産経新聞の「正論」欄で、西修が「はびこる『立憲主義』
という妖怪」という文章を書いている。
第一に、西氏は「憲法とは国家権力を縛る」という
定義があいまいだと言う。

そして立憲主義の本質は「国家権力の恣意的行使を
制約する」
ことにあると言う。

一緒じゃないか!

「権力の暴走を阻止するのが、立憲主義の根本的な
考え方
である」とも書いている。

同じじゃないか!

2に、「憲法を守らなければならないのは、国家権力
であって、国民ではない」という説を否定する。
国民が憲法を守るのは「理の当然」だから、第99条に
入れなかったのだと言う。
憲法の条文のすべてが権力向けでないのは「理の当然」
であって、「国民の3大義務」が憲法にも明記してあり、
それは「教育・勤労・納税」である。
これ以外の条文を、国民が守るべしとするのは
異様な解釈である。 

わしは、憲法上の国民の義務を、これ以上増やす
必要はないと
考える。
なんでそんなに縛られたいのだ?マゾか? 

「国家権力は悪」という左翼的な考えは、わしは持たないが、
それでも国家権力は、自衛隊と警察・公安という「暴力装置」
(マックス・ウェーバー)を持ち、税金の取り立てでも裁量が
任されているのだから、国民からは恐ろしい存在である。 

権力は、国民にとって必要だが、恐ろしい存在なのだ。 

したがって近代憲法を採用するのならば、「立憲主義」は
あくま
でも、「権力の暴走を国民が阻止する」ことが
前提でなければ、
受け入れられない!

国民の、権力に対する命令書であることが、前提である!

 

 

RSS情報:http://yoshinori-kobayashi.com/10076/