元日の放送では、皆様ありがとうございました。
こんな時に観てくれる人が本当にいるのか?なんて思っていたんだけど、予想以上の数の人に参加してもらえて嬉しい限りでした。
放送では、いつかやりたいと思っていた「志磨遼平とロックってものを徹底的に語り合う」という企画がついに実現して、また1つ夢が叶った所からの年明けでした。
徹底的に初歩から行こう、と思って「ビートルズとストーンズの違いは?」なんて、昔では絶対に許されないような基本中の基本なんかをぶち込んで、ノンストップでの4時間半。
最後は「異文化の衝突と融合が生み出す」みたいな話まで行って、もう最高の夜でした。
予想通り放送の後も話は止まらず、結局みんな朝方まで、踊りながらロックの話をしていました。
「先輩、最高ッス!」と思っている3人
僕が放送で何度も「クロニクル」の話をするのは、自分が好きな音楽や漫画などには、そこに至るまでの歴史があって、それはもう「宝の道」で、その1つ1つが、当時の先輩達の生々しい葛藤と、愛と、試行錯誤の歴史から生まれた「宝石だらけ」の道だからです。
そんな「過去の人達」を大事に思っている所が、僕と志磨遼平とおっくんの大きな共通点です。
僕らは、三島由紀夫だの細野晴臣だの、生死は問わず「先人の話」をしながら「先輩、最高ッス!」と言いながら生きている人種なのです。
志磨遼平の曲を聴いてもらうと、その中には過去の先輩の「宝」が散りばめられているのがわかると思います。
本人は「パクったんです」なんて言っていますが、そんな簡単なものではなく、自分も愛する先輩ミュージシャンに「届きたい」あるいは「同化したい」という、強烈な思いがその背後にあるわけです。
僕の漫画にも、手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生が、何度も登場しています。
「アリエネ」ではセザンヌやクールベも出ていますし、「NG」ではズバリ「ジョンレノンそのもの」が登場しています。「水の鳥」という僕の漫画は、もちろん「火の鳥」へのオマージュです。
一部の人に言わせれば、それは「ものすごくダサい行為」ですけど、そんなのいいんです。
好きなんです。尊敬してるんです。感謝してるんです。
そもそも「完全に新しいもの」なんて、できるわけないんです。
あの「ビートルズ」ですら、過去の人達の「お宝」の集積の上に存在しているわけで、名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド」のジャケットは、彼らが影響された人達がコラージュされています。
「煮詰まる時」はどういう時か?
長く漫画家をやっていると、自分が「どういう状態の時に身動きが出来なくなるか?」というのが解ってきます。
基本は「嫉妬」です。
何か「すごいもの」を世に出して、大きな評価を受けている人を見ると、悔しくて、自分は何をやっているんだ、なんて焦るわけです。
その思いは、自分にしか出来ない「すごいもの」を生み出さなくては、なんて気持ちになって、そのハードルを上げていきます。
そして、浮かんだアイデアを「そんなもの昔あった」とか「そんなの誰かがもうやってる」とか、評価される事を再優先にしてしまって、何も出来なくなってしまうのです。
そして自分に自信がなくなって、人に会うのが憂鬱になってきます。
「ダメな自分」を見せたくないのです。
そうなると、友人からの新しい情報はもう入って来なくなり、情報はメディアからのものばかりになり、増々、硬直化していくのです。
もちろん、メデイアでは常に「誰かのすごい作品」が絶賛されています。
こうして、「世の中全てが敵だ」という気分になるのです。
こういう気分で生み出される物語は、基本「俺を分かってくれ」「私は可愛そう」という、「自分押し付け型」のうざい作品になるので、増々「普通の人」には理解されなくなってしまうのです。
穴の抜け出し方
何度もそんな「穴」にハマってくると、今度は「穴」に入ってしまった時の脱出方法もわかってきます。
脱出の方法は、まず「人の目を無視する」所から始めます。
コメント
コメントを書く今回の記事を読んで、「あっ!私、今ちょっと穴にハマりかけ?(;゜∇゜)」と気づいて、気持ちが少し楽になりました。
元旦の放送、めちゃくちゃ面白かったです。
また音楽の話聞きたいです。