ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本の青春」。
今回は、あだち充の2000年代後半の少年誌連載作品『クロスゲーム』のヒロイン・月島若葉の人物像を掘り下げます。代表作『タッチ』とは逆に、主人公の相手役姉妹が喪失を抱える図式で描かれた本作で、あだち充が『ナイン』以降の蓄積の上に見出した新たなヒロイン像とは?
碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春
第20回 ② 喪失を抱えるヒロインとその姉妹たちを描いた『クロスゲーム』
月島四姉妹の原型となった「居候」シリーズ
「居候よりひとこと」は、もろ今に繋がってますね。なんか掴んだんじゃないかな。描きながら楽しかったし、こんな漫画を描けていけたらいいなぁと思いながら描いてた。群像劇でコメディ色が強いラブコメ。これは都築とじゃないとできなかった作品ですね。のちの『陽あたり良好!』の元になってるし、四姉妹が出てくるところは『クロスゲーム』にも近い。この話、実はモデルがいて、実名をもろに使ってます。キャラクターがすごく動いた、そういう手応えがあった作品。こいつらだったらもっと話ができるなと思ったから、続編も描くことになります。〔参考文献1〕
『クロスゲーム』のヒロインとなる月島青葉は四姉妹の三女だった。
月島家には長女・一葉(連載開始当時高校一年生)、次女・若葉(連載開始当時小学五年生)、三女・青葉(連載開始当時小学四年生)、四女・紅葉(連載開始当時幼稚園児)の四人の娘がいた。父は「月島バッティングセンター」と「喫茶店クローバー」を経営している娘想いの月島清次。四姉妹の名前をつけたのは母の洋子だったが、若葉が小学二年生の時に他界しており、物語が始まった時点ですでに故人だった。
物語は第一部【若葉の季節】(コミック第1巻)、第二部【青葉の季節】(コミック第2巻~第14巻)、第三部【四つ葉の季節】(コミック第15巻~第17巻)に分かれており、第一部【若葉の季節】の最後で次女の月島若葉は小学五年生で亡くなってしまう。
若葉が亡くなった第10話のラスト2ページではバッティングセンターで泣きながらバットを振る青葉が描かれ、そのあとにおそらく洋子が名づけたであろう「喫茶店クローバー」の店名だけが描かれる。その次の最後のページでは「マメ科多年草……」「──江戸時代オランダ船が荷詰用に用いたことから、和名ツメクサ(詰草)。」「四つの葉は幸福をもたらすという──」というナレーションと共に水際とそこに生えたクローバーが描かれていた。
月島四姉妹のひとりが亡くなってしまったことで四つ葉のクローバーのひとつの葉が欠けてしまったというとわかりやすいが、読み手に染み入ってくる描写がなされている。あだち充による省略の美とでも言える、余計なものは描かない風景描写によって、若葉と関わっていた人たちが彼女を失ったという喪失とともに生きていき、このあとも物語は続くのだと感じさせる効果を出している。
ここで読者も登場人物たちと同様に月島若葉を失ったものとして物語に併走し、より深く物語の世界観に入り込んでいけるものとなっていた。
「『タッチ』で困ったのが、中学時代から物語を描き始めたため、幼少期の回想シーンを描くと、どうしても唐突な感じが否めず苦労した。だから、『クロスゲーム』では、ファーストヒロインが死ぬまでをちゃんと描こう。ただ、そうすると最初は人気が出ないかもしれない。それでも、10話で中学生編にいけば、読者はついてきてくれるはず。」あだちの狙い通り、中学生編に突入すると、「クロスゲーム」の人気は急上昇し、単行本も次々と重版がかかった。〔参考文献1〕
『クロスゲーム』は「逆『タッチ』」をやるというものだったので、本来であればヒロインになるであろう次女の若葉が小学五年生で亡くなってしまうことは最初から決まっていた。
若葉の幼馴染であり相思相愛だった主人公の樹多村光(コウ)と、若葉のことが大好きでいつも一緒にいたがった三女の青葉という、本人たちは気づいていないが周りから見ると似た者同士だった二人が成長して大人になっていく手前までを描いた作品だった。そして、前回書いたようにあだち充作品でずっと描かれてきた「喪失」をめぐる物語であり、「あだち充劇場」の集大成となっていた。
コミックス1巻分を使った小学生編はスローテンポになりやすく、話も地味になってしまうとあだちも危惧した部分ではあったが、ここをしっかり描いたことで他のあだち作品とは少し肌触りの違う作品となった。
人気や知名度で言えば、あだち充作品として一番最初に挙がるのはやはり『タッチ』だろう。しかし、ストーリーの展開と作品の完成度として一番の出来はこの『クロスゲーム』になるのではないだろうか。
「四姉妹が出てくるところは『クロスゲーム』にも近い」と引用した箇所であだち充が答えているように、「居候」シリーズともいえる「居候よりひとこと」(1978年)、「続・居候よりひとこと」(1978年)、「居候はつらいよ」(1979年)という作品が『クロスゲーム』を遡ること27年前に描かれていた。
「居候よりひとこと」「続・居候よりひとこと」「居候はつらいよ」の三作品は現在では『ショートプログラム ガールズタイム』に収録されているのでそちらで読むことができる。
また、『ショートプログラム ガールズタイム』では「恋人宣言」(1979年)という短編も収録されており、若い男女が一つ屋根の下で暮らすという内容だった。「少年ビッグコミック」でいきなり人気トップになってしまい、そのことでこれを原型として『みゆき』がのちに連載されることになった。
そして、この「居候」シリーズが原型となって『陽あたり良好!』が描かれていることになる。あだち充がブレイクするきっかけとなった『ナイン』が1978年から1980年に連載されていた時期と並行してこれらの短編が描かれていた。明らかにこの1978年から1980年に現在へと続くあだち充的なもの(「あだち充劇場」)の原型ができたと言えるだろう。
「少女コミック」で短編読み切りとして描いた「居候」シリーズと「少年ビッグコミック」で短編読み切りとして描いた「恋人宣言」は主人公とヒロインが同居するものの原型(『陽あたり良好!』『みゆき』)となっていた。また、『ナイン』は野球漫画に少女漫画的な要素を持ち込んだ新しいラブコメとして受けいれられ、1980年代を代表する漫画『タッチ』に繋がっていった。そのあだち充が手応えを摑んだそのふたつの形式がひとつになった最終形とも言えるのが現在「ゲッサン」で連載中の『MIX』である。
『MIX』は主人公の立花投馬と血は繋がらないが親が再婚して妹になった音美の同居ものになっており、さらには『タッチ』の明青学園を舞台にした野球漫画である。『クロスゲーム』は「あだち充劇場」としての集大成だったが、『MIX』が最終形と言えるのは、あだち充的なものであるその二つのラインが共存しているからである。
「居候」シリーズは地方都市で「亀の湯」という銭湯を営んでいる清水家を舞台に展開される。主人公の掛布銀次(通称・サイの目銀次)が清水家に転がり込んで、銭湯のボイラーマンとして働きながら、姉妹と交流を重ねていく。
清水家には父母すでに他界しておらず、長女の洋子(おそらく20代中ごろから後半、長い髪で眼鏡をしていて、いつもたばこを咥えている。何事にも動じない性格。以前は東京にいたことがあり、その時に銀次と知り合っている。一家の大黒柱)、次女の雅子(おそらく20代前半、セミロングのウェーブがかった髪。銀次とはよく言い合いになる。エリートで金持ちの健一と付き合っている)、三女・弘子(おそらく十代後半、ショートヘアで『みゆき』など以降のヒロインの感じに一番近い。空手初段、柔道二段でめっぽう強い)、四女・セツ(おそらく小学校低学年から中学年、一番早く銀次になつく)の四姉妹と銀次は一つ屋根の下で暮らすようになる。
内容はドタバタコメディであり、後に出てくる作品の要素がいくつか入っている点も今読み返すと発見できる。
たとえば雅子の恋人の健一は二枚目でさわやかな印象だが、実は清水家に来たときには姉妹の下着を盗んでいるような人物で、キャラクター造形としては『陽あたり良好!』の美樹本伸の原型だろう。彼の正体が暴かれたことで、最初に家にやってきた泥棒で下着を盗んでいたと雅子に誤解されていた銀次は疑いが晴れる。その後、銀次と雅子は喧嘩をするほど仲がいい、というようなラブコメの主人公とヒロインの関係性になっていった。
また、三回目となる『居候はつらいよ』では清水四姉妹と銀次が雪山にスキーに行き、そこで銀次のかつての幼馴染でスターとなっている山内百美(山口百恵をイメージしている)が映画の撮影をしているところに出くわしたことで、最終的に銀次と雅子が互いの思いを伝えあうという展開になっている。
あだち充作品では何度かアイドルが出てくることはあるが、この時点でそれはすでに描かれていたことになる。また、終盤に雪山でトラブルが起こって物語が終焉していくのは超能力とアイドル(兼女優)を描いた『いつも美空』を彷彿させる。
清水四姉妹の長女の名前が洋子であり、『クロスゲーム』の月島四姉妹の母親の名前も洋子だった。「居候」シリーズにはモデルがいて、実名を使っているとあだちが言っているので、彼は四姉妹というと浮かんでくる名前が清水四姉妹たちだったはずだ。
『クロスゲーム』はクローバーがモチーフにあり、四姉妹それぞれが「葉」がつく名前にしようと考えた時に、亡くなっていて物語には出てこないが、母親の名前にはかつて描いた四姉妹の長女の名前を無意識に使ったのではないかと思われる。
また、『クロスゲーム』以外では、『H2』の明和第一のマネージャーの小山内美歩が実は四姉妹の末っ子だったという設定であり、小山内美歩は四姉妹の中で上の三人とは年が離れていた。
小山内四姉妹も清水四姉妹も月島四姉妹も四女だけが上の三人と年が離れている。あだち充が清水四姉妹のモデルとした四姉妹もおそらく一番下の末っ子だけが年が離れていたのではないかと想像できるのだが、清水四姉妹と月島四姉妹で考えると年の離れた四女の存在があだち充作品における「喪失」を体現していたのではないだろうか。
長女がどちらとも四女に対しては、ある種「母」的な存在であり、幼い四女は姉である姉妹たちに庇護されるべき立場である。そして、幼児の時点で母親が亡くなってしまっていることで、母親の思い出がほとんどないという部分も共通している。つまり清水セツも月島紅葉も物心ついた時点で「母」が死んでしまっているという「喪失」と共に、それを抱えて生きていく人生とも言える。
以前にも書いたがあだち充や兄のあだち勉は戦後生まれであり、兄弟姉妹が多い家庭が多かった。また、同時に戦後には戦争孤児などもたくさんいた。団塊の世代とも言えるあだち充にとっては、現在よりは人が病気や栄養失調などで亡くなることが身近なものとしてあったと考えられる。その時のイメージの反映がもしかしたら無意識のうちに四姉妹の四女に反映されていた可能性もあるかもしれない。つまり、上の姉妹たちに庇護を受けながら成長していく四女はある種、母から直接的な愛を受けなかった「孤児」として描かれているようにも感じられる。
どんなに姉たちに愛情を注がれても四女だけは、彼女たちが母親から受けた愛情を得られることは今世ではないことだけがはっきりしている。つまり、あだち充作品の幼い四女は最初から「喪失」を受け入れる存在であり、そのせいか幼児にしてはやけに大人びているという特徴を持つ。もちろん、それは寂しさの裏返しであるのだろう。
そして、あだち充自身も三男一女の末っ子、四番目の子供である。あだち充は両親とは不仲ではないが、兄の勉の漫画の手伝いをすることで漫画の描き方を覚え、麻雀にハマって学校にもあまり行かないような学生時代を過ごしていた。彼にとっては実の父よりも、次男である勉が父的な存在(メンター)だった。そういう経験も四姉妹の四女のキャラクター造形に影響を与えているのだろう。
今作における四女の月島紅葉は作中で時間が進み、幼稚園児から小学生になって学年が上がっていくと亡くなった次女の若葉に似ていると周りから言われるように成長をしていく。
『クロスゲーム』であだち充は亡くなった次女の若葉が成長したら、こんな女性になっていたのではないかという人物の滝川あかねというキャラクターをいきなり登場させた。このことによってコウと青葉の関係性も変化し、王道ラブコメにおける三角関係のような展開にもなっていく。
コウや月島家だけではなく、若葉のことを知っていた誰もが滝川あかねを見て若葉の幽霊だと思うほどだった。そのあかねは「喫茶店クローバー」でアルバイトを始めるようになり、若葉の死によって欠けた四姉妹にあかねが加わることで補完されたような形となった。
あかねはあり得たかもしれない可能性としての月島若葉として描かれ、同時に四女の月島紅葉は亡くなるまでの月島若葉を後追いするような存在となっていく。つまり、小学五年生で時間が止まっていた月島若葉の人生が未来と過去のどちらでも展開していくような設定になっている。しかし、月島若葉は月島若葉でしかなく、月島紅葉は月島紅葉でしかなく、滝川あかねは滝川あかねでしかない。そのことをコウをはじめ、あかねに懐くようになっていた青葉もしだいに理解することで、若葉を失った「喪失」は他の誰かが代わりになるものではないと認めることになる。これもひとつの成長として描かれていく。
『タッチ』では上杉和也が亡くなってから、上杉達也と浅倉南が相思相愛であるということは誰もが気づいており、そこにライバル未満としかならない新田明男や西村勇が登場したが、上杉達也のライバルはずっと双子の弟である上杉和也でしかなかった。
『クロスゲーム』ではヒロイン候補だった若葉が亡くなっており、男女が反転しているが、こちらでは実際の肉体を持った「もう一人の月島若葉」としての滝川あかねを登場させていた。何の前触れもなく滝川あかねを出したネームを読んだ担当編集者の市原はかなり衝撃を受けたという。
あだちは『タッチ』ではできなかったことであり、担当編集者の市原を驚かすために若葉そっくりの滝川あかねを登場させたのだろう。そして、若葉の代わりとしてあかねを月島姉妹と出会わすことでもう一度、偽りでも四姉妹という形で残された彼女たちを描きたかったのかもしれない。
月島青葉はあだち充のヒロインの系譜のどこに位置するか
月島青葉はあだち充作品におけるヒロインの系統ではどういう位置になるのだろうか。
基本的にはブレイク作で、再デビューのようになった『ナイン』以降の作品で、主人公が女性ではない作品のヒロインたちから考えてみたい。