池田高校は1974年の春に甲子園で準優勝する。監督の蔦文也は負けたことに意気消沈したが、徳島に帰ると予想外の大歓迎で、びっくりする。このときのさわやかイレブンは、勝ち負け以上に見た人に鮮烈な印象を与えたのだ。

続く1975年は、イレブンのメンバーが5人残っていて、彼らを中心に前年の秋の大会を勝ち上がり、春の甲子園に2年連続で出場する。ところがなんと初戦の相手が昨年決勝で戦った報徳学園だった。この試合も負けてしまい、池田は二試合連続で報徳に負ける。

ここから池田高校は不遇の時代を迎える。1976年は全く奮わなかった。そこで文也は1977年の新入生に狙いを定める。1977年の一年生を重用し、3年計画で強いチームを作ろうとするのだ。

1977年入学組は、さわやかイレブンのときは中学一年生だった。さらに、池田が2年連続で春の選抜に出たときは中二である。この連続出場をテレビで見て、「池田に入っ