村山談話・河野談話に未来はあるか?
第54回 米軍調査報告に見る慰安婦の実態(その5)
続いて「報酬および生活状態」という項目を見てみよう。
「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦が、契約を
結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって
差はあるものの、慰安婦の稼ぎの総額の
50ないし60パーセントを受け取っていた。
これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを
得ていたことを意味する。
慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。
多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として
慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは
生活困難に陥った。
1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の
慰安婦には帰国を認める旨の指示を出した。
その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。
さらにまた、尋問が明らかにしているところによれば、
これらの慰安婦の健康状態は良好であった。
彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に支給されており、
また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうから
もって来る場合が多かった。
慰安婦は衛生に関して、彼女たち自身についても
客についても気配りするように十分な訓練を受けていた。
日本軍の正規の軍医が慰安所を週に一度訪れたが、
罹患していると認められた慰安婦はすべて処置を施され、
隔離されたのち、最終的には病院に送られた。
軍そのものの中でも、まったく同じ処置が実施されたが、
興味深いこととしては、兵士は入院してもその期間の給与を
もらえなくなるということはなかったという点が注目される。
米兵は入院したら給与はもらえなかったのだろうか。
それはともかく、慰安婦は健康状態もよく、衛生面も十分
配慮されていたのだということには注目しておくべきである。
楼主が食料や必需品を高額で売りつけるために、生活が
困窮するという話は、戦前では内地の遊廓でもよくあった
話である。
問題は、慰安婦が普通の月で総額1500円程度稼ぎ、
750円程度受け取っていたということだが、
これはどの程度の金額なのか。次回はそれを検証しよう。
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