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「認知症事故」判決―家族だけの「見守り」は限界だ
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「認知症事故」判決―家族だけの「見守り」は限界だ

2014-04-28 11:15

    主張

    「認知症事故」判決

    家族だけの「見守り」は限界だ

     愛知県内の認知症の男性=当時(91)=が電車にはねられ死亡した事故で、JR東海が電車の遅延などの損害賠償を男性の家族に求めた裁判の名古屋高裁判決が、認知症患者の家族らに衝撃を与えています。妻=当時(85)=に監督責任があったとして約360万円の賠償支払いを命じたからです。事故にあった男性が自宅から外出したのは、家族が数分間、目を離したときでした。それが不注意だったと責任ばかり問われたのでは、家族はやりきれません。認知症患者と家族が安心できる仕組みを整えることが政治の役割です。

    介護が成り立たない

     2007年、要介護4の認知症男性がJR東海道線の駅構内で電車にはねられ亡くなりました。線路に入った経過は不明です。自身も要介護1の妻と、横浜市から移住した長男の妻が男性の介護を担っていました。デイサービスから戻った男性は2人が目を離したほんのわずかな時間にいなくなり、家族で捜していたさなかでした。

     JR東海は家族が注意を怠ったとして、ダイヤ乱れの振替輸送費など約720万円の支払いを求めて提訴、昨年の一審判決は全額支払いを家族に命じました。この判決は介護関係者に驚きと怒りを広げました。「家族が24時間スキなく見守ることは不可能」「高齢者をカギのかかる部屋に閉じ込めろというのか」。「認知症の人と家族の会」などの抗議が広がるなか、24日の控訴審判決は、JR東海の安全管理体制の不十分さを認め賠償額を半減させたものの、引き続き家族に責任を求める厳しい内容のままでした。家族から「これでは在宅介護は成り立たない」と悲痛な声があがるのは当然です。

     徘徊(はいかい)する認知症高齢者の介護は、家族にとって肉体的にも精神的にも、たいへん重い負担となっているのが現実です。「老老介護」の場合はとりわけ深刻です。近所の目を気にして認知症高齢者が家族にいることを隠し、抱え込んで孤立を深める事例も少なくありません。家族に責任ばかりを迫ることは、介護者をますます追い詰める悪循環をうむだけです。

     認知症高齢者や家族が孤立するのではなく、地域で安心して暮らせる体制をつくることが重要です。「安心して徘徊できるまち」をめざし住民や行政機関、民間企業が連携・協力しあう体制づくりを模索している地域もあります。国が支援し広げることが必要です。

     徘徊による行方不明者が全国で年間9千人にのぼり、05年から8年間で100人以上の認知症患者が鉄道事故によって命を落としていることは重大です。高齢者の命にかかわる問題をもはや放置することは許されません。国、自治体、鉄道事業者らが実態を把握し、安全対策を緊急に講じるべきです。

    改悪法案は逆行そのもの

     衆院で審議中の医療・介護総合法案は、認知症患者と家族の苦しみに拍車をかける大改悪です。特別養護老人ホーム入所を要介護3以上に原則化することは行き場を失う認知症患者を増加させるだけです。「受け皿」も整えず、病院・施設から高齢者を締め出すことは、地域での「安心の医療・介護」の仕組みを崩壊させます。安倍晋三政権の「自己責任による社会保障」路線を許さず、誰もが安心して幸せに長生きできる政治への転換が求められます。

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