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かこつです。
読んでいると行間違えたりして読むの大変ですねw
言っていらっしゃる事難しくて何となくでしか分からな、だけどフィクションって凄いんだなぁ(語彙力)と思っていたら、所々分かりやすく説明されていて、きちんと理解出来たような気がします。
とあるコn…については安定していて面白かったです。
最近色々お疲れ様です。
次回も楽しみにしようと思います!
かこつです。
『ぼくたちの洗脳社会』や『サピエンス全史』を思わせながらも,そこから個々人はどう立ち振舞うかに発展する興味深いギロンですね。続きも楽しみです。
かこつです。
自分は「フィクション」というものをあまり知らないし信じることもできてないんだなぁ…と感じました。
次回もとても楽しみにしています!!
かこつです。
もう少し早くこの考え方も知っていたかった…orz
とはいえ、人生目標立てた後なので、それと比較しながら楽しく読ませていただきました!フィクションの使い方、私はまだまだ『実学』も伴わない若輩者なので、もっと勉強していこうと思いました!
かこつです。
初めてグルッペンさんの思想の深いところに触れた気がします。とても面白く拝読しました。
グルさんの「フィクション」に触れ、物理的戦闘がなくとも世界は闘争で満ちており、戦う(より良く生き抜く)意欲のないものは生をすり潰し、すり潰され死ぬまで生きるだけだという「世界解釈」がより強くなったように思います。
日々クレッシェンドされていく多様で質の高いコンテンツの提供ありがとうございます。冷える時期ですのでどうかお身体にお気をつけください。それでは。
かこつです。
少し話がズレる気がしますが、どこかで見た「物語などを自ら作る場合、作者の知識や教養の上限がそのままその物語の世界の知識や教養の上限になってしまう(読者に補完させる手もありますが)ので勉強読書映画鑑賞等しようぜ!(要約)」みたいな言葉を思い出しました。そう考えるとこのブロマガもふくめ世の中の創作物はその人のフィクションが入り乱れているということなので、それだけでハンパなく面白いものですね。
内容も、とても楽しく読ませて頂きました。次のブロマガも楽しみにしております。
貴重なお話ありがとうございます。
私は国立我々大学で助教授をしているものです。今年で在任114514年になります。
さて、今回のご論文はフィクション(思想)を得て精神的独立を果たし人生を闘っていけ、という主旨かと存じます。
哲学では古来より「決定論と自由意志論」が中心的テーマとなって参りました。
「人間は自然法則の下にある。遺伝や後天的な環境で未来は決まってしまう。ゆえに自由意志はない」との決定論的立場と、「人間は自然法則から離れて自由な意志を持てる」の非決定論主義です。
同志グルッペンは後者かと存じます。
人はパンのみにて生きるにあらず、思想によって真に生きる、といった所でしょうか。
さすれば、「自由にフィクション(思想)を選ぼうにも、遺伝、家庭や教育環境、知識量、後天的経験の鉄鎖に繋がれている人間にはそれが出来るのか。自由意志が実在する根拠はなにか」
という論点に行き着きますが、
上記への回答が「異世界の主役は我々だ!」の一連の作品でありましょう。
同志グルッペンは異世界において自由意志の根拠を論じて思想的基盤を整備されました。
ところで残念ながら未完作「異世界の主役は我々だ!」は更新が滞っているゆえ、
国民は総統の深遠な思想背景を理解する事が叶いません。
作者様には一層奮励努力して執筆して頂きたいと切に願う次第です。
以上です。
続編お待ちしておりました!
乱文なんてとんでもない……!超絶おもしろ分かりやすいスペシャルな啓発文章ですよ……!
主張の順序が綺麗でテーマもはっきりしていて、頭に入りやすいです。
もはやフィクションは思想であり哲学ですね!
こんな激しい思想闘争の中、敵を鼓舞するようなことを発信してくれるグルさんは聖人(あるいは闘争狂)なのでは……?
もしくは、グルさんの目標フィクションは、多くの人が独自のフィクションを持ち闘い合ったほうが都合が良いのでしょうか……!
どのみち、独自のフィクションが脆弱な私は、まず種々思想のインプットから始めることになりそうです(`・ω・´;)
……それにしても、”世界は諸君らの「意思」によって規定される。”ってすごい言葉ですね……。こんなこと言われて奮い立たない訳がない……。
この名言が格好良くレイアウトされた丈夫なカードとか欲しい。
親愛なる総統閣下
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。――ニーチェ
すっっごく分かりやすくて、興奮を覚えるほど面白かったです!
般若心経では諸法空相と言って、要はこの世は幻≒フィクションだよ、と説いていると私は解釈しております。この世のあらゆる概念、国家・法律・経済、家族すらフィクションであります。皆してあると思っているから存在しているのであり、そして信じている者にとっては存在する幻なのです。幽霊が見える者には幽霊は存在すると言えましょう。
問題は信じられる何物も無くなり、虚無に陥ることです。全てがフィクションの中で一体何を以って生きればよいのか?我思う、故に我ありでは満たされぬ。欧州では宗教の神が死んだのち、自由や民主主義と言う近代の神が生まれ、派生していきました。WW2は、ファシズム・共産主義・大東亜共栄圏などといった巨大なフィクションたちの死闘です。神々の黄昏!最終的に勝利を収めたのは自由・資本主義でしたが、それもいつまでもつのやら。
我々はより良いフィクションを持つべきですが、それは一体何なのか?持つことで万人との闘争になってしまうのか?私自身も追い求めているテーマでございます。ですが、『異世界』にしろ『HOI』にせよ、末人たる臣民の多くは理解できぬことでしょう。生きる意味を考えている者でないとテーマを読み取れないと思います。そのことが今後の悩みになるのではと察しまする。
けれども、閣下ご自身は読者の理解をさほど気にしてないのかも知れません。分かる者が各自で世界解釈と闘争を行えば良いと。その中でセンスある者だけが、
ニコニコ動画を盛り上げていけば良い、と。
国民識者の皆様のコメント含め楽しませていただきました。古いオタクなので、総統の言葉選びがとても心地好く入ってきます。
>>13さんと同じく、果たして今のニコニコ視聴層にどれだけ伝わるのか?センスを掬い上げるための知識の海を持つ者がどれ程いるのか?気になりました。
昨今の若年層(いわゆるYouTuberに憧れる世代)を見ていると、「フィクションの中に生きる」ことを、論じなくともネイティヴに認識しているのではないか?とも感じます。何故なら分別のつく前から、否が応でも様々なフィクションに触れ続けなくてはならない環境が出来上がっている。顔出しだとか直接のメッセージだとかが好まれるシナプスの速さは、溢れまくっているフィクションの中に「現実」を見出したい、という欲求の現れなのでは?と。だから編者のフィクションやスポンサーのストーリーテリングで化粧されたメディアは、もう既に選ばれなくなってきている。もっと早いシナプスがそこらじゅうにあるからです。
我々だのみなさんは「フィクション」構造が何層にも広がっている点が自由で、その中でこちら側が受け取りたい「現実」に対し、選択肢が用意されている点がたいへん好きです。これからもあらゆるフィクションの広がりを期待しております。
ところで冬コミ詳細、なるはやでお待ちしております。