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【現代ゲーム全史】「サウンドノベル」と『不思議のダンジョン』――J−RPGの行き詰まりがもたらした対照的な「原点回帰」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.097 ☆
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【現代ゲーム全史】「サウンドノベル」と『不思議のダンジョン』――J−RPGの行き詰まりがもたらした対照的な「原点回帰」 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.097 ☆

2014-06-20 07:00

    【現代ゲーム全史】
    「サウンドノベル」と『不思議のダンジョン』
    ――J−RPGの行き詰まりがもたらした対照的な「原点回帰」
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2014.6.20 vol.097

    今日のほぼ惑は、大好評の中川大地さんによるゲーム史連載。今回は90年後半代に日本におとずれた北米ゲームカルチャーの衝撃と、J-RPGの「原点回帰」の時代について解説します。

    ■FPSの登場による北米ゲームカルチャーの変動
     
     そしてゲーセンを中心に起こった日本での格ゲーブームとほぼ時を同じくして、アメリカでは様々な意味で対照的な「対戦」型ゲームの潮流が胎動していた。立役者は、ハッカー上がりのプログラマーであるジョン・ロメロやジョン・カーマックらが立ち上げた、テキサス州のイド・ソフトウェア社。彼らは1992年、PC−DOS向けゲームタイトル『Wolfenstein 3D』をリリースする。これは、第二次世界大戦期のドイツのWolfenstein城を舞台に、囚われたアメリカ軍人であるプレイヤーの目から見たままの視点で立体的に描画される城内の迷宮を探索し、襲いくるナチス兵などの敵キャラクターを次々と撃ち殺していくという概要のガンシューティング式のゲームであった。
     プレイヤーが画面内の標的を銃で撃っていくというビデオゲームは、それこそ現実空間での射的遊びを置き換えたような銃型コントローラーを用いるガンシューティングとして黎明期から存在してきたが、本作では自分の銃が握り手ごと画面中央部に描画される。そして自分自身もキーボードからの操作で自由に移動しながら、静的な的ではなく動き回ってこちらを攻撃してくる敵を、先に射線上にとらえて倒していかなければならない。
     そんな現実の銃撃戦さながらの体験性を、一般のPC上でも味わえるような巧みなプログラム技術で、初めて本格的に実現させたのである。

     こうした主観視点型の画面デザインは、例えば『ウィザードリィ』のようなダンジョン探索型のRPGや、『Red Baron』のようなフライトシミュレーター等の系譜上に考えることができる。これらのゲームでは、シンプルなワイヤーフレーム等の時代から一貫して、人間の目が見たままの立体空間を平らな画面上に描出する線遠近法に従う描画手法が追求されてきた。これはまさに、近代絵画におけるリアリズム絵画の支配力の強さと同様の、西洋文明における基本的な空間認識の根強さでもある。その強固な空間性に基づいて、ゲーム分野においては描画テクノロジーの進歩にともなって幾何学的な線画だけの最低限の表現から徐々にドットグラフィックの色彩や形態の具象度を高めていく一方、さらに時間性の面でも、会敵戦闘をRPGのターン制バトル等のように不連続化せず、あくまで連続的な時間の流れの中でのリアルタイムな銃撃アクションとして描くことを目指す、徹底した「現実」への漸近を目指した結果のメルクマールとして登場したのが、『Wolfenstein 3D』だったわけである。
     本作を皮切りに、こうした素朴きわまりないモダニスティックな理念を愚直に追求し、マシンスペックの向上をひたすら〈仮想現実〉空間の描画の細密化と、シームレスアクションの高度化に費やしていくタイプのゲームタイトルが、堰を切ったように作られていくようになる。やがて一大ジャンルを形成するこれらの作品は、FPS(First Person Shooting Game:一人称視点型シューティングゲーム)という、近代小説の語り口の人称分類とよく似た命名でカテゴライズされるようになっていく。

     この普及への流れを一気に押し進めたのが、イド社が翌93年にリリースした次作『DOOM』であった。今度は火星基地に取り残された宇宙海兵隊員がモンスターを駆逐していくというSF調の舞台に趣向を変えつつ、『Wolfenstein 3D』で成功したFPSの基本的なゲームデザインを踏襲発展。さらに精細でおどろおどろしいグラフィックがゲーマーたちを魅了したのみならず、決定的だったのは、PC同士をネットワーク接続することで4人までのプレイヤー同士が協力ないし対戦することのできるマルチプレイモードが搭載されていたことだ。これにより、FPSの呼称どおり一人一人のプレイヤーは自分のPCからの視野情報しか持てない中で同じ3Dマップ空間を共有し、互いの姿を探し求めて撃つか撃たれるかのスリルを味わう、まるでサイバースペース内で遊ぶサバイバルゲーム(エアガンで撃ち合う戦争ごっこ)のような体験性が切り拓かれることになった。
     これにより、複数のコンピューターがLAN(Local Area Network)接続されている施設などを中心に、多くの中毒者たちが生み出されてゆく。PC−DOSを中心とした当時のパソコン用OSの環境では、LANを構築するにはそれなりの専門知識や値の張る機材が必要だったため、家庭用ゲームのユーザーに比べれば、『DOOM』のマルチプレイを享受できるのはかなりのハイエンドユーザー層に限られてはいた。だが、その壁を乗り越え、商用パソコン通信サービスの掲示板などを通じて情報交換したファンたちが、各自のPCを誰かの自宅などに持ち寄って構築する「LANパーティ」と呼ばれるプレイング文化が、全米で大きく加速されていったのである。
     手軽に持ち運び可能な高性能のノートPCなどはまだ登場しておらず、ゲームを快適に稼働させるには嵩の張るCRTを備えたフルスペックのデスクトップPCが必要だったから、自動車での運搬が前提だ。数人分のPCを並べて設置できるガレージなどのスペースの確保も含め、ホームパーティ文化が土壌にある、アメリカらしい光景と言えるだろう。

     このあたりは、同時期に進行していた日本発の『ストII』などの対戦格闘ゲームの文化が、集積化した都市空間に特有のゲーセン空間で華開いていたのとは対照的な現象だ。こちらの対戦文化が、書き割りのようなフラットなステージ画面上にキャラクターの図像というプレイヤーの代理表象を置き、サイドビュー型の視点でバトルフィールドの全景を視野に入れながら同時に感情移入するという、いわば浮世絵的な空間構成でできている点も含めて、日米の文化特性の違いが、またしてもゲームデザインとプレイ環境の両面で前面化したケースとなった。
     さらにはファンカルチャーの面でも、『DOOM』の場合は開発中からカーマックらがハッカーコミュニティにマップの生成やゲーム内要素に関するプログラムツールのソースコードを公開していたために、ユーザーがキャラクターやアイテム、背景などの外見を自らカスタマイズする「MOD(Modification)」と呼ばれる改造データが流通する文化にも火が付いた。同時期の日本のゲームファンの活動が、「ゲーメスト」などの雑誌投稿や同人誌などで出来合いのキャラクターの関係性やバックストーリーなどを二次創作するマンガ・アニメ的なオタク表象文化の方向に流れがちだったのに対し、 
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