今回のメルマガは、空想地図作家として知られる今和泉隆行さんと、「設定考証」としてフィクション作品の架空都市設計に携わる白土晴一さんとの特別対談をお届けします。
Googleマップから目的地への最短経路を「検索」することが当たり前となった現代、あえて都市に潜む偶然性に目を向けることでみえてくるものとは何か? 空想都市と現実の都市を渡り歩くお二人から、都市観察の極意を伺いました。
(聞き手:山口未来彦、構成:徳田要太)
空想都市の作り方と現実の都市の歩き方|今和泉隆行×白土晴一
空想都市設計者たちの、街を見る視点
──今回は空想地図作家として知られる今和泉隆行さんと、フィクション作品の設定考証に携わり、PLANETSが運営しているメールマガジンやWebマガジン 「遅いインターネット」でも「東京そぞろ歩き」を連載中の白土晴一さんに、「現実の都市をどのように見ているのか」「空想都市のリアリティを生むにはどうすればいいのか」というテーマでお話ししていただきます。まずはお二人がどのような活動をされているのか、簡単にご紹介していただいてもよろしいでしょうか。
今和泉 7歳の頃より、実在しない都市・中村市の地図を書いております。特に観光名所もなければ見どころもない、人口が150万人くらいいる何の変哲もない都市です。
白土 「設定考証」と言って、基本的にはアニメーションやゲーム、漫画などフィクションの世界観を作るための設定を考えるという仕事をしています。この仕事にステレオタイプ的なものはなく説明がしにくいのですが、僕の場合はその世界観に合う街並みや、キャラクターの立場に忠実なセリフを考えたり、美術の人に地形の発注をしたり、作品のディテールを構築していくというのがだいたいの仕事です。
僕は地理も地図もすごい好きなので、今和泉さんの空想地図を見たとき、これは褒め言葉ですが、極北の趣味を歩いていらっしゃるなと思いました(笑)。「タモリ倶楽部」などに出演されたときも「これはすごいな」と思って、うちの業界では地図を描く人が足りないので何か依頼しようかなと考えたくらいです。実際に地図を作るというのはかなり大変なんですよね。
今和泉 わかります。私はテレビドラマの小道具として空想地図を作ることもあり、そのたびに実感することですが、地図や地理に対して博識で緻密な方は逆に作れないと思っています。厳密になりすぎると実在するどこかの場所にものすごく似てしまう。そうすると空想地図ではなくなってしまうので、ある程度わからないまま作ってしまう、思い切りやある種の適当さがないと作れないんです。
一方でそのために修正点が多くなることもよくあって、実際ネットに上げたものでも時々「ちょっと違うな」と思ったときには修正をしています。たとえば都市の規模から考えると、地下鉄を描いてしまったことでつじつまが合わなくなってしまうことがありました。地下鉄があるということは人口が少なくとも100万人ぐらいはいるはずです。しかし中心市街から半径1~2kmの場所に農地ができてしまっていたので、それではつじつまが合わないということで、少しずつ都市郊外の住宅地を広げていったというような経緯があります。
インフラ構造に合わせて都市の規模を修正(今和泉さん作成)
白土 なるほど。そういうときフィクションの場合なら、地下鉄ができた理由は何だ、と考えます。たしかに地下鉄市街の人口は150万人クラスでも採算が取れるかどうかギリギリのレベルなので、農地の近くにあるとしたらそれは軍事的な理由なのか、政治的な意図か、それに伴う産業的な意図か、そういった理由がないと作れない。
今和泉 そうなんです。もちろん地下鉄を消すこともできたんですが、あえて広げてみたのが最初の修正です。
ちなみにこの後に、大学の建物の配置も直しました。地図の下絵を作ったのが高校生のときだったので大学の構造をよくわかっていなくて。
大学内の構造をより詳細に(今和泉さん作成)
白土 その大学は建てられて何年くらいというイメージですか?
今和泉 古いところは、大学になってから60〜70年、新しいところが20〜30年です。
白土 昭和のベビーブームに伴って大学の規模が広がった時期ですね。
今和泉 いわゆる団塊の世代が学生になったころに急増したような大学です。
白土 僕としてはこうやって建物やインフラの起源を探るのがすごい好きなんですよ。僕の友人に漫画家の速水螺旋人さんという人がいて、彼と旅行に行った時はその地域の普通の道路や街並みを撮影し続けました。観光地である必要がまったくない。「この街の商店街はこの形だからこんなところがあるんだろう」とか「道路の幅がこれくらいだから道路の都市計画は後から行われたんじゃないか」とか、何気ない街中でもそういう話をずっとしながら歩いている。
茨城県日立市にて(白土さん撮影)
今和泉 すごく自分と似た移動の仕方をしている気がするんですけど(笑)、私も観光地には行かないんです。行ったとして10分くらいで観光は終わりにして、観光ガイドに書いてあるような情報は誰かと一緒に行くときでないかぎりわざわざ確認しません。ただその観光地が、遠方の人が来るようなところなのか、海外の人が来るのか、それとも地元の人にとっての観光地になっているかというような導線の部分は気になるので、目の前までは行ってそれを確認したらすぐに引き返してしまいます。
白土 すごくわかります。県内レベルで人が集まるところなのか、国際レベルで集まるのかで明らかに観光インフラが違いますよね。
今和泉 そうなんですよ。それによってその土地の産品を名産品として売っていくのか、リーズナブルな価格で売っていくのかといった価格戦略も変わってきます。地元向けのものはそこまで高くなりませんが、観光客の出身がその土地から遠くになればなるほどどんどん価格がつり上がってくる。なので私の場合そういった観光地では食事をせず、あえて地元民向けの商店街に無雑作に入って飲食店を探すといったこともします。
白土 わかります。僕はその前に地元のスーパーに入ることから始まり……。
今和泉 私も地元のスーパーは大好きで、特に商店街、大型商業施設、百貨店、駅ビル、この辺りは必ず全フロア周りますよね。というのは、「街がどんな人をどのように集めているか」がよくわかるからです。たとえば百貨店というものは、40〜50代以上で品質の高い商品を求める層が集まる、と思って実際に入ってみると、意外とそうではない百貨店もあったりするんです。近隣でいえば柏の高島屋や二子玉川の高島屋などは客の年齢層が比較的若めです。
反対に、イメージ通り百貨店が年齢層が高めの人に向けて作られている地方に行けば、それと対になるかたちで建てられた駅ビルや大きめのスーパーなどが若者を集めているかと思いきや、こちらも若者向けの商業施設がスカスカだったりすることがあるんですよ。「おや?」と思うわけですよね。ここには首都圏と地方での年齢層の違いが現れていて、地方では大都市部より生産年齢人口のど真ん中、30~40代を見かけることが少なくて、バスに乗れば高齢者とと子供しか乗っていません。いったいどこに行っているのかと思って、試しに郊外のイオンモールに行ってみると、若年層から40代まで、ここにたくさんいたわけです。イオンモールと一口に言っても首都圏と地方ではまったく違うので、初めて訪れた土地ではショッピングモールをくまなく周らなければいけないんですよ。
白土 ショッピングモールの設計では、ポーカーゲームで切る手札を熟考するように、どのテナントをどのように出店させるかを戦略的に考えるのが経営の肝なんですよ。たとえばコーヒー店がスタバなのかそうでないのかはディベロッパーの選択によるわけです。また明らかに若者向けでないような高級お菓子店などが入っていると、「これは恐らく贈呈品目当てで来客する層を想定しているから、利率はよくなくても置いておくことに意味があるんだな」という分析ができるわけです。群馬など地方のショッピングモールを周ると、こういったデパート的な役割を担っているところがいくつかあって。
今和泉 前橋のけやきウォークには紀伊國屋書店が入っていますけど、あそこも少し百貨店的な役割を感じましたね。
白土 もともとショッピングモールを考えたのは、オーストリア出身のビクター・グルーエンという建築家です。ウィーンの城壁撤去後に作られた環状線、リングシュトラーゼにできた市民が自由に歩き回れる空間から着想を同じようなものがアメリカにも作れないかと考え、そうすれば郊外と中心部の人たちが交流しコミュニティができるはずだという理想があったんです。それをアメリカでどう実現するかと考えたときに、郊外と街中の人たちをつなぐには、巨大な駐車場を作って大量の車が集まれる場所を作ればいいということでショッピングモールが生まれました。日本でもモールはそのコンセプトで設計されてます。
埼玉県羽生市のイオンモール(白土さん撮影)
また彼の伝記『Mall Maker ;Victor Gruen, Architect of an American Dream』という本が非常に勉強になったのですが、ショッピングモールの内装をまっすぐにせず必ずカーブを描かせるのは、広くて見渡せる長いものは圧迫感が大きくなってしまうので、それを少し緩和させ、あらゆるものを融和させようという考え方からなんです。これをグルーエン・エフェクトと言います。
今和泉 あれはグルーエンのアイデアだったんですね。
白土 元々はそうですね。でもこれは街の中でも同じですよね。浅草のように見通しのいい露地などは観光地としての価値が高まっていると思います。逆に雑多な人が集まる商店街をみてみれば、東京都内だと暗渠に併設するようにしてできたところが多いですけれど、その暗渠通りの曲線が場所によってはわりと「グルーエン・エフェクトっぽいな」と思うようなこともあって。
今和泉 なるほど。商店街は設計されたものではなくて、偶発的にできたものではありますが、そんなこともあるんですね。
設計意図から外れたものの魅力
白土 今和泉さんは、ご自分で地図を描くときにたとえば「こういう商店街にしたい」というような考えはありますか?
今和泉 地図を描く際に自分がどの立場にいるのかということを考えるわけですが、結局私は「設計者」ではないんですよね。設計者の視点になってしまうと、「計画通りに事が進んでいるか」という視点で街を見ることになってしまいます。しかし都市計画がいつも理想通りに実装されるかといったらそんなことはほとんどないので、どちらかというと元々の計画がどのように変化し、どのように現実に着地していったかということの方に興味があって、それをただ観察していたいんです。
白土 それはわかります。意図と外れた部分は魅力的ですしね。
今和泉 そうなんですよね。たとえば那覇などに行けば、合理的な設計者の視点からすると外れていることだらけだというのがわかります。というのは、まず彼ら彼女らは土地や地形よりも、地縁的つながりを非常に重視する社会で生きていると思います。ここには少し悲しい歴史がありまして、戦後の占領期にとある集落が米軍に接収されると、集落ごと別の場所に移るわけですが、接収解除がされた後にその集落が元の土地に戻るかというと、戻らないんです。たとえば戦前の市街地は国道58号線というメインストリートより海側にあったのですが、ここが米軍に接収された際には内陸部に移動しました。そして接収解除がされてからは石川栄耀という人が都市計画をして再び市街地を整備したのですが、街がそこに戻ることはありませんでした。一応そこには門があって「ここからが街だよ」と知らせてくれるものはかろうじてあるのですが、どちらかというといまは、観光客も寄りつかないような少し危ない雰囲気の住宅地になってしまって、昔はそこが市街地だったという匂いはほぼ残っていません。どうやら、先祖代々の土地に住んでいるということよりも、いま誰と誰が繋がっているのかという人的コミュニティを大事にしているらしいということがわかります。