また「SAPIO」の担当編集者が替わることになったので、
一応わしの『大東亜論』の構想をざっと説明しておこうと思う。
「SAPIO」連載中の『大東亜論』は現在、『民主主義という病い』
で描いた大正デモクラシーの前段階、「明治の民主主義の勃興」
について描いている。
民主主義はアメリカに教えてもらった、GHQに教えてもらったと
思い込んでいる者が多すぎる。
そこを完全に払しょくする必要があるから『大東亜論』で丁寧に
「自由民権運動」について描いているのである。
なにしろ武士の武力でもって政権交代を果たす時代から、
言論で政権交代を目指す時代への転換点の時期だ。
国会すらまだ開設されてなかった時代なのだ。
そのときに言論戦を始めたのが、板垣退助が率いる土佐の
「立志社」と、福岡の「向陽社」(玄洋社の前身)であり、
これらを中心に大阪で結社したのが「愛国社」である。
さらに驚くべきは、福岡で「筑前共愛会」という民間の私設県議会
のようなものが作られて、制限のない民意を結集させる自治組織
まで作っている。
上から与えられた民主主義ではなく、下からの民主主義が権力に
影響を与える時代を描いているのだ。
その時代には政府は密偵をたくさん送り込んで、自由民権運動を
潰そうと謀っていた。
西南戦争から間もないので、いつ民権運動を担う武士たちが、
武力蜂起に向かうか分からない状況だったのだ。
密偵はあらゆる手段で組織の分断や内紛を画策して、運動を
挫折させようとする。
わしが教科書運動をやっていたときも、組織内にスパイがいる
としか思えない出来事もあった。
運動は疑心暗鬼に陥るものなのだ。
武力を放棄した頭山満がどうやって政治力を発揮していくかが、
現在の見どころでもある。
ここを丁寧に描いておかねば、玄洋社が右翼の源流とされる
誤解を晴らせなくなる。
現在の『大東亜論』は第3巻になるが、自由民権運動の結末を
描いてから、第4巻でいよいよ玄洋社が朝鮮に関与し始める
ことになる。
ここから閔妃暗殺事件や日清戦争などの黒歴史が始まる
わけだが、そこをどう描くかが大問題になる。
第4巻を描くには、猛勉強を始めねばならない。
今のところその勉強が全然手が付けられない状態である。
忙しすぎるのだ。
なんとか第3巻のコンテを次々に上げて、勉強する時間を
作らねばならない。
『大東亜論』は歴史のメジャーどころの大物の話では
決してない。
歴史の陰に埋もれた男たちの物語なのだ。
頭山満なんて誰も知らなかっただろう。
植木枝盛だって中江兆民に比べたらきわもの扱いかもしれない。
しかし彼が民衆に与えた影響力は大きいのだ。
『大東亜論』は第1巻に比べたら、どんどんストーリー漫画に
変質している。
連載で読むもよし、単行本でまとめて読むもよし、なんにせよ
わしにしか描けない大河ロマンになると思う。