ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の第19回「日本SFの祖」と「日本社会主義の父」がリードした〈野球のポップカルチャー化〉──押川春浪と安部磯雄」(後編)をお届けします。
「ポップカルチャー」としての野球の確立に貢献した押川春浪と安部磯雄。その影響力に比べて、2022年現在においては顧みられることが少ない彼らの思想を振り返り、日本野球文化の原点を探ります。
(前編はこちら)
中野慧 文化系のための野球入門
第19回 「日本SFの祖」と「日本社会主義の父」がリードした〈野球のポップカルチャー化〉──押川春浪と安部磯雄(後編)
「日本SFの祖」と「日本社会主義の父」
作家・押川春浪は「日本SFの祖」とも言われ、その後の(野球以外の)ポップカルチャーの進展にも大きな貢献をした人物だ。
1900年に『海島冒険奇譚 海底軍艦』で小説家としてデビューし、その後は数々のSF冒険小説をヒットさせ、「冒険世界」「武侠世界」といった青少年向け雑誌の主筆(編集長兼メインライター)としても活躍、同時に自身でスポーツ社交団体「天狗倶楽部」を組織し、野球をはじめとしたスポーツの普及に尽力した。
▲押川春浪(1876-1914)Public domain, via Wikimedia Commons(出典)
▲安部磯雄(1865-1949)by 前川写真館, Public domain, via Wikimedia Commons(出典)
安部は昭和期には合法政党「社会民衆党(のち社会大衆党)」の党首に就任し、衆議院議員となった。社会大衆党は戦後の日本社会党の土台となった組織であり、社会党結党の際には安部も呼びかけ人に名を連ねている。1947年に第46代内閣総理大臣となった社会党の片山哲が、自らの手で『安部磯雄伝』を執筆していることからもわかるように、安部は戦前〜終戦直後にかけて政治家から一般民衆まで多くの人から尊敬を集めた人物であった。
2022年現在、なぜ押川春浪と安部磯雄は忘れられかけているのか
押川春浪も安部磯雄も、戦前は非常に高名であり、文化人としての影響力も非常に強いものがあった。その思想や行動は後の日本の文化空間に多大な影響を及ぼしているが、2022年現在の日本で、よほどSF・冒険小説や社会主義に詳しくなければ、その存在を知る者は多くないだろう。押川春浪と安部磯雄が「忘れ去られていった」ということには、一定の必然性がある。だがそれは、彼らの思想や行動が歴史の審判に耐えうるような強靭さを持っていなかった、ということは必ずしも意味しない。