ハックルベリーに会いに行く
蔦文也は「同志社で野球をやる」という、戦時中の日本でアメリカと戦争をすることから最も遠い場所にいた。
同志社大学は新島襄が1875年に作った。新島はまだ江戸時代だった1864年に密出国してアメリカに渡り、そこでキリスト教の洗礼を受け、キリスト教の学校に通い、最後には宣教使になった。だからアメリカとの親和性がとても高いのだ。
その上、野球はアメリカ由来のスポーツである。文也の中には、そういういわば「アメリカの血」が戦前から流れていた。それでアメリカと戦争をしなければならないのだから、その引き裂かれはけっして小さくなかっただろう。
しかし文也のあらゆるインタビューを見ても、そうした引き裂かれについての言及はない。文也自身、自分の引き裂かれとは距離を取っている。
その気持ちはよく分かる。なにしろ子供の頃から引き裂かれた環境にあったから、正視しないことが習い性になったのだ。それが生きる術とし
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