杉並区の保育所建設に反対する住民を見ていると、
「民主主義」がいかに「愚民主主義」に陥るかがよく分かる。
保育所が必要と涙ながらに訴える少数派の母親に対して、
多数派の住民たちがヤジを飛ばして、発言を封殺している。
それだけでも、多数派が少数派を圧殺する「愚民主主義」
になっているのだが、彼らは気づくまい。
驚くべきはあの話し合いの場所に、子供がいることだ。
子供が挙手して発言しようとしている。
子供は公園でサッカーができなくなるから、保育所なんか
作るなと言いたいのだ。
保育所を作るスペースは公園の三分の一なので、
ボール遊びが出来ないわけではない。
ただ、サッカーはできなくなるらしい。
働かなければ生きていけない赤ちゃんを持つ母親VS
もはや保育所を必要としない子育て中の母親、という
対立が出来ている。
「保育園落ちた日本死ね」と叫ぶ切実な母親の気持ちも、
「子供をのびのび遊ばせたい」という母親には、届かない。
ようするに「子供をのびのび遊ばせたい」母親は、すでに
「既得権益者」になっているのだ。
「保育園落ちた死ね」の母親たちの敵はもはや「国(政府)」
ではなくなった。
同じ住民の「既得権益者」となった。
多数派の「既得権益」を守りたい住民と、保育所が
死活問題の母親が戦わねばならない。
分断統治のできる「国(政府)」は有利になった。
そもそも消費増税の延期で、社会保障が今後削られる
ことも決定的だ。
保育所建設は住民が反対するから、「民主主義」の
結果として進まなくなる。進めなくてもよくなる。
その結果、ますます子供を産むことをためらう女性が
増える。
少子化は止められない。
ほんの数年の差で、保育所が必要な母親が、
保育所は邪魔な母親に変貌する。
エゴが「公共心」を遠ざける。
それが「民主主義」というものの実態だ。
行政の手続きのせいにしてはいけない。
「民主主義」だろう?「民主」なんだろう?
だったら国民の意向次第だ。
「民主主義」とは何かを分析した『民主主義という病い』
が発売されたばかりだ。
日本人は本気で「民主主義」について、考えてみる
べきだろう。
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