国際法の専門家だとひけらかす「従米派」が、山尾志桜里氏の「平和主義を貫く立憲的改憲」に対して文句をつけているが、自己顕示欲しか感じない。
もう時間がないのだから、山尾氏も倉持氏も無視していい。 

例えばわしは「反米」だと言われるが、中国やロシアや北朝鮮や韓国よりは、アメリカの方が好きである。
安全保障を結ぶならアメリカしかないとも思っている。 

だが、アメリカは「侵略戦争」を行なう国である。
これは最大限に警戒しなければならない。
わしは小学生のとき、ベトナム戦争をアメリカの侵略だと見抜いて論文を書いた。
つい先ごろのイラク戦争も侵略戦争だと見抜いて、なおかつ失敗すると主張していた。

イラク戦争に追従すべしという「従米派」からは、猛烈な批判を受けたが、100%わしが正しかったことは、もはや誰の目にも明らかだろう。
イラク戦争の大義がなかったこと、失敗だったことは、今や国連も英国も米国も認めている。

日本の「従米派」だけが、自らの過ちを認めもせず、小林よしのりに謝罪もしていない。
しょせん無責任で恥知らずな奴らなのだ、「従米派」は。 

山尾氏の改憲案は、侵略戦争に加担することを防ぐための「立憲的改憲案」である。
だから「平和主義と立憲主義を貫くための改憲案」になるのだ。

戦力未満の自衛隊を明記して、集団的自衛権を行使する改憲では、ゆくゆくはベトナム戦争やイラク戦争に自衛隊が加担する道を突き進むことになる。

国際法上、個別的自衛権も集団的自衛権も認められているのは、当然のことであり、わしも昔からそう描いている。
だが、集団的自衛権を行使するためには、軍隊が必要であり、アメリカとの対等な関係性が必要である。
侵略戦争に誘われたときは、日本は加担できないと言える対等性が必要なのだ。

それがまだ実現できないのなら、歴代の内閣法制局が、属国ゆえの「知恵」として封印していた集団的自衛権を、元の状態に戻す。
それは決して集団的自衛権が「悪」というわけではない。
先に個別的自衛権の強化こそが、今、日本がとるべき道であると言っているのだ。

わしは「反米」ではない。だが米国を信頼はしていない。
あまりに極端な大統領が登場して、そのたびに朝貢外交をしている日本政府が情けないと思う。

一人前の日本国を作る最善の道を山尾志桜里は模索している。
そこまでダイナミックなことを考える政治家が、今まで日本に現れたか?

「自衛隊だけを明記する憲法改正で我慢してちょんまげ」としょぼい加憲案を出してこられても、日本男児は全く燃えない。
女である山尾志桜里に期待するしかなくなったのが、この日本の男どもの堕落の実態である。
国際法くらい常識で考えりゃ分かる。
対米追従が国際法のはずがないではないか。 

選択肢を示して憲法の議論を華々しく巻き起こす。
それしか国防に対する日本人の真剣さを引き出す方法はない。
「平和ボケ」の果てに「自衛隊明記のみ」の加憲案しか出せなかった「従米保守」安倍政権を嗤え!

野党でも選択肢を示して、真っ向から議論を挑めば、国民が支えるはずだ。
国民に選択肢を示す!それが山尾志桜里の使命である!
男どもは黙って山尾氏を守ってやればいいのだ。

 

 

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