呂たちのセリフはほぼなく、ナインの攻守の活躍が1コマずつ描かれ、そこには英雄による「実際、強ぇんだよ千川は」「実績がねえから、ただの勢いみてぇにいわれてるけどな」というひかりに話した言葉がモノローグのようにコマに入っている。
4対1で千川が勝利した試合のラスト3ページでは、見開き2ページで球場での歓喜のシーンが見事な構図で描かれている。そして、最後の1ページであり、コミックスの最後のページとなる180ページ目には明和第一の校舎とセミの鳴き声、水道から勢いよく出る水に頭を差し込んで冷やしている練習の合間の英雄、そこに笑顔で走ってくるひかり、そして飛び立っていくセミという5コマが描かれている。
千川が甲子園出場を決めたあとの3ページにはセリフはなく、球場の歓声や熱闘への賛美などの熱さが感じられ、ラストは対照的に頭を水で冷やしている英雄と比呂たちのことを喜ぶひかりによって、物語はもう甲子園での戦いが始まるのだと読者にこの先の物語を感じさせるものとなっていた。この描写はもう見事としか言いようがなく、あだち充の技巧の素晴らしさを改めて感じることができる名シーンでもある。
比呂たちが三年になる前の春季高校野球大会で千川高校野球部が初優勝した際には、その優勝をテレビで見届けていた明和第一の監督は一緒に見ていた英雄に、前年の夏同様にひかりを夏限定で野球部のマネージャーになってくれるように頼んでくれと告げる。監督にとってひかりは甲子園で優勝させてくれる女神のように思えていたからだ。そして、比呂が優勝した甲子園のスタンドにはひかりもいた。英雄は比呂が優勝したのはひかりのおかげではなく、実力ですと告げると「実力だけで勝てないのも甲子園だ」と返される。その部屋から出ていった英雄は野球場にある水道を勢いよく出して頭を突っ込む。水が頭から滴る英雄の顔には、この夏にはついに親友である比呂と戦うことになるのだろうといううれしさとひかりはどちらを応援するのだろうかと考えているような、英雄にしてはどこか自信なさげな表情が浮かんでいた。
もうひとつ『H2』でこれぞという名シーンを挙げるとすると、連載ではほとんど取り上げていないが千川高校野球のセンターである木根竜太郎が甲子園で比呂の代わりに一試合を投げ切って勝利を収めたコミックス32巻収録「本当の自分の限界よりも」だろう。
9回裏2点差で勝っていた千川高校だが、センターに入っていた比呂をなんとベンチに下げ、古賀監督は本来才能はありながらも不完全燃焼だった木根にすべてを託すという大胆すぎる決断をする。ベンチでは春華が「同点に追いつかれたら?」「延長戦は?」と兄である監督へ強めに問いただし、比呂には「なんでおとなしくベンチに下がったの」「この試合負けたら橘くんと戦えなくなるのよ」と感情的に言うシーンがある。比呂は「だとしたら、そういう運命だったんだろ」と言い、「運命を信じてるのさ」「絶対避けられないようになっているはずなんだよ。おれと英雄の勝負はな」と言うものの、木根は2アウトになってからヒットを打たれてしまう。そして、最後の打者が打った打球が大きく空へ飛んでいき、木根はスタンドの方をただ見ているコマが描かれる。
次のページでは1ページを使って新大阪駅の新幹線やキヨスク、新幹線の案内や時刻表や描かれる。その次のページでは喫茶店の入り口が描かれ、その奥にテレビがあるのが小さく描かれる。次のコマではズームアップし、3コマ目ではそのテレビ画面にアップでガッツポーズをしてうれし涙を流している木根が見え、最後の4コマ目はテレビの画面がさらに大きく描写される。その次の最後のページは木根がガッツポーズしているコマが半分近くを占め、その下のひとコマには「第16日 準決勝」「明和一(南東京) ― 千川(北東京)13:30」と日程が描かれる。千川が勝利し、ようやく比呂と英雄の直接対決が叶ったことが明かされてこの回とコミックスは終わる。そこにはセリフもモノローグもないのだが、コマと描写だけで見せるあだちの技術が感動を呼ぶ。
超高校級の投手・国見比呂と橘英雄はかつてのあだち充だった?
6年ぶりとなる野球漫画の主人公となる国見比呂はどんなヒーローだったのか、と考えていくと、1990年代的な新しいヒーロー像という感じは当時からあまりしていなかった。
『H2』連載時に「少年サンデー」で連載していた作品には、『うしおととら』『GS美神 極楽大作戦!!』『鬼切丸』『名探偵コナン』『烈火の炎』『犬夜叉』『ARMS』『からくりサーカス』などがあった。時代的にもミステリーやダークファンタジー的な要素が入った作品が多くなっていったこともあり、主人公がどこか闇の部分や秘密を抱えているものが多くなっていた。そうした中で、セリフやモノローグなどでできるだけ状況を説明せずに描写とコマによって見せるあだち充の技術は、他の作品とはかなり違った印象を与えていた。
他の作品が世紀末に向かっていくのに呼応するかのように、絵的にも暗く、スクリーントーンも重めのものを使っていたため、『H2』では描写されるものもシンプルに見え、抜けたような空が多く描かれることで対照的に明るい雰囲気を醸し出していた。
キャラクター設定はそこまで細かくはしてなかったけど、主人公・国見比呂の成長が遅いということは決めてました。同じように成長が遅かった自分が投影されてますね。中学時代は、同級生の女の子を見ると「どう考えても見てる世界が違う」と思ってました。
比呂は中学時代、自分の初恋には気がつかなくて、気づいた頃には、幼なじみの雨宮ひかりと比呂の親友である橘英雄はもう付き合っています。
これまでの漫画は、主人公とヒロインがいて、なんだかんだあったとしても最後はふたりは一緒になるんだろうということはわかっていた。でも「H2」は四角関係という設定を作ったので、どうにでもできると思いました。最後の最後まで比呂とひかりはどっちにいくかわからない展開になります。〔参考文献1〕
国見比呂のキャラクターを構成する大きな要素としては成長期と思春期が少しだけ周りよりも遅れていたというものがあった。このことはあだち充自身の体験が反映されている。
『タッチ』における上杉達也と和也の双子の兄弟について、あだちの周りの人間たちからすれば「愚兄賢弟」としてあだち勉とあだち充の兄弟が反映されたものだとも言われていた。実際にそういう部分はあったのかもしれない。
上杉和也とは何者だったのかというのは以前の連載に書いているのでここでは詳細は省くが、弟の和也は1970年代的劇画ヒーローの要素を持ち合わせていたからこそ、死んでしまうキャラクターであり、最初から死ぬことが運命づけられていた。兄である達也は1980年代的な新しいヒーロー像を体現するキャラクターであり、それまでのスポ根的な主人公像を軸としながらも新しい時代に合わせたアップデートされたヒーローとして造形されていた。
「愚兄賢弟」と思われていたあだち兄弟だが、それを地で行くように兄の勉は「飲む・打つ・買う」の三拍子揃った遊び人であり、漫画家の師匠でもある赤塚不二夫とも遊び歩いていた豪快な人物であり、多くの人から可愛がられ、慕われてもいた。そして、多くの人に漫画家としての才能もあると買われていたものの、そちらに関しては弟の充がヒット漫画家になっていくのに反比例して自分の漫画を描かなくなってしまい、歴史に残る漫画家にはなれなかった。
その意味でもぐうたらでなにかに真剣になることがなかった上杉達也は、あだち勉に重なる部分がある。しかし、その潜在能力が天才肌だと思われていた(実は努力家だった)弟の和也を遥かに凌ぐものであったということは、弟の充があだち勉の漫画家としての能力に重ねて描いた部分もあったのではないかと思えるのだ。