リサーチャー・白土晴一さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る連載「東京そぞろ歩き」。
今回は都内屈指の都市河川、隅田川周辺を歩きます。「隅田川テラス」をはじめとして、自然の景観を保護すべくさまざまな土木建築が施された隅田川周辺。スカイツリーを眺めながら、庶民の生活感が汲み取れる竣工の歴史をたどります。
白土晴一 東京そぞろ歩き
第17回 浅草駅から吾妻橋、隅田公園、言問橋、桜橋へ
二十代の頃、アメリカのシカゴに行った。SF 関連のコンベンションがシカゴで開催され、そこに参加しに行ったのだが、これが 最初の海外旅行だった。
一番安い航空券を利用した単独旅行で、トランジットで降りたアンカレッジ空港で十二時間ほど次の搭乗便を待ち、シカゴ・オヘア空港から宿泊予定のホテルまではタクシーに乗った。いま思えば、そんな大したことではなかったのだが、初めての海外旅行で同行者もいなかったので、なんだかんだドキドキしていたと思う。
それに、これが有名な観光地ならば、まだ気分が楽だったのかもしれないが、そのコンベンションが行われた場所は、アメリカ中西部の新聞として知られたシカゴ・トリビューン本社ビルの近くにあって、完全にビジネス街のど真ん中。コンベンション会場の中は SF ファンばっかりだったので気にならなかったが、会場の外に一歩出れば、二十代の世間知らずの貧乏青年だった私には完全な場違いという感じがした。。
しかし、初めての海外旅行だったし、怖いもの知らずでもあったので、コンベンション会場だけではなく、見れるものはなんでも見てみようと、時間を見つけては一人でシカゴ市内を徒歩で散策しに行った。
建築好きの方ならご存じだろうが、1871 年の大火で建物が広範囲に消失した影響で、 19 世紀末から多くの商業高層建築が建設されており、その鉄骨構造のデザインや表現はシカゴ派と呼ばれている。その頃から建築好きだった私は、散策中にこのシカゴ派の高層建築を見てテンションが上がり、ダウンタウンをあちこち歩き回った。 そのうちに、やたらに橋が並んでいる川に行き着く。その橋群が跳開橋や旋回橋など日本だとそんなに見ないタイプの橋があったのも驚いたが、それ以上にその川の両側には高層ビルが乱立している景観に驚いた。
地図で見ると、その川の名前がシカゴ川だと分かった。
▲出典
シカゴ川は元々は五大湖の一つであるミシガン湖に流れていた川だったが、都市の発展 に伴い汚水が湖に流れ込む問題が発生し、19 世紀に環流工事が行われ、川の流れを反対にし、湖へ汚水が流れないようにされた河川である。これは 19 世紀の土木工事の中でも屈指のものであると言える。
当時の私はそんなことは知らなかったが、シカゴ派の印象的なビルが両岸に聳える、この都市河川にかなり心を持ってかれてしまった。
私が都市河川というものに興味を持ち始めたのは、このシカゴ川の景観を見たからではないかと思う。
さて、今回は我が東京の誇る都市河川、隅田川沿いを歩いてみる。シカゴ川ほど両岸に有名なビルが乱立しているわけではないが、それでも東京都内ではランドマーク的な建築物を見ることができる立派な都市河川である。
まずは地下鉄銀座線浅草駅から吾妻橋に向かう。
吾妻橋は昭和6年竣工のソリッドリブタイドアーチ橋だが、色合いからあんまり古い橋には見えない。これは東京都が 2020 年の東京オリンピック前に色彩変更の塗装作業を行ったからで、この赤色は浅草の雷門や仲見世の色を意識したものらしい。 結構、好みが分かれそうな色のようにも感じる。
橋の上から対岸を見ると、東京スカイツリーやアサヒグループ本社ビルが並んでいる。 そして、橋の下には隅田川下りの水上バスの船着場。
ここから隅田川の上流方向に歩くために、隅田公園へ。
隅田公園は隅田川の両岸に跨っており、右岸は浅草から花川戸、今戸まで、左岸の墨田区向島、元々は徳川御三家の一つである水戸家下屋敷小梅邸の跡地が利用されている。左岸の水戸藩下屋敷の遺構として池泉回遊式庭園が残っており、見どころも多いが、今回は長く伸びた右岸側を歩いてみる。