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山田玲司のヤングサンデー 第363号 2021/10/11

強くなくてもいいのだ

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【破滅する物語】


今回のヤンサンでは鳥山明の漫画が、それ以前の王様だった「梶原一騎の時代」にとどめを刺した、という話から始まった。

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ある年代にとっては基礎教養であろう「梶原一騎」だけど、最近の若い世代ではよく知らない人も多くなったと思う。



梶原作品にも色々あるが、その多くは「孤独な男」が「孤独な男」と出会い、命をかけた闘いをする中で相手を理解していく話だと思う。


孤独な男たちは「この世界で生き残るには強くなるしかねえ」と思っている。


「強ければそれでいいんだ」という梶原アニメのエンディングソングも流行った。


そんな殺伐とした世界の中で「明日はきっと何かある」と闘いつづけ「明日はどっちだ?」と疑問を投げかけ、物語の多くが「破滅と孤独」に向かっていくのが梶原漫画だ。



(今思えば闘い続ける登場人物は「闘わなくてもいい明日」を探しているように感じる)



【ディスコミュニケーション】


そんな息苦しい「闘いの季節」が終わって、その虚しさを味わった若者は「関わらない」「人と人は理解できない」という「ディスコミュニケーション」を選択し始める。


その代表が村上春樹だろう。

彼の初期作品は「誰かと関わること」より「パスタの茹で加減」の方が大切なのだ。


もう1つのディスコミュニケーションは「好きなものだけの世界に生きる」という選択だ。


他人と殴り合ってまでして「理解し合おう」などとは最初から考えず、好きなものが同じ人間たちと平和な「遊び」を共有するだけでいい、という思想。

「社会問題」や「異文化への理解」などは消える。


この代表例がDr.スランプの「ペンギン村」だと思う。


言い換えるとこれは「オタク村」であり、ピーターパンたちの桃源郷でもある。


僕は梶原漫画の「殴り合わなければ互いを理解することはできない」という過激な思想には幾分乗れない所があるけれど、異文化を排除してしまう楽園に住み続けるのもどうかと思う。



ディスコミュニケーションで「子供のまま生きること」はあらゆる問題を先送りにしてしまう。


大友克洋のAKIRAに出てくる「子供のまま老いていく人間兵器アキラ君」が旧東京を破滅させたイメージはこの辺の感覚とリンクする。



【「強さ」という回答】


・全力で他者(社会)と向き合う梶原(団塊世代)

・自分の世界で鎖国する村上、鳥山(ポスト団塊世代)


そして、あらゆる問題に対して「強ければいい」という単純な思想一択になっていくのが90年代だ。


この背後には強烈なグローバル化がある。


田舎の小猿だった「悟空」が「オラ強くなりてえ」と言い出す物語の背景には、過酷な経済競争の中で「負けたら終わり」という救いのない時代が押し寄せていたからだ。


このメンタリティは後の「新自由主義」に繋がる。