日が昇りつつあった。
そう判断できるだけの明度が、森の中にも滲みはじめている。
だが樹木の隙間から覗く空は、夜の黒を薄めたような灰色に過ぎなかった。雨こそ落ちてはいないものの、相変わらず稲光は執拗に黒雲を裂き、呻るような雷音が低く駆け巡っている。
視線を戻した先に、森の切れ目があった。大きく一呼吸を済ませ、最後の幹を蹴り越える。視界が開けた瞬間、一面に広がる曇天と、虚空に途切れる地続き。どうやら崖の上に出たらしい。足元に這わせていた照明魔法球を掌に呼び寄せ、軽く撫でると、光は従順に霧散した。
視線を右へ送る。密林を大きく迂回していた街道が、細く遠方へと伸びているのが見えた。その遥か先は大山脈、北方ハーピィ自治領へと続いている。
正面には、古遺跡群。山風に抉られた盆地の底、斜めに突き出す岩塔群が不規則に並び、他方で、規則めいた配置の石塊と穿たれた洞窟が、悠久の時を刻んでいる。人の意志と自然の浸食が奇妙に混じり合った情景。かつて紅に染まったこの場所には、今もなお物言わぬ大穴が口を開けている。
見上げた空は、黒炭と泥を掻き混ぜたような、いやに輪郭のはっきりとした雲に覆われていた。
──正体不明の魔物、か。
不意に、合同調査の通達文が脳裏をかすめる。
対象の特定と排除、出現要因の究明。書面に並ぶ文言はじつに簡潔だったが、そう易々と事が進む任務など滅多にあるものではない。いっそ、あの大穴から再び魔族が湧き出したとでも言うのであれば、話が分かりやすくて助かるのにとも思う。
だが現実は往々にして、そんな楽観を許さない。
大穴から少し離れた位置、緊張感もなく陣を張っている合同調査先着隊が、それを物語っていた。そもそもが急ごしらえの各諸司選抜隊ゆえ、その質を望むべくもないのは飲み込むにしても、警戒線もなければ巡回兵も見当たらないような陣立てが、臨戦区域に臨む構えであるとは到底思えなかった。
単なる油断か、それとも──。
確証などあるはずもない微かな疑念が、胸の中で小さく揺れた。……私の悪い癖だ。経験則とは言え、理に適わぬ何かがあるとまず疑いの目を向けてしまう。そう自らを省みながらも次の瞬間にはすでに、あの陣にどう探りを入れるか思考を巡らす自分がいた。
断崖を下るのに、さほど時間は掛からなかった。空を舞う翼などなくとも、各種防護術式を巡らせ、崖縁から一歩踏み出せば事足りる。この程度の落差は問題にならない。着地の瞬間に走った閃光と短い破砕音も、頭上を裂く雷鳴に呑まれて消えた。陣営が気付いた様子はない。
その確認を終えると同時に、気配を沈める。魔力の揺らぎを削ぎ落とし、陣の外縁へと歩を進めた。
陣は緩やかな斜面に粗く広がっていた。正面に大穴を捉え距離は数百歩、背後には低い岩壁。見通しは悪くないが遮蔽物も乏しい。ハーピィとの合流を最優先とするなら、これ以上なく目立つ位置取りだ。
天幕は整然とは言い難い三角配置、その中央に焚火が一つ。物資は木箱に積まれたままで、防柵も簡素。戦闘を想定した布陣には見えない。
兵の動きも緩慢だった。焚火の火を意味もなく掻き回す者。武具の手入れをするでもなく弄ぶ者。見張りに立ちながらひたすら空を見上げるだけの者……いずれも帝国支給の軽装鎧を着込んではいるが、戦場を知る者の振る舞いではない。戦地というよりは、野営の延長に近い。
そこに一人だけ、視線に落ち着きのない兵がいた。焚火から少し外れた位置で槍を握り、柄を抱くようにして周囲を警戒している。石突きではなく穂先を地面に刺しているあたり、練度は相当低いと見えた。
その男の視界から外れるようにしながら、音を殺して近付く。そして、足元の砂利を捻じるように踏み抜いた。微かな音。雷鳴に紛れる程度の、しかし至近距離であれば確実に届く大きさ。思惑通り、その男だけが反応を示した。両肩が跳ね、一拍おいて頭がこちらを向く。
数歩、間合いを詰める。
私を視界に収めた男は、分かりやすくその顔色を変えた。
「ふ、不落……! 様、でしたか。お早いお着きで……!」
男の声が裏返り、二度、三度と背後を振り向く前に、私は短く返す。
「そうか?」
「え、えぇ……その、不落様は、少し遅れると……!」
「誰から聞いた?」