アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマはザンディグはどこに消えたのか……血と闇を抱えたデスマッチヒーローです!



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2012年2月22日、ニュージャージー州ブルックラウン警察署。2月にしては、暖かく、穏やかな陽気だった。署長のスティーブン・サイモンは、午前中の慌ただしさも一段落したので、一息つこうと署の外に出て、行き交う車を眺めていた。時計をみると、まもなく午前11時に差しかかろうとしていた。

その時、遠くから、列車の警笛が聞こえた。その音は30秒もの間、鳴り続けていた。勤続25年のベテラン署長は、異変を感じ取り、警笛の鳴る方へと走り出した。この警笛が線路内に誰かがいることを示していると、サイモンには経験上わかっていた。

悪い予感がする方へ、800メートルほど走ったときだった。急停車した貨物列車の下から、線路の上に寝そべった状態で、一人の男性が泣き叫んでいるのが見えた。近寄ってみると、男性の両足は列車に轢かれグシャグシャになっていた。痛みにもがき苦しむ男性を安心させようと、サイモンは列車の下に入り、彼を抱きしめた。どうやら、自ら命を断とうとしたらしい。
すぐさま約10キロ離れたクーパー大学病院に搬送された男性は、一時は危篤状態に陥ったものの、幸い命は助かった。しかし、両足は失い、車椅子での生活を余儀無くされてしまった。
自殺を図った彼の名は、ジョン・コーソン・ジュニア(当時29歳)。
“CZW創設者” ザンディグの息子であった。


今月2日に行われたGCWのデスマッチトーナメント「ザンディグ・トーナメント・オブ・サバイバル3」。自身の名前を冠した大会にもかかわらず、ザンディグは会場に姿を現さなかった。聞くところによると、去年の大会の時は、1週間前まで連絡が取れなかったそうだ。そして、今年は、1ヵ月前から、今にいたるまで誰とも連絡が取れなくなっているらしい。


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