主張
辺野古新基地問題
普天間を固定化したのは誰か
沖縄県名護市長選(1月19日実施)で米海兵隊普天間基地(同県宜野湾市)に代わる新基地建設に反対の多数意思が示されたにもかかわらず、安倍晋三政権は、投票日のわずか2日後に調査・設計業者の入札手続きを始め、建設強行の姿勢をあらわにしています。民意の完全な無視、民主主義否定の行為であり、名護市議会が「辺野古(へのこ)移設を強引に推し進める政府に対して激しく抗議」する意見書を賛成多数で可決(3日)したのは当然です。
「県内移設」への固執
安倍政権は、名護市辺野古への新基地建設の口実として、「普天間基地の固定化は絶対に避けなければならない」と繰り返しています。しかし、1996年4月の日米「返還」合意から今日まで、普天間基地が動かなかったのはなぜか。
日本共産党の赤嶺政賢議員が4日の衆院予算委員会で指摘したように、名護市民は97年12月の市民投票で新基地受け入れ反対の意思表示をしたのに、日米両政府が辺野古への「県内移設」に固執し続けてきたからにほかなりません。「戦後68年余にわたり、米軍基地に苦しめられてきた沖縄で、新たな基地の建設を受け入れられるはずがない」(赤嶺氏)のです。
市長選で裏づけのない500億円の「名護振興基金」をぶち上げ、カネの力で新基地受け入れを迫った自民党の石破茂幹事長はここにきて、「名護市長選では、なぜ辺野古崎沖(への移設)なのかという点について、十二分に説明をしきれなかったことを反省している」と弁明を始めています(1月28日、衆院本会議)。
石破氏は、「普天間基地の市街地との距離が約200メートルから、名護市街地と辺野古代替施設との距離2000メートルへと10倍にすることで、騒音は100分の1にまで減じられる」「集落の上を飛行しないことによる事故の局限化を実現する」などと述べました。
これは、名護市の現実を無視した空論です。
昨年11月、辺野古埋め立てについて名護市が沖縄県に提出した意見書は、▽普天間基地配備の垂直離着陸機オスプレイが学校や住宅地上空の飛行などを制限した日米合意を全く守っていない▽名護市でも、既存基地を使い、沖縄高専や小中学校、児童養護施設、集落上空を飛行・旋回し、住民は深刻な騒音被害に悩まされている―と指摘しています。新基地が建設されれば、騒音や事故の危険など「被害増大は明らか」(意見書)です。
日本共産党の仁比聡平議員は6日の参院予算委で、新基地は強襲揚陸艦も接岸可能であり、普天間基地の単なる機能移転ではなく、増強になることを告発しました。
無条件閉鎖・撤去こそ
映画監督のオリバー・ストーン氏や歴史学者のジョン・ダワー氏ら海外の著名人29氏が呼びかけ人になった辺野古への新基地反対の声明は次のように述べています。
「普天間基地はそもそも1945年の沖縄戦のさなか、米軍が本土決戦に備え、住民の土地を奪って造りました。終戦後返還されるべきだったのに、戦後70年近くたっても米軍は保持したままです。したがって、返還に条件が付くことは本来的に許されないのです」
普天間基地の固定化を許さない道は、「県内移設」ではなく、無条件の閉鎖・撤去です。