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大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第一章 イメージの世界へ ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.481 ☆
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大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第一章 イメージの世界へ ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.481 ☆

2015-12-27 07:00

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    大見崇晴『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』
    第一章 イメージの世界へ
    ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
    2015.12.27 vol.481

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    今朝のメルマガでは大見崇晴さんの『イメージの世界へ 村上春樹と三島由紀夫』第2回をお届けします。三島由紀夫が「楯の会」を結成した1960年代末、日本は大量消費社会へと移行しつつあり、三島はそのポップ的な感性に飲み込まれようとしていた――。三島と春樹、2人の文学者の時代の空隙を埋める論考です。


    ▼プロフィール
    大見崇晴(おおみ・たかはる)
    1978年生まれ。國學院大学文学部卒(日本文学専攻)。サラリーマンとして働くかたわら日曜ジャーナリスト/文藝評論家として活動、カルチャー総合誌「PLANETS」の創刊にも参加。戦後文学史の再検討とテレビメディアの変容を追っている。著書に『「テレビリアリティ」の時代』(大和書房、2013年)がある。


    第一章 イメージの世界へ

     三島由紀夫は一九七〇年に割腹自殺を遂げた。一九六〇年代末の三島は「楯の会」という軍服を模した制服を身に纏った青年たちを率いていた。その光景を見て三島から慕われていたフランス文学者であり作家である石川淳は、三島がポップ・アートを始めたと思った。そう信じようとした。大衆消費社会に対して批評的なアートとして、楯の会を運動しているのだと思っていた。そのことを石川淳が口にすると三島は喜ばなかったという。
     だが、実際のところ楯の会はポップ・アートとして捉えられてもおかしくはなかった。
     三島自身が「この軍服はド・ゴールの軍服をデザインした唯一の日本人デザイナー五十嵐九十九氏のデザインに成る道ゆく人が目を見張るほど派手なものだ」と胸を張る制服について、三島由紀夫の弟子でもある編集者・椎根和は次のように回想する。

     軍服のデザインも、後で調べてみると、米国コロラド州にある米軍空軍士官学校の制服によく似ていた。一九六五年の夏発売の平凡パンチ誌に、その士官学校の写真が三頁にわたって掲載されていた。
    (椎根和『平凡パンチの三島由紀夫』)

     このように回想する椎根和が「popeye」、「Olive」、「relax」といったバブル期日本の「大衆消費社会」を象徴する出版社であるマガジンハウスの雑誌の創刊に立ち会った編集長であることが、ポップ・アートとして解釈されることを嫌った三島にとって何よりの皮肉だろう。
     江戸文化の評論家として知られ、またモダニストとして前衛芸術に明るかった石川淳にしてみれば、楯の会の制服は大衆消費されるべく雑誌に掲載されたアメリカの軍服をそのままデザインしたのだから、ポップ・アートでないこと自体が驚きであったはずだ。
     付け加えれば、何せ三島由紀夫による楯の会立案書(「祖国防衛隊基本綱領(案)」)は次のような檄文だから、天才作家と祭り上げられた三島由紀夫による質の悪い冗談、キッチュ(俗悪趣味)としか思っていなかったはずだ。

     祖国防衛隊は、わが祖国・国民及びその文化を愛し、自由にして平和な市民生活の秩序と矜りと名誉を守らんとする市民による戦士共同体である。
    (三島由紀夫「祖国防衛隊はなぜ必要か?」)

     石川淳にとってみれば「わが祖国・国民及びその文化」といった文章に合致するとは思えない楯の会の制服は、三島による大衆消費化された戦後日本に対する皮肉(ポップ・アート)にしか思えなかったろう。日本文化は既にしてアメリカナイズされているという、一流小説家ならではの皮肉というわけだ。

     こうした事情を知る読者には微笑を誘う「祖国防衛隊基本綱領(案)」と題された檄文は「一九六八年一月一日」に発せられたものである。この檄文が世に問われてから三島が自害を果たす一九七〇年までは二年ほどの猶予がある。その前後の日本に待ち受けていたのは、一層の大衆消費社会の展開(大江健三郎が代表作『万延元年のフットボール』で「スーパーマーケットの天皇」を登場させている)であり、脱工業化社会と呼ばれる社会の到来だった。
     この時期の日本において「時代と寝た」文化は、のちに「ニューミュージック」とも呼ばれることにもなるフォークソングだった。「帰ってきたヨッパライ」を発表したフォーク・クルセダーズも、「自衛隊に入ろう」を歌った高田渡も画期的だったが、よしだたくろう(現アーティスト名・吉田拓郎)はフォークソングの流れにおいて決定的に画期的な存在だった。三島が死んだ一九七〇年に発表された「イメージの詩」は、よしだたくろうの代表曲と言え、日本歌謡曲史においてもメルクマールとなるものだ。注意しなければいけないことはこの曲にはメロディにおいては目新しいものは何も無い。それはボブ・ディランの「廃虚の街」を借りた以上のものではない。戦中戦後日本歌謡曲史が替え歌の歴史であるように、メロディを追うだけでは新しさには気づけない。よしだたくろうには歌詞にこそ新しさがあった。
     「イメージの詩」は、世界がイメージに覆われてしまったことを歌詞にした曲である。
     この曲で歌われる「イメージ」とは目に見えるものといった単純なものではない。
     一九六二年にダニエル・J・ブーアスティンが『幻影の時代―マスコミが製造する事実』(原題"The Image")で扱った情報消費社会における幻影(イメージ)、実体験ではなくマスコミを通じて疑似的に経験したものを指し示している。イメージに覆われた世界では真実も正しさも美しさも、実際に体験したものか疑似的に経験したものか区別がつかなくなっている。真善美を模した真実らしさ・正しさらしさ・美しさらしさ。これらが世界を覆い尽くし、真善美と区別がつかなくなる。場合によってはそういった「らしさ」をも疑似的に体験してしまい、「「真実らしさ」らしさ」をも経験するような世界となるのだ。
     フランス現代思想の用語に換言すれば、ジャン・ボードリヤールが提示した概念である「シミュラークル」の循環が到来したことを、七〇年代日本のフォークソングは提示してみせたのだ。信じられるものがあるかは判らず(真理の喪失)、着飾る意味も理解できなくなり(美の喪失)、戦い続けるひとの心も判らず(善の喪失)、真善美に触れることができた「自然」に戻ることもできず、ただただ「自然」ではない事態に気づく「不自然」に慄いてみせる。残されているのは「らしさ」というイメージで覆われた世界のみだ。「イメージの詩」で歌われているのは、そのような内容である。日本のポップ・ミュージックは一九七〇年の時点で、このような高い頂に達していた。よしだたくろうが一九七〇年代に日本のポップ・ミュージックを領導していたのは、このような水準を高く飛び越えた才能によるものだ。


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