村山談話・河野談話に未来はあるか?
第24回 吉田証言「虚偽」に未練タラタラの吉見義明
慰安婦問題「謝罪派」の理論的支柱とされる
吉見義明中央大教授も、当初は「吉田証言」を根拠に
「強制連行」を信じていたようだ。
なにしろ、1992年(平成4)に現代史家の秦郁彦氏が
済州島の現地調査によって、吉田証言が虚偽だと証明しても、
その1年ほど後に吉田清治を訪ねて、直接説得を試みているほどなのだ。
吉見本人の記述『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』
(大月書店1997)によれば、吉見は吉田に対して、
「積極的に反論するよう勧めた。また、誇張された部分があれば、
訂正するべきだとも申し入れた」という。
ところがそれに対する吉田の答えは
「日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できない」
という極めて怪しいもので、
さらに「回想には日時や場所を変えた場合もある」とも
言ったという。
これでは真偽の検証は一切できない。
この吉田との会見で吉見は「吉田さんのこの回想は
証言としては使えないと確認するしかなかった」との結論に達し、
以降「吉田さんのこの証言はいっさい採用していない」という。
研究者ならそう判断して当然なのだが、それでも吉見は
なお「吉田さんには、慰安婦徴募にかんするみずからの
体験を伝聞と区別して正確に証言されるよう望みたい」
などと、まだ未練タラタラな気持ちを吐露している。
吉田清治は「週刊新潮」1996年5月2・9日号では
「秦さんらは私の書いた本をあれこれ言いますがね。
まあ本に真実を書いても何の利益もない」
「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、
新聞だってやることじゃありませんか。
チグハグな部分があってもしようがない」と、
完全に開き直ったコメントをしていたが、その後もまだ吉見は
吉田への未練を捨て切っていなかったようだ。
吉見が「大発見」したつもりでいた「軍の関与」の資料など、
実際には「関与していて当然」の、何の問題もない資料だった。
問題は「軍が関与した強制連行」があったのかどうかであり、
その唯一の証拠とされた吉田証言を
吉見義明ですら採用できないと結論付けた時点で、
もうこの話は終わったはずだった。
ところが、そうはならなかったのである。