主張

首相「靖国」玉串料

日本とアジア諸国民への挑戦

 2000万人を超すアジア諸国民と、310万人以上の日本国民が犠牲になったアジア・太平洋戦争が終わって68年を迎えた15日、安倍晋三首相が靖国神社への代理参拝を強行し、玉串料を納めたのは、二度と日本の侵略戦争は許さないと誓った日本とアジアをはじめ世界の諸国民への挑戦というしかありません。靖国神社は、日本の侵略戦争を「自存自衛の正義のたたかい」「アジア解放の戦争だった」などと美化し、正当化することを存在理由にした施設です。首相と自ら参拝を強行した一部閣僚の行動は、侵略戦争を積極的に肯定する、許されない暴挙です。

代理でも参拝は明白

 安倍首相は自らの参拝は見送りましたが、自ら総裁を務める自民党の「総裁特別補佐」を代理に参拝させ、神前に玉串を奉てんさせたうえ、自らの「私費」で玉串料を納めました。首相自身、「国のためにたたかった、ご英霊に対する感謝の気持ちと尊崇の念をこめた」と認めているように、参拝したのは代理でも、首相自身の責任は明白です。

 安倍首相は、第1次政権時代、世論の反対で靖国神社に公式参拝できなかったことを繰り返し悔しがっており、昨年末の第2次政権の発足以来、たびたびその機会をうかがってきました。4月の春の例大祭には、安倍首相は参拝しなかったものの、供え物である「真榊(まさかき)」を奉納し、麻生太郎副総理ら閣僚の参拝を認めました。日本国内や外国からわきおこった批判にたいして首相が「どんな脅しにも屈しない」と開き直ったことからみても、侵略戦争を肯定する姿勢には根深いものがあります。

 見過ごせないのは安倍首相が、終戦記念日の公式行事であるこの日の「戦没者追悼式典」のあいさつでも、歴代首相が表明してきた「アジア諸国の人びとに多大な損害と苦痛を与え」たことに「深い反省と哀悼の意を表する」という表現を口にせず、「不戦の誓い」にもふれなかったことです。

 日本が韓国や中国、アジアの諸国などを侵略し、日本国民を含め甚大な被害をもたらしたアジア・太平洋戦争が、ドイツやイタリアの全体主義勢力がヨーロッパなどで引き起こした戦争同様、許されない侵略戦争であり、戦後世界がその否定と反省のうえにスタートしたことは明らかです。日本が終戦にあたって受け入れたポツダム宣言や国連憲章も、侵略戦争の否定が出発点です。にもかかわらず、その戦争を反省せず、侵略戦争を肯定・美化する施設への参拝を繰り返す安倍首相とその勢力に、戦後の政治を担う資格がないことは明らかです。

国際関係樹立のためにも

 日本国民自身も、戦後制定した憲法で国民主権や基本的人権の保障とともに、再び政府の責任で戦争の惨禍を繰り返さないことを明記しました。安倍首相らの姿勢は、国際政治の原点と日本国民の誓いに敵対するものであり、絶対に許すわけにはいかないものです。

 侵略戦争を肯定する安倍政権の言動は、いまだに韓国や中国との首脳会議が開けないなど日本に国際的孤立をもたらしています。日本が過去の侵略戦争と植民地支配の反省にしっかり立った正しい歴史認識をもってこそ、アジアの国々ともまともに付き合うことができるのは明らかです。