2014年の元旦、東京大学の研究室でつくられたという、物体を超音波で浮遊させる不思議な動画が話題になった。
この動画は現在、270万再生を超えている。投稿者の落合陽一氏は、東京大学の大学院で学術研究を行いながら、気鋭のメディアアーテイストとしても活躍している人物だ。今回の動画は大学での研究成果を形にしたものであるが、それは彼のアーティスト活動と深く結びついた興味から生まれているという。
今回のインタビューが収録されたのは、この動画が話題になった直後の、1月半ばのPLANETS事務所。前半では落合氏の作品歴を主に聞き、後半では宇野とその作品の持つ思想的意味を語り合っている。1987年生まれで「『攻殻機動隊』より『ハリーポッター』に憧れる」という落合氏の語る言葉が9歳上の宇野の興味と響きあい、収録現場は思わぬ盛り上がりを見せていた。
▼プロフィール
落合陽一(おちあい・よういち)
1987年生まれ,メディアアーティスト,日本学術振興会特別研究員DC1,IPA認定スーパークリエータ.名前の由来はプラス(陽)とマイナス(一),父は作家・落合信彦.筑波大学でメディア芸術を学び,東京大学大学院学際情報学府修了.現在,同博士課程在学中.制作のコンセプトは変幻するメディア装置を用いた「コンピュータグラフィクスの実体化」と「事象の電気的再構成」.研究テーマは,HCI,ディスプレイ,メディアアートなど多岐に及び,実世界志向のコンピュータグラフィクスを専門とする.国内外の受賞歴多数.英国国営放送,ディスカバリーチャンネルなどで特集されるなどメディア露出多数.TEDxTokyo yzやTED@Tokyoではスピーカーを務め好評を博した.
◎聞き手・構成:稲葉ほたて
■ YouTube270万再生の動画はどうして生まれたのか
――元旦に話題になった映像は、どういう経緯で生まれたものなのですか?
落合 少し以前にした研究の話から始めるのがいいかなと思います。実は、超音波を当てて質感を変えたシャボン玉で、スクリーンを作ったことがあるんです。
A Colloidal Display: membrane screen that combines transparency, BRDF and 3D volume
これは、BBCでも取り上げられて、専門家のあいだでも話題になりました。シャボン玉に超音波を当てることで、本来は光が透過する透明な表面に映像が映るようにしたんです。これが示しているのは、映像の性質を、映写機側だけはでなくスクリーン側のほうでも、ある程度コントロールできることなんですね。実は映像の見える角度も制御できて、正面と側面で見え方を変えられます。
しかも、シャボン玉のディスプレイなので、簡単に曲がったり出っ張ったり弾けたりするんです。通常が2次元のディスプレイなら、これは”2.5次元”のディスプレイという感じですね。ただ、僕の狙いはその先にもあって、次は立体的な造形物を視覚的に再現する3次元ディスプレイを作りたいんですね。今回の動画が生まれたのは、そうした興味からです。
――あの浮遊する球は、立体物のカタチを再現するための第一歩ですか。
定常波の腹と節の間に白球を挟んでいる。「現在は出力がぶつ切りなのですが、これは高速で焦点を動かせば、視覚の残像効果によって解決できると思っています」(落合氏)
落合 そうです。僕の目標は「三次元空間での”コンピュータグラフィクスの実体化”(Physicalization of Computer Graphics)」です。
実は、これは超音波焦点で定常波を作っているので、焦点の位置を移動させることで球も一緒に動くんです。これによって、三次元操作を実現しました。また、単に実体化するだけでなく、書き換え可能にしたいんです。今回の動画では浮遊している球がビームの形そのままなのですが、今後は図形を実空間に出力できる描画ソフトの開発も目指しています。高速で動く浮遊物体にうまい具合に光を当てたら、物体の質感を再現できるんじゃないかと思っていて、まあ、その辺を楽しく研究しています。
――なんか聞いていると、3D空間における「白紙」のような存在ですね(笑)。光学技術と組み合わせることで、形や質感、色などを自在に操って、物体を再現できるわけですね。
落合 そうです。まあ、「紙」に当たるものは、物理存在というよりは、コンピュータの指示通りに物体を動かすよう情報を制御する「場」のほうかもしれないとは思いますが。CGのように心に思い描いたものを、自在に動かしたいんですね。ただ、人間が物体を立体的に認識するプロセスはCGのように単純ではないので、技術的な課題が多いです。逆にいえば、そこがすごく楽しいところなのです(笑)。
■ 人間はコンピュータのミトコンドリアなのか?
――落合さんのそうした興味がどこから生まれたかが気になります。
落合 ここはPLANETSなので、遠慮せずに訳わかんないことを喋っていいですよね(笑)。
宇野 どうぞ(笑)。
落合 大学生のときに「人間がコンピュータのミトコンドリアなのか、それともコンピュータが人間のミトコンドリアなのか」と悩んだことがあるんですよ。
――「人間はミトコンドリアが増殖していくための乗り物かもしれない」という議論ですね。
落合 コンピュータと人間の関係もそれと同じじゃないか、と思ったんです。実際、僕らはコンピュータのためにせっせとデータを生成して、アーカイブしているわけでしょう。しかも、よくよく考えてみると、彼らが苦手なことは全て僕らがやってあげている。
だって、自己複製できない彼らの手足となってコンピュータを組み上げて、年間に数億のそれを作り出しては世界中にバラまいているわけでしょう。しかも、自ら移動できないという弱点を持つ彼らをスマホにしてあげて、常に持って歩いてあげているし(笑)。それに、コンピュータは自然言語での創発や絵を描いたりするのも苦手なのですが、そこでもTwitterに書き込んだりYouTubeに動画をあげたりと、せっせと僕らは入力してあげている。結果として、地球上のあらゆる場所にコンピュータが置かれ、デジタルデータは刻々と増え続けているわけですよ。
そう考えるとつくづく思うのが、コンピュータが苦手なことを克服させて、その存在を広める側にいる人間の方が、やはりコンピュータに愛されて楽しく生きられる事実だったんですね。これが、ITの原理だろう、と。こうして僕は、いつのまにか、ターミネーターで言うところの降伏した側の人間になっていたわけです。でも、そう考えていくと、我々は近い将来に人間らしさを保てなくなっていくわけですから……段々訳がわからなくなってしまった(笑)。
ただ、コンピュータの存在が意識されないくらいに道具として使い倒してやれば、うまく共存できる気もするんですよ。それは、人間と機械がひとつになるという話ではないです。むしろ逆で、環境に埋め込まれた、それこそ酸素くらいに無機的存在になれば、完全に支配できるんじゃないかというね。なので、そんな存在になるまで使い倒してやろうと思っていますね。
――そこで、コンピュータの普及活動にいそしんでいるわけですね。
落合 ただ、そうなると気になるのは、彼らの物理世界への干渉能力の低さです。彼らの影響力をもっと高めたい(笑)。人間と機械を分離するにしても、機械が機械のままじゃダメだろう、と思うわけです。
僕の考えでは、ここで重要になるのは、おそらく世界の書き換えの時間方向の速度と空間方向の解像度なんですよ。これこそが、我々の生活の中でコンピュータがどれほど自然なものになるかを決めると思うんです。
3Dプリンタのような機械は、一度切りの書き換えしかできないわけだから「フレームレート0」と言えますよね。実際、今の2Dディスプレイのような中途半端な速度と解像度では、どうしても機械のような印象を受けてしまいます。コンピュータをそうと意識しない未来は、いまの状況を超えた先にあって、こうした視点はこの先、差し迫ったものになるでしょう。
――それが研究者としての実験につながっているわけですね。
落合 あのシャボン玉のディスプレイも、まずはコンピュータが攻めやすい箇所から攻めてみたんです。実はシャボン玉って、光の波長ほどに薄い物質だから小さな力で形を変えられるし、非常に軽いからすごい速度で動かせる。つまり、コンピュータにも与しやすい(笑)。なので、40kHzの超音波で高速の書き換えをしてみたわけです。
■ 昆虫をひたすら殺す日々
――アーティスト活動についてお伺いしたいです。これまで、どういう作品を作ってきたんですか。
落合 昔は、ゴキブリを蚊帳の中に入れて、ホタルのように光らせたりしてましたね(笑)。
――あ、見たことあります!
落合 これは評判が良かったのか悪かったのか、ヤフトピの一番上に乗りました。その後、1年くらいは何を出しても、周りはゴキブリの人という認識だったくらいです(笑)。
そもそもは、『攻殻機動隊』の、生物とコンピュータが動的に接続される、あのサイバーな世界への強い憧れがあったんですね。なので、生物系の研究室にジョインして、昆虫を大量に買ってきては、電気を流して足や頭をピクピク動かすとか、そんな実験ばかりをやってました。
彼らはパーツを切り離してもしばらく動くので、サイボーグ化された人類の、未来のミニチュア版みたいな感じに捉えていました。出産サイクルも早いですし。昆虫を生体部品で出来た小さいロボットと見なしていたんですね。
――あの作品の「サイボーグ」の描写の部分に憧れがあったんですね。
落合 ただ、それ以上は厳しかった。神経系統に電気を流せばある程度は動かせるとわかったのですが、機械を積んだまま彼らの一部をアクチュエータとして使うには、サイズや信号処理などで解決すべき点が多かったんです。そこで、この辺の興味は2009年頃を境に、一旦眠らせてます。それに、VR(ヴァーチャルリアリティ)の閉鎖的なところが気になりだして、『攻殻機動隊』にそこまで愛を注げなくなってしまったのもあります。
しかもですね、その頃から大量の昆虫をちぎっては捨て、ちぎっては捨て、とやっていたせいで、だんだん生命の感覚がおかしくなってきたんですよ。
――あ、わりと普通の感覚があるんですね。安心しました(笑)。
落合 「あれ、生き物って電子部品だったっけ?」みたいな。出身が情報系なせいで、実はそういう実験に慣れてなかったんです。
それで、昆虫の死骸の山を見ながら「自分と同じことを他の人類がするのはどういうときだろう……」と考えたときに、「それはゴキブリを殺すときだけなのではないか」と、ふと思ったんです。
あの瞬間、人間は残酷になるじゃないですか。しかも、始末すると英雄的に賞賛されるわけです。Ζガンダムでいうと、カミーユのシロッコへの特攻シーンみたいなノリですよ! 「お前は今という時代にいてはならないヤツだ! ここからいなくなれー!(バーン)」という(笑)。もう存在の全否定ですよね。
一方で、ホタルという昆虫がいて、彼らは『火垂るの墓』という映画が毎年上映されるくらいに愛されているわけです。「なんでホタル死んでしまうの?」って、そりゃ死ぬだろうと思うのですが(笑)、そういう言葉が登場するのも愛があるからです。
でも、どうせ暗いところならゴキブリと見た目は一緒みたいなもんなわけで、光るか光らないかくらいしか違いはない(笑)。そこで作ったのが、あの作品です。
いやあ、かわいいんですよ。慣れると全然問題ない。これ。女の子なんかは、ビビるんじゃないかと思ったんですけどね。最初は引きつってましたけど、最後に持って帰った子が何人かいました。
――これ、蚊帳の中にいる人は、中にいるのがゴキブリだと知らないんですよね。
落合 最初はそうですが、しばらくすると気付きます。ただ、ちょっと大きいんですよね。空中も飛ぶんですよ。もうね、ぶわっと。わさわさっと。でも光源が暗くて、光ってる場所以外はほとんど見えないんですね。
――このゴキブリたちはその後どうしたんですか。
落合 いやあ、蛍光塗料が体に合わなかったみたいで、全員結構すぐに死んでしまいました。あの塗料は結構、頑張って作ったんですけどね。結局、ホタル並みの寿命になってしまって、そこも考えさせられました。
――不謹慎かもしれないですが、ちょっと笑ってしまいました(笑)。
落合 俺は害虫駆除をしただけだったのだろうか……みたいな気分でしたね。まあ、この頃が僕の「昆虫の時代」です。大学生の頃は思うところが多かったですね……。
■ 薬を使わずに人を狂わせるには
――他には、どんな感じの作品を作っていったんですか?
落合 さっきの虫の話もそうですが、僕が本格的にメディアアートの世界に入ったのは2009年頃です。まだApp Storeもそれほど来てなかった時代ですね。
最近はある程度の人なら、TechCrunchもGizmodoも読んでいるし、新しいiPhoneが出たら大騒ぎするでしょう。でも、MacBookAirが出たときなんて、いまのような盛り上がり方はしていなかった。Makeの雑誌も刊行されたばかりです。
その頃から物を作っていたのですが、だんだん現実ってなんだろうって思うようになってきて、人間の認識を変容させられないかと思うようになったんです。人間は瞑想しなくても、クスリをキメなくても、頭がおかしくなれるんじゃないかと思いだしたんです。
――素敵な問題意識ですね(笑)。
そのときに作ったのが、無限の解像度の万華鏡作品です。
『貴婦人と一角獣』という世界最大のタペストリーがあるのですが、これって実は解像度としては世界最高のディスプレイじゃないかと思ったんですよ。だって、全部刺繍で作られているわけですから、縦糸と横糸でピクセルになっていると思えば、凄いでしょう。実際、前に立つと不思議な感じがするんですよ。ぞくぞくしてきて、「うわー、解像度って面白いな」と思うんです。
そんなときに、ちょうどこの頃に話題になったiPhone4のRetinaが、網膜で区別がつかない解像度だと言われてたんです。そこで、Retinaに万華鏡を接続してみたんです。
どういう意図かといえば、網膜で区別できない距離にあるピクセルが無限反射すれば、世界全体の解像度と同じになるのではないか、と思ったんですね。実際に作ってみると、左右で違う映像が出てくるからもう気持ち悪いというか、気持ちいいというか。
高解像度のよく動く映像が、両目からバラバラに脳に入力されてくると、凄いくらくらするんです。来た人が次々にラリった感じになっていて、大変に楽しかったですね。
――ヤバいですね。酔ったような感じなんですか?
落合 いや。普通は「酔い」というのは、自分の認識と感覚のズレが生むんです。3D酔いが典型ですね。でも、こっちは単に脳の普段使ってないところを猛烈に使って、演算装置を焼き切られる感覚です。「なんか頭の中心が熱いぞ」みたいな。見えないチャンネルが開かれていく。
宇野 つまり、「酔う」というのは人間の脳の感覚がおかしくなることなのだけど、こっちはそもそも入力信号それ自体ががおかしいわけだよね。
落合 そうです。そうやって人間をハックしていて楽しかったのですが、子どもが覗き込んだまま5分くらい口をあんぐりさせていたときには、さすがに心配になりましたね(笑)。でも、倒れた人はいないし、みんな口々にうぉーとか言ってくれて嬉しかったです。
■ 人間の中に入ってくる信号をいかに変えるか
――この辺りから、徐々に人間の視覚機構にフォーカスしていく作品が増えていますね。作品に出てくる錯視は、自分で見つけてきたんですか。
落合 うーん。その辺は、温故知新+αみたいなものが多いです。
例えば、この作品で使った「大王のコマ」は、回すと表面の感じが変わるのは知られていたんですよ。でも、それが質感の変化につながるとは知られていなかったし、こういう風に大規模に敷き詰めた試み自体も、行われていませんでした。
実際、僕がこのコマを沢山買ってきて、部屋いっぱいに敷き詰めて回してみたら、なんと視界全体で質感が変わったんですよ。中心視野ではない周辺視野にも錯覚が広がっているわけで、単純に脳による錯視効果だけではないかもしれないと思いました。おそらくなのですが、人間の網膜では判定できない時間で、光線の物理レベルで何らかの信号が生成されているのではないでしょうか。つまり、目に飛び込んでくる前に変化が起きているのではないかと思うんです。
――さっきの話と構造は似てますね。人間の錯覚ではなくて、実は入力信号に変化が起きているのだろう、ということですね。
落合 結果的に、一瞬だけまるで金属のような質感を見せるコマが生み出されて、非常に面白いことになりました。人間が感じる質感って、突き詰めてしまえば反射状態の変化の重ねあわせで表現できるんです。そのときに重要なのは高速で動かすことで、軽くて薄い方ほどよいだろうと思って作ったのが、先ほど紹介したシャボン玉のディスプレイです。これも専門家の間で話題になり、BBCで取り上げられました。
――なんだかゾエトロープみたいな時代からやり直している感じですね。
落合 どうして映像が見えるのかから、考えなおしています。大事なのは、ひとつひとつ手を動かすことですね。
■「ハリポタ世代なんで、脳に電極を挿すより魔法を使いたいんですね」
――ひと通り活動歴を聞かせて頂いたので、ここから少し踏み込んだ話をさせてください。まず不思議に思ったのですが、CGのようなよくあるメディアアートには興味がないんですね。
落合 僕は目の前に、自分と同じ機序で動いている物体があってほしいんですね。一旦データに変換したら、ディスプレイ上ではなんでもありなんですよ。でも、そうじゃなくて僕の身体と同じ次元にある「この世界」で、何かが起こってほしいんですよ。
僕らの一つ上の世代って、わりとみんな『攻殻機動隊』に憧れるんです。でも、現在の僕は『ハリー・ポッター』にむしろ憧れています。僕らの世代にとってハリポタは共通体験なのですが、あれの最初の方で「ウィンガーディアム・レビオーサ」を唱えるところがあるじゃないですか。
――呪文学の授業の場面ですね。
落合 あの一言で、ふわっと物体が浮かび上がる。あれが僕の憧れです。要は僕、ハリポタ世代なんで、脳に電極を挿すより魔法を使いたいんです。自分をだますのでなく、この世界に居ながらにして何かを実現する。だからハリポタ的にいえば、例えばスネイプ先生なんかが波動方程式や熱力学方程式を解説して「ほらここに定在波が出来るから物が浮くんだ。さあ君たちもやって見たまえ」とか言ってもいい。むしろ、それが僕の理想社会ですね(笑)。
宇野 少し話してもいいかな。まさに僕の世代は『攻殻機動隊』の直撃世代なんだよね。いわゆる「脳に電極を挿す」発想にどうしても行ってしまうところがある。もちろん、ここでいう電極は、あくまでも比喩だよ(笑)。あるときにはドラッグだし、あるときには思想なのだろうけど、とにかく何かを自分の中に注入して、自分自身を変革することで世界の見方を変えようとする。当時、『完全自殺マニュアル』という本も流行ったのだけど、あれは世の中が変わらないからこそ、ドラッグなり思想なりで自分のマインドセットを変えようとした本なんだよね。エヴァも一緒だと思う。
落合 いまで言うと「Oculus Rift」の世界観ですよね。それは、「物理世界は存在しうるか?」という問いなんだと思います。僕らのちょい上の世代の人々って、現実世界と仮想世界という区分で、現実と虚構のパラダイムで無理くり考えるんです。でも、テクノロジーは日常と不可分なほど身近なところまで落ちてきているのに、むりやりSF調に持っていくのはきついですよ。
たとえば、『書を捨てよ、町へ出よう』の寺山修司の逆をやっているイメージですね。書物を徹底的に読み込むことで自分が凄くなっていくと思い込むような、まるで当時の文学青年のような発想で彼らはコンピュータを扱っていると思うんです。ここではないどこか、もう一つの現実を求めてるんです。
宇野 その仮想現実的な虚構観がテクノロジーの発展に置き去りにされて、批判力を持たなくなってしまったのが現在なんだと思うよ。僕ら自身の内面を変えるよりも、僕らと現実の「関係」をテクノロジーによって書き換える方が効果があるし、面白くなっている。
アニメで言えば、押井守が行き詰まったのは、そこに理由があると思うんだよね。例えば、彼の『パトレイバー2』は、「人は映画が代表する映像を介することでしか何かを理解することはできない。では、その映画的なものの限界とはなんだろうか」という話を延々とやっている。で、その次に彼が作った『攻殻機動隊』は、そういう映画的な社会を超えるものとしてインターネット社会に注目したのだけど、彼が考えるインターネットは結局、「脳に電極を挿す系」のイメージを引きずりすぎてしまっている。
でも、スマートフォンの登場が象徴的だけれど、実際のインターネット社会は、脳に電極を挿して世界の見え方を変えるんじゃなくて、人間と世界との関係をテクノロジーによって書き換えていく方向に進んだわけじゃない。人間と情報、人間と空間との関係をテクノロジーが書き換えちゃったわけだから。
コメント
コメントを書く落合さんですか、
これまた凄い人物ですねぇ
今後のご活躍、期待してます