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【わさお通信:特別増刊】 わさお、ありがとう 他
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【わさお通信:特別増刊】 わさお、ありがとう 他

2020-12-31 21:00

    INDEX

    • 巻頭言:わさお、ありがとう
    • 活動報告のしっぽ:2020年12
    • コラム:ふらっしゅばっく Story ものたりない夏のはじまり(2019年6月頃)
    • 今月のつぼ写真 - ここ一ヶ月のよさげなやつ

    巻頭言:わさお、ありがとう

    わさおが旅立って、半年が経ちました。
    もう半年…なのか、まだ半年…なのか。それらがちょうど半分ずつ入り混じっているような心持ちではあるのですが。
    ところどころ曖昧な感じはあるものの、半年経ったなりにわさおとの日々を落ち着いて振り返ることができるようになったような気もします。
    今号では、ぽつりぽつりと、そんなことを語ってみようと思います。

    特に印象に残っていること

    わさおとはじめてちゃんと会ったのが2008年6月11日、そして最後にお別れしたのが2020年6月8日。12年に及ぶお付き合いの中ではとても色々なことがありました。そのどれもが、わさおを出会っていなければ、普通に生きていたならば、到底経験することができなかったであろう事の連続、オンパレードだったと思います。わさおに関わっていたからこそ知り合った人たちも沢山います。私的に親睦を深めることになる著名人、その筋の専門家、それまで知らなかった裏方のエキスパートなど、綺羅星のような方々と交流することもできました。

    わさおと一緒に行動していたからこそ見ることの出来た景色、知ることの出来た世界というのが確かにあります。それらの中で最も印象深いことを挙げよと問われたならば、それは間違いなく、その物語の始まりと終わりを選ぶでしょう。

    わさおとの出会い

    前述したとおり、私とわさおの出会いは2008年6月11日なのですが、それとは別の前日譚があります。あれはまだ地面のあちこちに雪が残る同年3月、鰺ヶ沢町ご町内のスーパーマーケットの駐車場でのこと。白黒のちょっと小さめの犬と、一見してシロクマか?と二度見してしまうような犬が軽トラックの荷台に乗っているところに遭遇しました。当時、地元ネタのブログ作者だった自分は常にカメラを持ち歩いていて、つい、その風貌にひきこまれて撮影しようかどうしようかと迷っているときに、飼い主さんらしきお母さんがコイン精米小屋からコメ袋を抱えて軽トラックにもどってこられたので、ついそのまま遠慮したということがありました。その時もしも撮影していたら、それはもっとも若いわさおの写真になったのだろうな、と今でも少し残念に思うことがあります。

    それから3ヶ月後。友人にメレ子さんの書いた記事を教えてもらい、ああ、あのときの犬だと思い、はじめてきくや商店を訪れたのでした。

    「ここに白い大きな犬、いますか?」
    「なにか、しました?」

    これが、私ときくやのお姉さんの初めての会話でした。わさおはやらかし系だったのでしょうか。今思い出してもなかなかにウケる展開です。
    お店の裏に飼い主のお母さんと一緒にいるというので、行ってみました。お店の裏手に積まれた荷物というかガラクタというか、そんなものの隙間から、白い尻尾だけがゆらゆらと見えていました。そしてやおら、その隙間から白い犬の顔がのぞいたかとおもうと、無理やりその隙間を通り抜けようとして挟まっていました。いや、どうみてもそこは通り抜けられないでしょ…。

    近くに居た母さんにご挨拶し、白い犬がネットで話題になっていること、「わさお」という呼び名で紹介されているので、今後「わさおいますか?」と会いに来る人がいるかもしれないということをお伝えしました。母さんは最初「まさお? まさお?」と聞き間違えていましたが、「わさお、いい名前だな。人の名前をもらうとはたいしたものだ」と気に入ったご様子でした。

    青森・津軽地方の6月は夏のほんとの一歩手前という季節です。花々が一通り咲き誇り、半袖ですごすのが心地よい気候です。鉛色の空と墨絵のような雪景色が美しいモノクローム写真のような冬の風景の対極にある、豊かでエネルギーに溢れた極彩色の季節です。日本海から吹き寄せる海風が、鳴沢川河口でその塩を落として爽やかできもちのよい風にになって、わさおのわさ毛をゆらゆらとやさしく揺らしていました。一歳ちょっとのわさお、傍らを自由に行き来しているチビ、それを優しく見守る飼い主母さん、大きく広がる青い海と空、その世界はとてもまばゆくキラキラしていました。

    わさおとのお別れ

    一番穏やかで華やかな季節は、結果的にわさおとお別れする季節ともなりました。
    でも、結果的にそれが良かったのではなかったとも思っています。老齢で呼吸が早く浅くなっていたわさおにでは、7月から8月と気温が上がるにつれて、熱中症などで苦しむ可能性もなきにしもあらずだったと思えるのです。

    あの季節だからこそ、わさおは安らかに旅立てた。そして、それはまるで、わさお自身がそう決めた。あの最後の顔を思い出すにつけ、そのように思えてならないのです。

    最後の潔く安らかな死に様は、人間であってもそうそう出来るものではなかったでしょう。

    つくづく、わさおは破格の犬だったな、そう結論せざるを得ない最期でした。そしてそれを見せつけてくれたことに驚きの感謝の念を禁じえません。

    わさおの最後については、公式ブログ「わさお通信:今日のしっぽ」でも直後に述べさせていただきました。あの時の直情的な思いがまさにわさおとのお別れを伝える文章としては最適であると思っておりますし、それを越える表現は出来ないのだろうなと思っています。まだの方はよろしければそちらもお読みくださいませ。

    わさおと見た被災地の風景

    わさおそのものではないのですが、わさおと一緒に居たことで強く強く印象に残っている体験が、東日本大震災の被災地の訪問です。
    震災発生後の一ヶ月ちょっと後、わさおと飼い主母さんは、岩手県の陸前高田市の小学校、県境挟んでお隣の宮城県気仙沼市の中学校を訪問しました。

    どちらも日本ユネスコ協会のワンバサダーの肩書による活動で、被災地の学校に義援品としての文房具を届けるというものでしたが、当時、被災地の学校といえば、避難場所であり、グラウンドに仮設住宅を建設している真っ最中でした。

    道中、流されて土台だけ残った家の跡の間に、大きな被害もなく立っている別の家があり、それらが点々と続いていました。その運命を分けたのはわずかな高低差でした。大変多くの命が失われましたが、その運命を分けたのもまた、わずかななにかの違いだったのだろうと、その風景から読み取ることが出来ました。小さな川の真ん中に大きな漁船がひっくり返っていました。あたり一面、魚介類の腐敗した磯の匂いのようなものがたちこめていました。

    そして、生き残った人々は笑顔でした。県外ナンバーの我々に沿道から笑顔で手を振ってくれていました。その人達は全員喪服姿でした。ひどい被害に会いながら、他県からきた支援に笑顔で感謝をむけてくれるその心の強さが胸を打ちました。

    そして、まるで、生き残った人たちを励まし、亡くなった人たちを偲ぶようにいたるところに桜が咲き誇っていました。被災地の桜は津波による塩害で、翌年はほとんど咲かなかったという話を聞いたような気がします。その時見た桜もまた、命の最期のかがやきをみせていたのかと思うと、切なくなります。

    陸前高田の小学校では、小学校低学年120名とわさおが対面しました。わさおには触らないでねというお願いが全員に伝えられましたが、その直後、飼い主母さんが、「いいよ、触っても」と言い、120名の生徒全員がわさおの頭をなでました。わさおはじっと黙ってなでられていました。

    気仙沼の中学校には、飼い主母さんと文通をしていた当時中学ニ年の女の子がいました。当初我々は、あまりの被害の大きさにわさおに何が出来るだろうかと悩み、逆に最低限、この女の子とその周囲のひとたちを励ますことができればいいのではないかとだけ思って、この訪問を計画しました。

    しかし、わさおは行く先々で多くの人に喜ばれ、歓迎されました。わさおを通じて、私達のほうが励まされたような気がしました。

    大自然の猛威の前で生き物の命は儚く脆い。けれども、その逆境から立ち上がろうとする人間の心は強い。

    わさおと一緒にいたことで、教わったような、そんな気がします。そんなことだらけの12年間だったような気がします。

    だから、わさお、ありがとう。そう思うのです。


    活動報告のしっぽ 2020年12月

    わさお一家関連の12月の出来事です。

    • 12/04 共同通信取材
    • 12/18 東奥日報取材

    師走ということで、今年一年を振り返る時期です。共同通信など新聞系メディアでは、今年の出来事という切り口で、6月8日に旅立ったわさおのことを取り上げていただきました。

    また、特に追加取材やご連絡などはないものの、地元のテレビなどをみていると、やはり同じような形でわさおのことを振り返っていただくことが多い気がします。

    多くの方がわさおのことをまだ思っていただいていて、ありがたい限りです。

    コラム:ふらっしゅばっく Story 
    ものたりない夏のはじまり(2019年6月頃)

    つばきが居なくなって、わさおはしばらくしょんぼりしていました。
    散歩先でも、いつもよりも遠くまで足を運んで、そこにつばきが本当にいないのかどうか、確かめているようでした。

    つばきが倒れていた時、一番そばに居たのはわさおでした。ですが、つばきの異変に気づき、慌てて運び出して動物病院へ搬送するという一連の流れの中で、わさおがその時どんな顔をしていたのか、全く思い出せません。もしかしたらそれどころではなかったので、わさおの方を見ていなかったのかもしれません。しかし、わさおは間違いなくなにかに気がついていたのではないかと思います。わさおは空気を読める犬です。昼夜を分かたずに長年連れ添ったつばきの異変に気づいてなかったはずはないと思うのです。

    居そうなところを探して、居ないと腑に落ちたらどっしりと構えて、そこで待つ。当時はわさおのことをそのように見ていました。それは飼い主母さんとお別れした時と同じ感じに考えていました。しかし、今、当時のわさおの様子をおさめた写真群を閲覧すると、少し違うように見えてきます。

    わさおは明らかに堪えているように見えます。

    つばきの時が母さんの時よりも辛かった、という訳ではないのでしょう。どちらかというと、母さんが去り、そして今またつばきが去ったという悲しみとか寂しさの連続が身にしみていたのでしょう。


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    美味しいものをもらってもテンションが低いわさお[2020年6月3日撮影]

    写真をよくご覧いただくと、わさおの右前足に腫れ物が写っているのがお分かりいただけますでしょうか。この後、これがまた一騒動へと繋がっていくことになります。

    今月のつぼ写真

    ちょめのサンタコスプレ写真撮影時のオフショット。
    体をブルブルしたり、衣装をかじったりとなかなか落ち着いてくれません。お遊びだとおもってテンションがあがっているのでしょう。「ほら、お仕事!」と飼い主母さんの声が聞こえたような気がします。いや、お仕事ではないんですけどね。

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    この衣装は、わさおも着たことがあるものです。この後三度目のトライで、きちんと撮影できました。
    わさおは、一発目が一番良いパフォーマンスをする「一発野郎」(母さん:談)でしたが、ちょめはどうも「三度目の正直」のパターンのようですね。

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    オマケ情報





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