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【第152回 芥川賞 受賞作】『九年前の祈り』小野正嗣
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【第152回 芥川賞 受賞作】『九年前の祈り』小野正嗣

2015-01-07 11:59
     渡辺ミツさんのところの息子さんが病気らしい。母がそう言うのが聞こえたとき、さっきから喋り続ける母を無視して携帯の画面を見るともなく眺めていた安藤さなえを包んだのは、柔らかい雨のような懐かしさだった。
    「みっちゃん姉!」とさなえはささやいた。
     病気という不穏な言葉にもかかわらず、そしていま彼女が置かれた見通しの決してよいとは言えない展望にもかかわらず、急に雲間から一筋の光が差し、「渡辺ミツ」という名がさなえを照らした。
     その優しい光のなかに、ひざまずいて祈る一人の初老の女性の姿が見えた。赤いリュックを背負った小柄なおばちゃん、みっちゃん姉が頭を垂れ、握り合わせた拳の上に額を乗せていた。いつまで祈るつもりなのだろう。なかなか起き上がろうとしない。そこは教会のなかだった。モントリオールの教会。ステンドガラスを通して落ちてくる、えも言われぬ色合いの流体のような不思議な光で満たされていた。みっちゃん姉のことを思うと、さなえがかつてこの郷里の町に住んでいたころに行ったカナダ旅行の記憶へと連れ戻される。浮かび上がったみっちゃん姉の姿は、しかし母の声によって破られた。
    「息子さんは相当悪いらしいわ……」
     そしてひとつ大きくため息をついてから母は続けた。
    「あんたがこげなことになったもんじゃから、みっちゃん姉に顔を合わせにくうなった」
     さなえは黙っていた。こんな保守的な片田舎でもひとり親家庭はもはやそんなに珍しいことではないはずだ。さなえの中学校の同級生のなかには四人も離婚経験者がいると、訊かれもしないのに呆れたように嘆息したのは母だった。一学年一クラスで十九人しかおらず未婚の者もいることを思えば、かなりの数だ。帰省してすぐ、高校のクラス会の案内が来ていると葉書を母に渡された。行けば、さなえのようなシングルマザーも何人かいたのかもしれない。しかしそんな気にはなれなかった。どうせ暇なんじゃから、と母は暗に非難した。父は何も言わなかったが、母と同じ考えなのはわかった。
     今年三十五になるさなえは、半年ほど前に息子の希敏を連れて東京からこの海辺の小さな集落に戻ってきた。七年も帰省していなかったことになる。希敏の父となる男─この土地の言い方を真似ればガイコツ人、つまり外国の人で、カナダ人だった─と東京で同棲するようになったとき、世間体を気にする両親はいい顔をしなかった。母はしょっちゅう電話をかけてきた。同棲を始めて最初の一年くらいは電話での一言目と最後の言葉はつねに「いつ式を挙げるのか? 品が悪い」だった。あんパンの皮だけ食べるような会話だった。一言目と最後の言葉だけが大切であって、あんこの部分、中身の会話は母にとっては無意味だった。同棲相手のフレデリックと母は電話で話そうとしなかった。フレデリックが喋りたがっていると言うと、母はそういうときだけさなえに対して心から感心したように言った。「おまえとちごうて英語はわからんから」
     そんな娘を育て上げた自分に対する礼讃だったかもしれない。だからさなえはフレデリックが、さなえの英語以上に日本語を理解していることは黙っていた。母が彼と話そうとしないことが結果的には幸いした。希敏が一歳の誕生日を過ぎたあたりからフレデリックはもう家に戻らなくなっていたからだ。
     希敏はフレデリックと暮らすようになって三年が過ぎてようやくできた子だった。希敏が生まれる前、電話をかけてきた母はひどく深刻な声で、「もしかして、おまえ、犬を飼っているのか?」と訊いてきた。またか、と腹が立った。ソファの上に放った携帯電話からはスピーカーにしていないにもかかわらず、母の声が聞こえてきた。「犬を飼っておったら、情が全部その犬に移って子供ができんことなる」
     母によれば、それは太陽が東から昇り月が満ち欠けするのと同様の普遍的な真実だった。「宮田の香織ちゃんも西川の千絵ちゃんも川上のよっちゃんも犬を飼うのをやめた途端妊娠した」と母は力説した。しかも宮田の香織ちゃんは母の助言を聞き入れてそうしたのだ。その結果、いまでは三人の子供─「それもみな男じゃ!」と叫ぶ母の声はほとんど賛嘆の念で震えていた─に恵まれた。「言うてよかった、香織ちゃんのお母さんにも会うたびに礼を言われる」と母は得意げに言い添えた(このやりとりのことを思い出すと、大学時代につきあっていた熊本出身の不幸な男のことを思い出した。その男は酔うたびに、小さいころに親も同然の飼い犬を捨てられたと不思議なことを言った)。
     そして、ついにさなえに子供ができた。たしかに時間はかかった。だが生まれてきたのが男の子だという事実は、母には何よりも重要だった。さなえの同級生や知り合いに子供が生まれたと電話で朗報を伝えながらも、「じゃが、またおなごじゃったらしいわ」とか「ほんとは坊がよかったらしいわ」と余計な一言を付け加えずにはいられない母だった。さなえが息子の画像を送るたびに、「見えん! もっと大きなやつを送ってくり!」と瞬時に電話をかけてきた。送信し直すと、思わず携帯電話から耳を離してしまうほど絶叫した。「なんと、なんと、なんと! かわいやのー! 見てみい、このおおけな目を! 赤児じゃのに、こげえ鼻がたかえ! こげなかわいらしい子がほかにおるか!」
     もしも希敏が両親の揃った家庭の子として戻ってきていたら、そしてもしも希敏がもう少し普通の子供であったら、いったいどうなっていたことだろう。
     これまで帰省する機会は幾度となくあった。子供がいないときには、そのことをいろいろ言われるのが鬱陶しくて帰らなかった。希敏が生まれてすぐは、移動の負担を考えると踏ん切れなかった。しかしいま思えば、まだ息子が動けない赤ちゃんだった時期に帰っておくべきだった。幼児を連れて旅行するのはただでさえ一仕事だ。
     しかしもう鬱陶しいだの面倒くさいだの言っていられない状況だった。経済的にも心理的にも母子二人だけで東京で暮らすという選択肢はなかった。故郷のこの町まで新幹線と在来線の特急を使ってもゆうに九時間はかかる。でも飛行機なら、羽田─大分間はたった一時間四十分のフライトだ。
     なのに、全然楽ではなかった。離陸は無事に乗り切った。すぐに希敏はうとうととし出し、そのうちに寝息を立てて眠りに落ちた。しかし途中で目覚め、スイッチが入ってしまった。体を激しく痙攣させて大声で泣き叫んだ。まるで不当なひどい仕打ちを受けているかのように。そんなとき息子は引きちぎられてのたうち回るミミズのようになった。周囲から向けられる視線で肌が焼けるように痛かった。
     さなえが初めて飛行機に乗ったのはあのカナダ旅行のときだった。さなえにとって生まれて初めての海外旅行でもあった。町全体に国際交流推進の気運が高まっていたころで、さなえが臨時職員として働いていた教育委員会が、JETプログラムの外国語指導助手として町に着任していた二十八歳のカナダ人青年、ジャック・カローが立てた旅行の企画を受けて、実現したものだった。町報を使って告知して希望者を募った。一村一品運動で有名になった水産加工業や養殖業もまだ景気がよく、税収が安定していたこともあり、町役場は気前よく助成金を出した。そのおかげで破格の値段で旅行できることになった。
     男たちは仕事を一週間も休めないからか(しかし町の女性たちのほとんどが働いていた)、あるいは単に男たちには気概がなかったのか、さなえを含めて七人の参加者はみな女性だった。二十代はさなえだけ。あとは四十代後半以上の女性だった。
     ジャックが立案した旅程は、バスで四時間かけて福岡空港まで行き、そこから成田空港、オヘア(シカゴ)空港、トロント空港と乗り継ぎを重ねる大変なものだった。カナダでもトロントからモントリオールまでは飛行機だった。「座ってばっかりじゃと疲るるのお」とこぼしながらも、町の陽気なおばさんたちは南国の鳥の群れさながら大きな声でしゃべり散らしていた。さなえはときどき無性に恥ずかしくなって、離れて座れないときには横を向いて寝ているふりをしたし、実際に眠りもした。「おどや、おどや、若えのにさなえちゃんは寝てばっかりじゃのお」と誰かが言い、すると降り注ぐ陽光のもとで南国の鳥たちが水遊びをしているかのようにはなばなしく音と光があたりに飛び散った。その同行者のなかに、「みっちゃん」とか「みっちゃん姉」と呼ばれる女性がいた。控えめだが、いつも元気がよくて、何かといえば、みんなが自然に意見を求め、頼りにしていた初老の女性。その人が渡辺ミツだった。モントリオールのホテルで相部屋になった夜、みっちゃん姉から息子さんの話を聞いたことがあった。
     さなえは独り言をつぶやくように、しかし母に聞こえるほどの大きさの声で言った。
    「みっちゃん姉の息子さん、そんなに悪いの?」
    「大学病院に入院しておるらしい」と母は声をひそめて言った。普段は声が大きいだけに、やたらに小さく感じられた。吐息が、そこに運ばれる言葉をもみ消そうとしていた。何かよいことが起こったとき、人に話すと幸運の効果が失われると信じている母は、否定的なことを口にすると、それによって不幸や悪運を招き寄せると信じていた。母は病気それ自体よりも病気を指し示す言葉を耳にするのを恐れていた。まるでインフルエンザのウィルスは「インフルエンザ」という単語によって耳から感染し、「癌」という言葉の響きが患者の癌細胞を刺激し増殖させるかのように。
    「どこが悪いの?」
     さなえは携帯の画面から目を上げずにつぶやいた。
    「ようわからん。じゃけど、お父さんの話では、最近、民生委員のミーチングにみっちゃんの顔が見えんからどうしたんじゃろうと不思議に思うておったら、息子さんが病気で入院しておるのがわかったんじゃ」
     さなえは帰郷したその日に、実家の表札の横に「民生・児童委員」のプレートがあることに気づいていた。正直驚いた。元中学校の国語の教師である父は、この土地の人間ではなかったからだ。父の交友関係の範囲は限られていた。地域の人間関係を知悉し、あれは誰かと尋ねると三親等くらいまでならその人の親族の名をすらすらと言える母とちがって、過疎の土地にもかかわらず父は元教え子の名前と顔すらろくに覚えていなかった。父は別府市の出身で、熊本大学の教育学部を出たあと、県南の中学校に赴任した。そこで、真珠養殖業の工場でアコヤガイに「細胞」と「核」を入れる職人として働いていた母と知り合い、結婚した。母への愛から母の出身地である県南のこの土地も深く愛するようになっていた。
     リアス式海岸の複雑な地形をした土地だった。さなえは帰省する前に何度も、ポケモンの図鑑を眺めていた希敏の目の前で、タブレットの画面に映し出された地図を拡大したり縮小したりしながら(でも息子が見ていないのはわかっていた)、「ここがママのふるさとよ」と息子のくしゃくしゃの亜麻色の髪に唇を寄せてささやいた(息子が理解していないのはわかっていた)。沖合いに二つの島があった。陸地に近いほうが黒島で、そのさらに沖にあるのが文島。さなえの母はこの文島の出身だった。二つの島は、陸地を振り切って大海原に飛び出そうとしているように見えた。逃がしてたまるものかといくつもの岬が、たがいの邪魔をしながら、島々に執拗に追いすがり伸びていく─入り組んだ海岸線はそうやって生まれたのではないかとさなえは夢想した。
     さなえの父は本当なら妻の故郷であるこの文島で生活をしたかったという。しかし転勤の多い中学校の教員にそれは無理だった。陸と島を結ぶ連絡便はその当時でさえ一日四本しかなかった。定期船に乗り遅れたら乗り遅れたで漁師たちの船に乗せてもらえばいいではないか、と父は思いつきを気安く言った。「しょっちゅう行き来しちょるんじゃから、ついでに乗せてくれるじゃろう」
     彼らの現実主義的な生き方をよく知る母はたちまち一蹴した。
    「そのぶんの燃料代は誰が払うんな? タダだと思うん?」
     家では母に頭が上がらないくせに、父は学校では宿題をやらなかったり反抗的な態度を取ったりする生徒に体罰を加えていたようだった。子供は厳しくしつけるもので、「しぇんしぇい、うちのが言うことをきかんかったら遠慮せんとやってくだせえ」と保護者のほうが体罰を要求してきた。父が生徒たちを殴った日にはすぐにわかった。後味の悪さからか、帰宅したあと日頃の上機嫌さが噓のように言葉少なになり、言い訳するようにつぶやいた。「おれは人を打ったりするんは好かんのじゃ」
     リアス式海岸が独特の地形を作る海辺の土地は父を魅了した。しかしそこに暮らす住民たちをどこか見下しているようなところが父からは抜けなかった。住民たちもまた、安藤しぇんしぇいももう少し愛想がよければ、教頭くらいはなれたじゃろうに、と父を軽んじるふうがあった。「名は体を表わす」の好例として、父を「万年平教員の安藤しぇんしぇい」と呼んだ(なにせ父の名は平なのだ)。
     だから、この土地に生まれ育った母ではなく、結局はよそ者である父が民生委員を務めていることにさなえは違和感を覚えた。一方、みっちゃん姉こと、渡辺ミツが民生委員であることに驚きはなかった。カナダ旅行のとき、みっちゃん姉はつねに同行のみんなと分け隔てなく楽しそうに話していた。輪の中心になる人に特有の明るさと落ち着きがあった。
     母が続けて言うのが聞こえた。
    「もうふた月近く病院に入っておるらしい……」
     さなえはようやく母のほうに顔を向けると言った。
    「わたし、お見舞いに行ったほうがよくないかな?」
    「まこと、まこと、一緒に海外旅行まで行った仲じゃもんのお。それに渡辺さんところからは希敏が生まれたときに祝いまでもろうたんじゃから」
    「祝い?」
     初めて聞いた話だった。
    「言うてなかったかの?」と母は逆に驚いた顔をして訊き返した。得意げな顔つきになってつけ加えた。
    「なーんも心配せんでもいい。ちゃーんと希敏ちゃんの通帳を作って、もろうた祝いはみな入れちょる」


     家の庭にある駐車スペースにバックで軽自動車が入るのが見えた。父は車に興味がなく、二十年来、かつての教え子が経営する、国道沿いの自動車整備・中古車販売店で車を買い続けてきたが、さなえたちが帰ってくることが決まってから、孫を乗せるために小さいながらもスペースがあって使い勝手のよいその車を新車で購入した。
    「あ、『まち』から帰ってきた」と母が言った。
     いまや隣市に合併された旧郡部の住民たちは、かつての市のことを「まち」と呼び続けていた。「まち」もずいぶん変貌していた。にぎわいの中心にあった五階建ての地元デパートはずいぶん前に民事再生法の申請を行ない、アーケード街に軒を連ねていた個人商店の多くが錆の目立つシャッターを下ろしていた。商業の中心は交通の便のよい(ということは、車がないと不便な)国道沿いの郊外に移っていた。畑と野原だけだった土地に、八百台近く収容できる巨大なパーキングを備えたショッピングセンターが開業し、その周辺は宅地造成されて新しい住宅が整然と立ち並んだ。父は朝からそのショッピングセンターに希敏を連れて行った。
     希敏がさなえなしで祖父と外出できるようになるまでには時間がかかった。変化というものが極度に苦手な子供だった。希敏を診てくれていた専門医の先生から何度も助言されたのは、とにかくあせらないこと、あきらめないこと、そしてがんばらないことだった。
     しかしがんばらないどころか、現実にはつい感情的になって叱ってしまう。そのたびに希敏は引きちぎられたミミズになった。さなえは息子の体に取り憑いたそのミミズをやっきになって引きはがそうとした。当然ミミズは抵抗する。希敏は自分の髪の毛を引き抜いた。床に転がって壊れてしまいそうなほど激しく手足を打ちつけた。
     バタン、バタン。
     車のドアが鳴り、玄関のドアが開いた。
    「戻ったどー」
     万年平教員だった父の平の上機嫌な声がした。さなえはほっとした。
     父はくすんだ銀色の髪を七三に分け、遠近両用レンズの入ったサーモント眼鏡をかけていた。クリーム色の長袖のシャツの上にくすんだ色の薄手のジャケットを着て、サイズの大きすぎるグレーのスラックスを穿いていた。
    「希敏ちゃん、おかえりー」
     母が声をかけた。父のあとについて家に入ってきた希敏を見て、誰もさなえの父の孫だとは思わないだろう。下手をすればさなえの子とも思われない。もうすぐ四歳になる希敏は、父のフレデリックにそっくりだった。くるくるとカールした柔らかいくせっ毛は、さなえの黒々とした太くまっすぐな髪と全然ちがった。「馬鹿の大髻」と母親にからかわれていたくらい、さなえは額が狭く髪の量が多い。しかもさなえは小学校のころ、男子にヒラメとあだ名をつけられていたくらいのっぺりとした顔だった。
     そのことを泣きながら両親に言うと、父は真顔で、おまえは全然ヒラメなんかに似ていないと保証した。釣り好きの父は娘を安心させようとさらに続けた。「よく見てみい、さなえ。ヒラメは寄り目じゃろうが。おまえはむしろ目と目のあいだが離れちょる。お母さんにそっくりじゃ」
     それを聞いて娘はさらに泣いた。父は娘の反応が意外だというように眉をひそめつつも、娘を安心させようとした。
    「じゃが、さなえ、人間は顔じゃねえ、人柄じゃ、性格じゃ。内側からにじみ出る美しさじゃ。じゃからわしは性格美人のお母さんと結婚したんじゃ」
     言い終わると、父は母に目配せして嬉しそうに笑った。母は困ったような顔つきになり、娘はさらに激しく泣いた。
     宙を浮遊する鷲の翼を思わせる眉毛、上向きに反り返った長い睫毛のくりくりした目、形の整った鼻。希敏はその母親の家族の誰とも似ていなかった。父などは孫息子と二人だけでいたら誘拐犯と間違われはしないか心配で心配でかなわんと、孫の顔と自分の顔を交互に指差しながら冗談まじりに言った。「震いが来るような顔じゃ。こげなかわいらしい子がわしの孫じゃとは誰も思わんじゃろう、のお?」
     それがあながち冗談にならない事件が帰郷して間もなく起こった。みんなでショッピングセンターに出かけたときのことだ。
     さなえがフロアを歩く希敏と両親からそっと離れて、子供服コーナーを見ていると、同じフロアの隅にあるゲームコーナーのほうから子供が大声で叫ぶ声が聞こえた。生命の危機にさらされた小動物が全身から発する悲鳴だった。
     その声にかぶさるようにうろたえた父の大声が聞こえた。「よし、よし、いま、ママが来るからの、の、けびんちゃん、いま、ママが来るからの、の」
     懸命に孫をなだめようとする祖父の腕のなかで、引きちぎられたミミズがのたくっていた。さなえの母が暴れ回るミミズを抱きとろうとしたが、ミミズはもうこれ以上引きちぎられるのはごめんだと言わんばかりに激しくもがいた。
    「さなえ! よーい、ママー! ママー!」
     さなえを呼んでいるのは息子ではなかった。ママ、ママと絶叫しているのは父だった。希敏をフロアに落とすまいと抱きしめながら、そのために間近から浴びせかけられる泣き声に負けじとボリュームを上げる父の声があたりに響き渡った。
    「お父さん……、あんた、まあ、そげな大きな声を出さんでも……」と母が半分笑いながら呆れて言った。
     孫の泣き叫ぶ声でそれも耳に入らないようだった。父は娘を必死に呼び続けた。「よーい、ママー、どこじゃー! ママー! け、け、けびんちゃんが泣きよるぞー!」
     周囲の客は何事かと気にしつつも見ないふりをして買い物を続けていた。老人が「ママー、ママー」と叫ぶ声に思わず振り返り、笑っている人もいた。
    「どこじゃー、ママー! よーい、ママー!」
     さなえはすぐに駆けつけなかった。取り乱す両親の姿を遠くから眺めていた。
    「どうしたのよ?」
     胸に飛び込んでくる希敏を受けとめながら、さなえは訊いた。
    「どうしたも……こうしたも……どげえもこげえも……ねえわ、ママ……」
     はあはあと喘ぎながら父は言った。
     祖父に抱き上げられた瞬間パニックに陥った希敏は、母猿から引きはがされた子猿を思わせる声で悲鳴を上げたのだった。手足をバタバタさせ、祖父の両腕から逃れようとした。大切な孫を床に落として怪我をさせるわけにはいかない。しかし孫はいっそう激しく頭を投げ出し背中を反り返らせ暴れる……。父の髪はぐちゃぐちゃに乱れ、額には玉の汗が浮かんでいた。肩を激しく上下させながら、鼻の上で斜めに傾いだ眼鏡越しに、さなえの首元に顔を埋めた孫の後ろ頭を力なく恨めしそうに見つめていた。
     帰りの車のなかで、ふだんの饒舌が噓のように父はずっと黙りこくっていた。かつて学校で生徒たちを叩いた日にそうなったように。
    「言葉で言うてわからんのじゃから仕方がねえ……。かまわん、かまわん、しぇんしぇい、遠慮のうやってくだせえ」
     自分を正当化するつもりはないが、希敏はいくら言ってもわからないときがあった。引きちぎられてのたうつミミズに人の言葉が通じるのか。投げかけられる言葉は切実なものであればあるほど、尖った石のつぶてとなって、すでに傷ついた体をさらに切り刻んだ。いっそう痙攣させ、のたうたせた。
     家に帰り着くころになってハンドルを握っていた父がようやく口を開いた。「井上のたつ兄から聞いた話じゃが……」
     その人は元郵便局員で父の釣り仲間だった。
    「たつ兄の神戸に住んでおる娘が、このあいだの連休に希敏と同じくれえの年の坊を初めて連れて帰ってきたんじゃと。そしたらの、その坊がの、いままで一度も会うこともなかったのに、にっこり笑うて、だっこ、だっこ、っちゅうて、たつ兄から離れん……」
     父が小さくハンドルを切った。道路の端のほうに横断しきれず車にはねられたイタチの死体が二匹横たわっていた。親子だろうか。大きさは全然違ったが、二体の骸はともに腐敗して同じようにパンパンに膨張していた。
     しばらく黙っていた父がまた口を開き、後部座席にさなえと座った孫に向かって漏らした。
    「その話を聞いて、血がつながっておったら何も言わんでもわかるんじゃろうと思うたんじゃが……、どうもそげなことはねえようにあるのお……、希敏くん?」
     希敏からは何の反応も返ってこなかった。希敏は滑らかな沈黙の石となり、さなえのささくれだった沈黙とひとつになっていた。
     ショッピングセンターで起こったたぐいの出来事はそれ以降も何度かくり返された。希敏が普通の子とちがうことにさなえの両親はとまどっていた。
     初めのころ母は呆れた口調で言った。
    「あんたの躾はどうなっておるんな」
     そして例のごとく余計なことを付け加えた。
    「こげえ落ち着きがねえんのは、やっぱり片親じゃからかのお……」
     母とは父のいないところで何度か口論になった。医師から言われたことをそのまま両親に伝えればよかったのだろうか。しかし医師の診断を聞かされたとき、足下に地割れが生じ、その裂け目からなすすべもなく地の奥底に落ちていくような目眩を覚えた。そうかもしれないと頭のなかで悪い想像をしているのと、実際にそれを他人の口から、しかも専門の医師から聞かされるのとでは衝撃の大きさは全然ちがう。打撃を受けとめ、前向きな気持ちになるには時間がかかった。両親もまた悪い知らせを予期しているにちがいない。自分の経験からしてなおさら言い出しにくかった。
    「躾とかそういう問題じゃないの」とさなえは言った。「環境が急に変わっちゃったから……。いろんなことに慣れるのに普通の子よりもずっと時間がかかる子なのよ」
     本当だった。希敏は初めのころ、抱き上げられるなど論外だが、祖父母に頭を撫でられるのも彼らと手をつなぐのもいやがった。それがいまでは、さなえなしでもこうして祖父と二人で買い物に行けるまでになっていた。それでも母は、最初の騒動がよほど心に引っかかっているのか、いまだに口実をこしらえては孫と二人だけで外出するのを避けていた。それが腹立たしかった。
    「ほら、『ただいま』は?」とさなえは息子に注意した。「それから帰ってきたら何をするんだっけ? 手をちゃんと洗ってきなさい」
     すると母がキッチンから声をかけてきた。並んでいた列にいきなり横入りされたかのように、さなえはむっとした。
    「注意するときは、しゃがんで子供と同じ目線の高さで言うてやるといいらしいど」
     呆気にとられたさなえが言いよどんでいると、調子に乗ってさらに横入りが続いた。
    「やらんといけんことは絵に描いて壁に貼っておいたらいいらしいど」
     さなえは母を見た。さなえの顔に浮かんだ怒りが見えないのだろうか。
    「手洗いとか歯磨きとかな、やらんといけんことを絵にしてやっての、順番をつけてやるといいって、教育テレビで言うておった」
    「はい、はい」


    ※冒頭部分を抜粋。続きは以下書籍にてご覧ください。

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